俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

成長・老化と経験

2008-08-07 16:14:20 | Weblog
 もし個人の能力が成長と老化によって決まるなら25歳くらいがピークでその後はどんどん衰える。
 しかし人間には経験を生かして知恵として蓄える能力がありこちらは年々向上する。
 25歳をピークに右肩下がりになる動物的能力と右肩上がりになる経験的能力の和(積?)が総合的能力となる。
 多くのスポーツ選手は経験よりも動物的能力に依存するから30前後がかつてはピークだった。しかし近年高齢のスポーツ選手が増えた。山本昌選手など40代のプロ野球選手は珍しくないし、アメリカのダラ・トーレス選手は41歳で自由形の代表になった。
 肉体以上に経験効果が高い知的活動において何歳がピークになるかは、個人差が大き過ぎるため定説は無いが恐らく50歳くらいだろう。
 経験を積むことで社員が賢くなるトヨタのような会社もあれば、高齢社員を無駄飯食らい・ゴク潰し・給料泥棒扱いをする企業もある。後者のような会社は人を育てていないことを証明する。悪いのは本人ではなく育てられなかった企業だからその責任を本人に押し付けるのは理不尽だ。

大事な人

2008-08-07 16:00:46 | Weblog
 幼児の頃は母によって、子供の頃は友人によって、社会人なら関係者によって、家庭を持てば家族によって、「大事な人」と位置づけられる。こういう他者の評価に基づいて人は自分を「かけがえの無い人」と評価する。しかしこれは欺瞞による精神の安定に過ぎない。
 他者が評価してくれなくなったら事情は一気に暗転する。会社でリストラされたら同時に家族からは濡れ落ち葉扱いをされる。誰も「大事な人」と思ってくれなければ彼は自分の存在意義を失う。
 他者による評価に依存していれば、他者による評価の低下が自分による評価の暴落に繋がる。他者による評価はあくまで参考資料とし、自分で自分を正当に評価すべきだろう。

反成果主義

2008-08-07 15:52:59 | Weblog
 野球では昔から「名選手は必ずしも名監督にはなれない」と言われて来た。私が大好きな長嶋氏などはその例で、身体能力抜群の天才であったため普通の選手を理解できず名監督と言うよりはむしろ迷監督だっただろう。しかし一部の名選手は経験に基づく深い知恵があり、かつて3冠王に輝いた3選手(野村、王、落合)は監督としても立派な実績を残している。
 3冠王になるほどの抜群の野球センスは単に身体能力に頼るだけではなく野球に対する深い理解があるのだろう。しかしこれは例外であり、選手としての能力と監督としての能力は多くの場合一致しない。
 他の業界、例えば芸能を例にすれば、視聴率を稼いだ俳優に台本を書かせたり、人気歌手に作詞・作曲をさせれば大抵失敗するだろう。人には適性があり、別の役割を上手くやれる人より上手くやれない可能性のほうが高い。
 企業で業績をあげる人も色々だ。しっかりした現状分析をして適正な対策を立てる人もいれば、只管「気合だ!気合だ!」と言い続けて叱咤激励するだけの人もいる。前者も後者も成果主義の観点からは成功者だが質は全然違う。
 時には将来の利益を食い潰す形で業績をあげる人もいる。私は継続的に利益をあげる仕組み作りが最重要だと考えており、短期的利益と長期的利益はしばしば相反する。
 単純な成果主義は企業を破綻させかねない。この問題について織田信長から学ぶべきだろう。彼は「功ある者には禄を与えよ。徳ある者には地位を与えよ。」と言った。
 長期的ヴィジョンを欠いた成果には報酬で応えれば良い。間違っても地位を与えてはならない。功と徳(能力)を混同するというところに成果主義の限界が見える。