サハリンマンも生まれて、65年の歳月が経過しています。
戦中期の誕生は「生めや増やせや」の時代背景があったと父母から聞かされました。
樺太で生を受け 終戦後3年間はサハリンで過ごしていました。
父は、戦場に駆り出され母と祖母が留守を守っていました。
当時の記憶は少ないですが、冬にソ連軍戦車が自宅前の国道を雪玉を上げて走行して行った事が印象深いものです。
3年間財産を処分して食い繋いだそうです。
生まれ故郷を裸一貫で離れ北海道へ。
二度と戦争は起きて欲しくありません。
しかし、他国からの武力侵攻があったら武器(武器が在ったら)を持って戦います。
サハリン・トマリ市での故軍人への市民顕花
自国を防衛する姿勢と考えは今だ変化はありません。
ソ連人は嫌いですが、ロシア人は好きです
縁は不思議なもの現在は、サハリンの人たちと仲良く交流しています。
写真は、旧ソ連兵に武器放棄をする旧日本軍 親父の姿とオーバーラップしています。
戦中期の誕生は「生めや増やせや」の時代背景があったと父母から聞かされました。
樺太で生を受け 終戦後3年間はサハリンで過ごしていました。
父は、戦場に駆り出され母と祖母が留守を守っていました。
当時の記憶は少ないですが、冬にソ連軍戦車が自宅前の国道を雪玉を上げて走行して行った事が印象深いものです。
3年間財産を処分して食い繋いだそうです。
生まれ故郷を裸一貫で離れ北海道へ。
二度と戦争は起きて欲しくありません。
しかし、他国からの武力侵攻があったら武器(武器が在ったら)を持って戦います。
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自国を防衛する姿勢と考えは今だ変化はありません。
ソ連人は嫌いですが、ロシア人は好きです
縁は不思議なもの現在は、サハリンの人たちと仲良く交流しています。
写真は、旧ソ連兵に武器放棄をする旧日本軍 親父の姿とオーバーラップしています。