9月19日、アゼルバイジャン軍は、隣国アルメニアとの間で係争となっているナゴルノカラバフで「対テロ作戦」と称する軍事作戦を行った。200人もの死者が出たが、アルメニア側は、武装解除などを受け入れ、翌20日には停戦が成立した。この問題の背景と、今後の展開について解説するーー。
旧ソビエト連邦の民族問題
1917年のロシア革命で成立したボリシェヴィキ政権は、レーニン、そしてスターリンによる支配を通じて、広大なソビエト連邦を作り上げた。
広大な領土に多数の民族を抱えるこの大帝国は、スターリンの強力な独裁政治下で、民族の集団移転など弾圧を繰り返してきた。しかし、スターリンの強権支配が終わると、帝国の各地で民族紛争や民族独立の動きが顕在化してきた。
1985年に政権に就いたゴルバチョフのペレストロイカをきっかけに、1991年にソ連邦は解体したが、実はそれを準備したのも民族問題だったのである。フランスのロシア専門家、エレーヌ・カレール=ダンコースは、1978年に公刊した『崩壊した帝国』(邦訳は、1981年、新評論)で、そのことを予見していた。
多くの民族をかかえる帝政ロシア、そして後のソ連邦、さらには今日のロシア連邦にとっても、民族問題は政権の命運を決するくらいに重要な問題であったし、あり続けている。今プーチンが試みているのは、「崩壊した帝国」の再建である。
プーチンは、2000年にはチェチェンで、2008年にはグルジア(現ジョージア)で、2014年にはクリミアで、崩壊した帝国を修復する戦いに成功している。2022年のウクライナ侵攻も、その一環であり、ウクライナも、ロシアの為政者にとっては永遠の試練、民族問題なのである。
さて、ソ連では1980年代後半にペレストロイカの波に乗って、民族問題が一気に噴出した。アゼルバイジャンとアルメニアの紛争もそうである。
アゼルバイジャン共和国の中にありながら、自治州ナゴルノ・カラバフではアルメニア人が人口の多数を占めている。そのため、アルメニア人はアルメニアへの編入を求めて、1988年12月にアゼルバイジャンとの間で紛争が起こった。第一次ナゴルノカラバフ紛争である。
1990年1月にはアルメニア人の村がアゼルバイジャン人に襲撃され、多くの犠牲者を出し、3万人のアルメニア人が避難した。このときは、ソ連軍がバクーに派遣されて、暴動を鎮圧した。
1991年9月には、アルメニア系住民がアゼルバイジャンからの独立を宣言し、紛争が激化した。12月にはソ連邦が解体し、アゼルバイジャンとアルメニアは独立国となったが、その後も、紛争は継続し、1992年1月にはナゴルノカラバフ自治州は「アルツァフ共和国」といして公式に独立宣言した。この紛争は、1994年9月にはアルメニア側の勝利で停戦した。
2020年9月、アゼルバイジャンは、バクーの油田によって富を蓄積して軍事力も強化し、大攻勢をかけ、11月には支配権を奪還した(第二次ナゴルノカラバフ紛争)。同じイスラム教徒で、民族的にも近いトルコがアゼルバイジャンを支援している。
一方、アルメニアはキリスト教(ロシア正教系)であり、ロシアに支援されている。第一次世界大戦中に、アルメニア人はトルコに大量虐殺されており、トルコとは犬猿の仲である。
ロシアはウクライナ戦争で忙殺
2020年の紛争のときも、ロシアは介入せず、今回もそうであり、それがアゼルバイジャンの勝利につながった。
ロシアは平和委維持部隊を駐留させているが、ウクライナ戦争で忙殺されており、実際には傍観状態であった。これは旧ソ連地域に対するロシアの影響力の低下を物語っており、チェチェン、グルジア、クリミアと続いてきた「プーチンの成功物語」も、ウクライナ侵攻で終わりを告げつつあるようである。
それを象徴する出来事が、今回のナゴルノカラバフにおける同盟国アルメニアの敗退である。
アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領は20日、国民に向けたテレビ演説で「主権を回復した」と勝利宣言を行った。
一方、敗北したアルメニアのニコル・パシニャン首相は、「ナゴルノカラバフに住むアルメニア人は民族浄化の危機に直面している」として、アゼルバイジャンのみならずロシアの平和維持部隊の無策も非難した。
ロシアは、アゼルバイジャンを支援するトルコとの関係が悪化することを危惧して介入を躊躇ったようである。これも、トルコが大きな影響を及ぼすウクライナ戦争が背景にある。
実際、アゼルバイジャンが軍事行動を起こしたのは、以上のようなロシアの窮状を念頭に置いた上でのことであった。
コーカサス地方は多くの民族が混在する地域で、同じ土地を民族どうしで奪い合うという民族紛争が頻発してきた。それだけに民族浄化という悲劇も生まれる。
一つの民族が他の民族を虐殺する、追い出すといった民族浄化は、ユーゴスラビア解体過程で、ボスニア・ヘルツェゴビナなどでその悲惨さを我々は見てきた。アルメニアは、それが再現される危機にナゴルノカラバフも直面していると、アルメニアは危惧しているのである。
アルメニアの首都エレバンでは、敗北の責任を問い、パシャニン首相の辞任を求める抗議デモが起こっている。
ナゴルノカラバフから約5千人のアルメニア人が、すでにアルメニアに逃亡してきている。迫害を恐れてのことである。12万人のアルメニア系住民がアルメニアに移住することになれば、人口280万人のアルメニアにとっては、住居の確保をはじめ受け入れが重荷である。
ロシア「帝国の崩壊」へ
今回の事態で、アルメニアはもはやロシアは頼りにできないことを認識しており、9月11日から20日までエレバン近郊でアメリカとの合同軍事演習を行っている。
アルメニアは、ロシア主導で旧ソ連構成国からなる「集団安全保障条約機構(CSTO)」に加盟しているが(他にベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)、この機構から脱退する可能性もある。アルメニアにはロシアの基地があるが、この基地の存続すらできるか否か不明である。
今後、アゼルバイジャンとアルメニアの間で、ナゴルノカラバフの帰属などについて協議されるだろうが、どのような展開になるかは予測がつかない。
ロシアの忠実な同盟国として残っているのは、今やベラルーシのみである。戦争がどのように終結するにしろ、ウクライナが親ロシアになることはない。中央アジアの旧ソ連諸国もモスクワから距離を置き始めている。
「帝国の崩壊」を阻止するために始めたウクライナ侵攻は、ナゴルノカラバフに見るように、皮肉にもその「崩壊」を加速化させている。