俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ゴミの捨て方

2008-08-12 18:46:40 | Weblog
 reduce reuse recycle の原則から考えれば、ゴミを捨てるために新たな資源を使うことは許されない。つまりペール用のゴミ袋やゴミ出しのためのヒモ掛けがそれだ。ゴミを捨てるために資源を使うことは愚行だ。
 ゴミはゴミに入れて捨てるのが最も良い。つまりプラスチックゴミは買い物袋に、紙は捨てるダンボールに入れれば良い。
 今のところ大阪市ではこの方法は認められているが一部の自治体では禁止されている。
 指定ゴミ袋に入れて受益者負担を目論むことは本末転倒だ。指定ゴミ制度は不法投棄を増やすという問題も生む。

地球温暖化(2)

2008-08-12 18:38:54 | Weblog
 地球温暖化が常識になりつつある。このことはデータで証明できることであって多分間違ってはいないだろう。しかしその原因を二酸化炭素の増加と決め付けることはかなり疑わしい。
 しばしば示される海水温と二酸化炭素量のグラフは見事に正の相関関係を示している。
 但しこのデータをよく見れば水温の上昇が二酸化炭素濃度に先行している。通常説明される因果とは逆に「水温が上昇するから二酸化炭素が増加する」と理解するほうが正しかろう。
 海水温が上昇すれば海水に含まれる二酸化炭素が放出されることは誰にでも理解できる。炭酸飲料が温められれば「気が抜ける」ことは誰でも知っている。
 二酸化炭素削減の大合唱は、そのことに利権を持つ誰かが影で音頭取りをしているように思えてならない。

ヘソマガリ

2008-08-12 18:27:28 | Weblog
 私はヘソマガリのせいか通説には反対したくなる。
 証明が困難な事象について私は可能性で考える。可能性が60%のであるにもかかわらず世間の評価が90%にも偏ると私は10%の少数者の味方をしたくなる。
 例えば地球温暖化。そもそも地球全体が温暖化しているかどうかに疑問を持つ。局地的な豪雨について「地球温暖化の影響で」という言葉を使われると「えっ?」と思う。
 私が子供の頃は夕立は当たり前だった。暑い日には夕立が付き物だった。これが当たり前でなくなったのは「寒冷化」が起こったからだと思える。夕立は温暖化の影響ではなく「過去返り」だと思える。
 温暖化の可能性が80%だとしてもその原因が二酸化炭素である可能性は60%ぐらいだろう。もしそうなら二酸化炭素の排出が悪である可能性は48%にしかならない。
 奇をてらうつもりは全く無い。50%の可能性しか無いものが80%と評価されることに疑問を表明したいだけだ。仮説に基づく二酸化炭素削減がまるで最高善のように扱われることに大きな危惧を抱く。

乗降客

2008-08-12 18:11:57 | Weblog
 どういう訳かテレビでは余り放映しないが、中国での電車やバスの乗降争いは物凄く激しいらしい。我先にと乗込もうとするから降りる人が降りられず押し合いになって大混乱するらしい。
 冷静に考えれば、降りる客を降ろして隙間を作ってから乗車客を乗せれば良いということは誰にも分かる。ところが全く別の事情がある。乗る人は急いでおり降りる人には急ぐ理由が無い。特に長距離の電車やバスの場合は席を取れるかどうか、いやそれどころか乗れるかどうかは死活問題だ。ダラダラと降りる客を押しのけたくなる気持ちも分かる。
 日本でも「降車優先」の原則が定着したのは比較的新しい。関西ではこのルールが一向に定着しないのでわざわざ降車専用ホームを作ったほどだ。
 今でもたまに抜け駆けをする人がいる。降車客が降り切らない内に乗ろうとする。すると後続の人も一緒になって乗込む。今のところ抜け駆けをする人は少数だからマナーの崩壊には至っていない。しかし昨今のマナーの低下傾向を考えればいつ中国のレベルまで低下しても不思議ではない。