「初めにロゴスありき。ロゴスは神と共にありき。ロゴスは神なりき。」(新約聖書「ヨハネによる福音書」より)
日本語の聖書ではロゴスは「言葉」と訳されている。私は昔からこの訳語に不満を持っていた。言葉は表現のためには非常に不便な道具だ。オーロラを言葉で表現するのが不可能なように、思想を言葉で伝えることは難しい。相手が同等のレベルに達していなければ言葉は伝わらない。
言葉に神秘的な力を認めて言葉を神のように崇め奉るのは嘘つきの詩人と、同じく嘘つきの宗教家だけだ。
新しい思想にはそれに該当する言葉が無いからそれを表現することは困難だ。言葉として存在するのは既に共通認識となった概念だけだ。例えば赤外線を知覚することができる人がいてもその色を伝達することはできない。せいぜい「赤外線色」と一人で名付けるぐらいしかできず、言葉としての意味を持たない。
ところで「初めにロゴスありき」に対してニーチェはこんな見事なパロディを何かに書いていた。ロゴスに「無意味」を充てて「初めに無意味ありき。無意味は神と共にありき。無意味は神なりき。」
私はもう少し真面目に「理(ことわり)」を充てたい。古典ギリシャ語辞典には「論理、真理」という訳語が充てられており「論理」と訳する人もいるが、論理は人工的な約束事だ。論理以前の「法則」や「超越的なルール」と捕らえたほうが良いと思う。
何らかの「法則」が見つけられて、それに基づいて世界は秩序付けられた。原始状態においては混沌であった世界が何らかの秩序を持つことによって意思の疎通が可能となり、人間の大規模な共同生活も可能になったのだろう。
日本語の聖書ではロゴスは「言葉」と訳されている。私は昔からこの訳語に不満を持っていた。言葉は表現のためには非常に不便な道具だ。オーロラを言葉で表現するのが不可能なように、思想を言葉で伝えることは難しい。相手が同等のレベルに達していなければ言葉は伝わらない。
言葉に神秘的な力を認めて言葉を神のように崇め奉るのは嘘つきの詩人と、同じく嘘つきの宗教家だけだ。
新しい思想にはそれに該当する言葉が無いからそれを表現することは困難だ。言葉として存在するのは既に共通認識となった概念だけだ。例えば赤外線を知覚することができる人がいてもその色を伝達することはできない。せいぜい「赤外線色」と一人で名付けるぐらいしかできず、言葉としての意味を持たない。
ところで「初めにロゴスありき」に対してニーチェはこんな見事なパロディを何かに書いていた。ロゴスに「無意味」を充てて「初めに無意味ありき。無意味は神と共にありき。無意味は神なりき。」
私はもう少し真面目に「理(ことわり)」を充てたい。古典ギリシャ語辞典には「論理、真理」という訳語が充てられており「論理」と訳する人もいるが、論理は人工的な約束事だ。論理以前の「法則」や「超越的なルール」と捕らえたほうが良いと思う。
何らかの「法則」が見つけられて、それに基づいて世界は秩序付けられた。原始状態においては混沌であった世界が何らかの秩序を持つことによって意思の疎通が可能となり、人間の大規模な共同生活も可能になったのだろう。