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-大川周明の示す大東亜圏の範囲-(GHQ焚書図書開封 第89回)

2017-09-29 06:16:12 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第89回
-大川周明の示す大東亜圏の範囲-
大川周明は、大アジア主義で、満州建国が支那、日本、満州人を救うという見地から、これを肯定していたが、支那との戦争を望まず、日米戦争も望んでおらず、むしろそれを回避するために努力をしていた。
なぜ、そんな民間人の彼がA級戦犯として起訴されたのかは不明である。
大川周明のいう大東亜の概念は幕末につくられた。

◆大東亜圏の内容と範囲
1.大東亜圏の範囲
2.支那
3.印度
4.東北及び東南亜細亜
5.三国精神の客観化としての大東亜秩序

大東亜圏は、現在のワールドカップサッカーアジア地区の範囲に及ぶ。
大東亜三国は、支那,印度、日本。
戦前の日本はアジアは一つという見方で西洋VS東洋の概念が主流であったが、戦後の日本はアジアは多様化しているので西洋VS日本の認識をもつようになった。
「タテ社会の人間関係」中根千枝、「甘えの構造」土居健郎、「日本人の意識構造」「アーロン収容所」会田雄次、「戦争と日本の風土」「肉食の思想」鯖田豊之、「ヨーロッパの個人主義」西尾幹二などが戦後の日本人論の代表作である。
日本は、ヨーロッパによって植民地化され破壊されてしまったアジア諸国の文化・研究を、欧米(インド学はイギリス、ベトナムはフランス)を通じてしか得ることができなかった。
大川周明は西洋精神が主我的、東洋全体の精神が没我的と言い切っているが、日本独自の良さ(家族的共同体的社会)を東洋全体の良さと誤解していたと思われる。
例えば、支那、韓国は家族を大事にするが、それを共同体的社会(会社、組織など)までには及んでいない。
積極的、攻撃的概念のキリスト文明圏に対して、受け身的、防衛的概念としてのアジア主義が育まれたことは事実である。
しかし、思想家としての大川周明の唱えるアジア主義は、リアリティがなく観念的であった。
参考文献:「大東亜秩序建設」大川周明