- 梯久美子が語る「私がノンフィクションを書く理由」
梯久美子が語る「私がノンフィクションを書く理由」
Books 文化 2019.03.05たとえ誰も読まなくても、この本を書きたい。
——「ノンフィクション作家」とは、どんな仕事だと思われますか。
ジャーナリストは、「今、世界が知るべきこと」を人々の代わりに取材して伝える役割を持っていて、歴史という縦の流れと、今という横の地平が交わる地点に存在している感じです。そして、書いたものが確実に世の中を変える。
ノンフィクションが世界を変えることはたぶんないでしょう。ただ、この広い世界のどこかに自分の作品を必要としている人がきっといると信じて、遠くにボールを投げることを許されているのが、小説も含めて“作家”というものじゃないでしょうか。
その相手は、もしかしたら今の時代にはいないかもしれない。でも、いつか誰かがどこかで私の作品を見つけ、出会えてよかったと感じてもらえたら嬉しいです。
——最初から読み手を想定して書かれるわけではないのですね。
もう少しで『散るぞ悲しき』が書き上がるという日、徹夜明けで歩いていて自転車にぶつかりそうになりました。「書き終わるまでは死ねないから気を付けないと」とヒヤッとすると同時に、「もし自分以外に読む人がいなくても、私はこの本を書くだろうか」という問いが浮かんできたのです。答えは、「書く」でした。
たとえ誰も読まなかったとしても、世の中には、文章にして書かれるべき人や出来事があるのではないか——。そう強く思ったのです。そのうちの一つが、硫黄島の戦いにおける栗林中将で、それに関しては、どうしても私が書きたいと思った。これは、書き手としての私の欲です。
もちろん一人でも多くの人に読んでもらいたいけれど、その前に、私の手で、私の表現で書きたいという欲望があると、この時に気が付きました。自分のために書くのだからお金にならなくても仕方がないか、という諦めの気持ちも同時に生まれましたが(笑)。
平成は昭和の後始末
——間もなく平成も終わります。昭和を描いてきた梯さんの目に、平成はどんな時代だと映っていますか。
平成が終わる時に、やっと昭和も終わる。そんな感覚でしょうか。平成は、昭和の後始末の時代だったように見えます。昭和が残した数々の宿題に、平成の間に立ち向かい、解決に導いたのか……。あまりうまくできていない気がしています。昭和の影は、普段は目に見えなくても、伏流水のように時折表に顔を出してきます。社会も経済も外交も、次の時代への積み残しがここまで多いとは、平成が始まった頃には、正直、予想できませんでした。
もう一つ気になっているのは、歴史への相対し方です。歴史とは複雑なもので、少し資料にあたった程度では、どちらが悪いとか、あの事件はなかったなど、一言で片付けられるような結論が出るはずありません。ところが現代は、こんがらがった歴史の糸を解きほぐそうと努力する忍耐力や、歴史の複雑さに耐える知性が失われつつあるように感じられます。
——最後に、次回作の予定を教えてください。
一人は、詩人の石垣りんさんです。1920年生まれで、14歳で銀行の見習い行員になり、定年まで働きながら詩を書いた。あとは最近、サハリンに興味を持って何度か出かける中で、ピウスツキというポーランド人の存在を知り、調べています。分割統治下のポーランドで、ロシア皇帝暗殺事件に連座して政治犯としてサハリンに流され、アイヌ民族の女性と結婚し……とドラマチックな人生を送った人。どちらが先になるかはまだ分かりませんが、二人とも深く長い付き合いになりそうです。
インタビュー・文=幸脇 啓子
撮影=三輪 憲亮
(バナー写真=nippon.comオフィスで撮影した梯さん)