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-南太平洋の陣取り合戦-(GHQ焚書図書開封 第8回)

2017-02-05 17:41:10 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第8回
 イギリスの植民地でありながら、帝国主義的発想をもっていたオーストラリアとニュージーランド。
第一次世界大戦中、日本艦隊は、日英同盟に従って、欧州戦線に向かうANZAC(Ausstralia and New zealand Army Corps)をドイツ潜水艦の攻撃から守った。
ベルサイユ条約で、日本はドイツ植民地であった赤道以北のマリアナ、マーシャル、カロリン諸島の委任統治国となった。
オーストラリアはドイツ植民地のビスマルク諸島、ニューギニアの委任統治国となり、ニュージランドはドイツ植民地のサモア諸島の委任統治国となった。
オーストラリアとニュージランドは、白人優越意識とオーストラリア本土での原住民虐殺、タスマニア島でのダスマニア人絶滅などにみられるように、有色人種に対する差別的感情論から日本に対し、必要以上に脅威を抱くようになった。自己幻想・防衛幻想が強く、反日へと変貌していったのである。
パリ講和会議での「アメリカの黒人が喜んだと言われる人種差別撤廃法案」の提案以降、オーストラリアは、白人純血主義、白豪主義に同調するアメリカに接近し始めた。
アメリカは、オーストラリアと並んで日英同盟に批判的であり、日本との戦いに備え、戦争準備(オレンジ計画)をし始めた。
また、これまでの航路、ハワイ~グアム~マニラへの赤道以北ルートからハワイ~サモア~オークランド~ポートダーウイン~シンガポールという南方迂回ルートの開発に取り組み始めた。
なお、東京裁判でオーストラリア人ウェブ裁判長をたてたのが、アメリカであったことは、如何にこの当時から両国は日本に対して悪意をもっていたかが判る。
参考文献:「大東亜戦争と南方圏」山田文雄、 『GHQ焚書図書開封1 第八章 435P~501P/701』、『濠州史』泉信介、『日米開戦 陸軍の勝算 「秋丸機関」の最終報告書』林千勝


-オーストラリアのホロコースト-(GHQ焚書図書開封 第7回)

2017-02-05 00:40:34 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第7回
 第一次世界大戦後のベルサイユ講和会議で日本政府が人種差別撤廃法案を提案したが、これをアメリカ政府(ウィルソン大統領)とオーストラリア政府が拒絶・廃案にした。
1894年に日英通商条約が結ばれた後も、イギリス植民地オーストラリアは条約附則規定を盾に日本人の入国、旅行、居住の権利、居住民の生命・財産の保全の保障に難色を示した。
イギリス移民者は、タスマニア諸島において旧石器時代のような生活をおくっていたタスマニア人(1788年に数千人いたといわれている)を虐殺し続け、入植後80年たった1860年に最後の1人を死亡させ絶滅させてしまった。また、イギリス移民者はオーストラリア本土に100万人いた原住民を1942年には2万人までに虐殺や毒殺(ヒ素)などにより減らした。
オーストラリアにおける日本人排斥運動もアメリカにおける日本人排斥運動もいずれも白人純血主義、白豪主義のなせる業である。
オーストラリアは、原住民を差別、虐殺し、次に安価な労働力として支那人移民を受け入れ差別し、支那人が増えると支那人を排斥した。次に日本人移民を受入れ、日清戦争で日本が勝利すると、日本人に脅威をもって排斥に転じたオーストラリアは、日露戦争後、日本人に脅威をもって排斥に転じたアメリカと似たところがある。、
これらのことを全て知り尽くした日本人は、原爆、東京大空襲にあっても最後まで抵抗した。戦後、アングロ・サクソンは、大東亜戦争において日本人が正しいことをしたという根拠と記録を抹殺する意図をもってイギリス、アメリカの悪業を書いた本の焚書を行った。
参考文献:「豪州連邦」宮田峯一、「豪州史」泉信介、「豪州侵略史」班目文雄、「動く豪州」 「豪州の現勢」 『GHQ焚書図書開封1 381~435P/701P』西尾幹二