俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

未必の故意

2012-04-13 16:24:37 | Weblog
 昨日、京都で悲惨な交通事故があった。多くの人が暴走する自動車の犠牲となった。容疑者の親族はてんかんの発作が原因だと主張するが多分それはあり得ない。容疑者の軽自動車は最初のタクシーとの衝突以降、車や人に何度もぶつかりながら300m以上直進している。運転者が意識を失った状態で衝突を繰り返しながら15~20秒もの間あの狭い道路を直進できるのは戦車だけだろう。「クラクションを鳴らしていた」とか「震えながらハンドルを握りしめていた」とか「焦った表情だった」といった証言もある。パニック状態に陥ったために暴走したと考えて間違いなかろう。
 今回の事故はともかく、てんかんなどの病気を原因とする交通事故はこれまでに何度も起こっている。法律は飲酒運転には厳しいが病気には甘い。飲酒は自らの意志で制御できるからだろう。しかしてんかんの持病を隠して運転することとバレないと思って飲酒運転をすることとどう違うのだろうか。てんかんや心臓病や認知症などの人が病気を隠して運転することの危険性は飲酒運転と比べて何ら変わらない。充分に未必の故意に該当する。病気に罹ることは本人の責任とは言えないが、病気を隠して事故を起こすことは本人の責任だ。事故を起こさなくても飲酒運転が犯罪であるように、病気を隠して運転をするだけで犯罪と見なすべきだろう、

鼎立

2012-04-13 16:09:01 | Weblog
 三権分立はよくできた制度だと思う。立法・司法・行政の権力が分散されるから権力の暴走を抑止できる。もし立法が暴走しようとすれば司法と行政がそれを阻止する。二権分立ではそうならない。一方の力が強くなれば他方の力は弱まり抑止力としての機能を果たせない。
 これは三国志を想起させる。圧倒的に強力な魏であろうとも蜀か呉と戦えば呉か蜀にその虚を衝かれる。三竦みだからこそ絶妙のバランスが生まれた。
 江戸時代の日本では、権力を幕府が握り、権威を朝廷が、富を商人が握った。三竦みなので突出しなかった。
 二大政党制は極悪の制度だ。甲の失敗は乙の利益になるからお互いに足を引っ張り合うばかりだ。こうして甲も乙も評価を下げて政治不信を招く。三竦みになっていれば低レベルな泥試合は第三勢力を利することになるので建設的な方向に向かうだろう。
 中国では三権の上に共産党が君臨する。三権は党の意向に従わねばならないから形骸化する。毎年、数千人が死刑にされるのはこんな酷いシステムの弊害だろう。
 北朝鮮にも党・国・軍という三権がある。しかしこれを分立させず一人の権力者に委ねる。三権を悪用した独裁体制だ。

マスコミ

2012-04-13 15:52:41 | Weblog
 日本の新聞・テレビの情報発信力は北朝鮮や中国並み、あるいはそれ以下ではないだろうか。政府が発表する情報をそのまま報道するということでは同レベルだが、北朝鮮や中国では言論統制のためにそうせざるを得ないのに対して、日本では自主的に垂れ流しに励んでいるのだからより悪質だ。
 この一因は記者クラブ制度にあるだろう。主な省庁などには記者クラブが設けられ、主要メディアの記者はここに常駐する。記者クラブでは妙な連帯意識が醸される。他社の記者は競争相手ではなく同業者だ。お役所は便宜を提供してくれるスポンサーだ。これではマスコミ各社が横並びになり、突出した記事や批判的な記事は書けなくなってしまう。
 12日の朝日新聞の夕刊に謝罪記事が掲載された。四国電力の火力発電所について「全体として事実と異なる記事を掲載し」たとのことだった。多分、垂れ込み情報を鵜呑みにして記事にしたのだろう。普段から垂れ流し記事ばかり書いているから嘘を見抜く能力を失っているようだ。
 昨年の3月中旬にマスコミ各社は許し難いダブルスタンダードを採用した。報道では原発から20㎞圏外は安全としながら自分達は揃って30㎞圏外に避難した。もし政府の発表が妥当ならそれに従うべきだし、異存があるなら自分達が30㎞圏外に避難する理由を告知すべきだろう。報道と行動は一致せねばならない。二枚舌は許されまい。