「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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「日進市花火関連奇妙な新聞取材」と「長井健司さん殺害後、きょうで4年がたちました」

2011-09-27 02:02:20 | 福島第一原発と放射能

 ある新聞の東京社会部が、僕の日進市での講演会について、講演内容を地元に問い合わせてきたそうです。それで、こっちに直接問い合わせをと伝えましたが、電話をかけてきません。とても、不思議。これは、勝手な推測ですが、講演会で、日進市の花火の件で、ぼくがしゃべったことを、何か引っ掛けて、あやをつけたい可能性かなと思いました。わざわざその新聞の東京本社から、現地に取材を入れる話になっていますし(この程度のネタで東京から普通は取材しません。愛知まで)。残念ながら、日進の花火について、僕は講演会の当日まで、存在も知りませんでした。こちらは、特にもともと見解はありません。京都と同じで、ある種のシンボル的な話でしょうが、実質的なことの有無が大きい僕には優先事項が違います。                                         

 ただし、後で、騒動になったのを報道やネットで知り、そんな話になったのかと思い、懸念していた人を糾弾する感覚がおかしいと思い、ブログに書きました。こういう懸念する人を、大きな力が、非難するのは、ある種の暴力的行為です。こういった暴力的行為から、一般の人を守るのは当たり前のことと思います。僕はそういう主張をしているだけです。シンプルな話です。

 放射能被害ということは、捉えにくいものですが、人々が懸念をしていることを、誹謗中傷することは、ソ連でもふつうに起きたことです。「放射能恐怖症」という単語はそのときに用いられました。最初は、その単語で徹底的に非難しますが、結局、後には、その言葉を用いた意味がなくなります。健康被害が顕在化したからです。寂しい事に、そうならないと、僕が主張していることの意味を正確に理解される事はないと思います。残念ですが(きょうの公営放送の番組内容からも実感)。

 取材の優先事項が人々の健康ではない事も衝撃的です。そんなメディアたちに本当の存在価値などあるのでしょうか、とても不思議です。

 さて、きょうは、9月27日です。僕の友人の長井さん(長井健司)が、ミャンマー軍に殺害されたのは、四年も前のことになります。このブログのアドレスや、メールアドレスがそれを示しています。放射能のことしかこの半年間書いていないこのブログは、もともと長井さん殺害に抗議し、彼のビデオカメラとテープの返却を求めるもので、その署名活動の中心でした。活動は三年間続き、去年から一年間、ほぼ停止しています。特にこの半年は、しょうがないですし、当面は無理と思いますが、長井さんは僕の優先順位は許してくれるかなと、甘く考えています。放射能被害に悩んでこのブログを見ている方も、ブログの過去記事の区分にある長井さんの人柄についての記事などを数本読んでいただければ、僕はちょっと嬉しいです。

 ミャンマー軍もミャンマー政府も長井さんのビデオカメラとテープを返却していません。これを必ず返却する事を、変わらず、要求いたします。