俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

風邪

2012-04-20 15:12:56 | Weblog
 久し振りに風邪をひいた。2年振りか3年振りだろう。1週間近くの間、体と脳の働きが低下していた。
 今回の風邪には次のように対処した。①薬は飲まない②睡眠時間を増やす③食事量を増やす④運動量を減らす。風邪が治った時点で体重が減っていることに少なからず驚いた。増えて当然と思っていたからだ。動かず食べて寝る、これは間違いなく体重を増やす要因なのに逆の結果となった。なぜ?
 摂取に注目するなら、消化吸収力が落ちたのだろう。食べる量を増やしても吸収できなければ体重は増えない。消費に注目すれば、通常の生体維持活動以外に病からの回復に少なからずエネルギーが使われたのだろう。
 薬品を使ったダイエット法も同じような仕組みと思われる。有害物で体に負荷を掛けて同時に消化吸収力を衰えさせれば、意識的な努力は必要無いから、無理せずに痩せられたと思い込む。しかし実は内臓に無理をさせている。内臓に対する負荷が大きいほどダイエット効果も大きい。これは毒物ダイエット法とも呼ぶべき危険なやり方だろう。

尖閣諸島

2012-04-20 14:58:08 | Weblog
 石原知事は東京都が尖閣諸島を購入することを発表した。国が動かないから都が動いたということだろう。これを中国に対する挑発と取る人もいるがこれは必要なことだ。なぜなら尖閣諸島の帰属はかなり曖昧だからだ。曖昧だからこそ中国が主権を主張する。これは決して戯言ではない。
 戦前までは確実に日本の領土だった。しかし昭和20年に日本が受諾した「ポツダム宣言」では「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等(註:連合軍)の決定する諸小島に局限」とされ、その後の26年の「サンフランシスコ平和条約」でも47年の沖縄返還でも尖閣諸島については触れられていない。触れていないからどちらとも解釈できる。曖昧なままにしないためには強く主張をせねばならない。
 地続きのヨーロッパと違って海が国境になっている日本では領土意識が乏しい。例えば対馬の少なくない土地が韓国人によって買収され、本土の幾つかの水源地が中国系企業に買収されていることにどれだけの人が危惧の念を抱いているだろうか。水源地を抑えられたら中国系企業から水を買わねばならないということにもなりかねない。
 拠点地を民間人が所有することは危険を伴う。尖閣諸島などは公有することが望ましい。都が言い出したから初めて国も石垣市も重い腰を上げた。石原知事は貴重な一石を投じたと思う。

できること

2012-04-20 14:45:27 | Weblog
 できることのために全力を尽くすべきであり、できないことのために力を無駄遣いすべきではない。できないことは沢山ある。不老不死、天国へ行くこと、錬金術、絶対に壊れない施設を作ることetc.etc.。これらをできることと信じての努力は徒労に終わる。
 できないことではなく、できることを目指さねばならない。健康であること、正しく生きること、優れた化合物を合成すること、耐震性の高い施設を作ること、これらを達成することなら可能だ。不可能な目標ではなく可能な目標を持つこと、そのためには不可能と可能を識別することが必要だ。高い理想は好ましいが、不可能な理想は無価値であるだけではなく有害でさえある。
 あらゆる施設は小さな地震に耐えられねばならないが、最大級の地震や津波に耐えられる技術は無い。従って原発や超高層ビルのような破壊されたら困るような代物は作るべきではない。総ての施設は壊れることを前提として作られねばならない。自然を超克しようなどと傲慢なことは考えず、柳のように受け流すことや、破壊されたら復興すれば良いというぐらいのいい加減さも必要なことだろう。不可能なことを可能にしようとするから多くの神話が必要になり、いずれはその神話の嘘が暴かれる。