俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

口の中

2008-03-15 19:34:20 | Weblog
 口の容積は一体どれぐらいだと感じられているだろうか。主観的には頭の半分ぐらいを占めているように感じられる。勿論それは誤りで、指を入れても鏡を見ても検証できる。
 それほど主観は「主観的」だ。自分のことは針小棒大に感じる。他人の大事件より自分の小事件のほうが気に掛かる。他人の死よりも自分のちっぽけな怪我のほうが大事件だと感じる。遠く離れた国の戦災や飢饉など殆んど実感することができない。
 人間はこれほどまでに「主観的」だから、衣食が足りないうちは礼節を知ることができないのだろう。

水泳の効能

2008-03-15 19:27:32 | Weblog
 健康のためのスポーツとして水泳は最高のものだと思っている。その理由として①手軽さと②トレーニング効果が挙げられる。
  ①手軽さ
 水泳は1人でできる。対戦相手もアシスタントも必要無いから、近所に公共施設さえあればいつでも安価で利用できる。体調に合わせて運動量を自由に加減できるし、女性用のファッション性の高い水着以外は他のスポーツ用具と比べて格段に安い。靴さえ必要でないということは価格面での大きな魅力だ。
  ②トレーニング効果
 足腰に負担が掛からないので腰痛や膝痛を持つ人のリハビリにも使える。他のスポーツでは避けられない打撲や捻挫などの怪我をする可能性も皆無に等しい。スポーツの3大要素のうちパワーとスタミナを重点的に鍛えられることも大きな魅力だ。(もう1つの要素の「スピード」は競技スポーツでは重要かつ華やかな要素ではあるが社会生活上では殆んど役に立たない。早く走ったり速い球を投げる機会など全く無いのだから。)

混沌

2008-03-15 19:15:51 | Weblog
 物事は本来混沌のようなものだ。あるいは円錐のようなものと言っても良いかも知れない。円錐は横から見れば三角形に、上か下から見れば円に見える。
 事実は決して単純なものではなく、人の立場の数だけ「事実(より正確に言えば「解釈」)がある。拠って立つ「事実」が食い違えばそれに基づく主張が平行線を辿るのは当然のことだ。三角錐を三角形と思っている人と円と思っている人が議論しても噛み合う筈が無い。議論する前に「事実」についてよく検証しておく必要がある。

従業員尊重

2008-03-11 14:33:46 | Weblog
 アメリカのディズニーランドは従業員(「キャスト」と呼ぶ)を大切にする企業らしい。従業員が快適に働いていないならその不満がゲストに伝わる。従業員が気持ち良く働ければそのサービスのレベルも上がり、快適さの連鎖が生まれる。
 東京ディズニーリゾートでもこの思想は生かされており東京ディズニーシーのど真中を秘密の従業員専用通路が通っているそうだ。
 このことは単にキャストの利便性だけではなくゲストの安全性の向上にも繋がる。万一事故が起きた場合には、混雑する場内ではなく最短距離を結ぶ従業員用通路を使って病人や怪我人を運ぶことができるからだ。言わば至便な非常用通路を先に用意して、それを従業員用通路として使っているようなものだ。
 ゲストを快適に迎えるためにキャストを厚遇することは素晴らしい戦略だ。残業で疲れ果てた「名ばかり管理職」には「スマイル0円」のサービスは困難だろう。

鯨の保護

2008-03-11 14:21:42 | Weblog
 シーシェパードの行為は徳川5代将軍綱吉の生類憐れみの令を思い出させる。鯨や犬を大切にすることは勿論正しい。しかしそれが人より大切にされるなら理不尽なことだ。
 正しい目的のためなら手段を選ばないという考え方は多くの独善家に共通に見られる危険な思想だ。増してや「正しいと信じる」ことを推進するためには、それを「正しいと信じない」人に対して危害を加えても構わないという考えは狂信家のものでしかない。

思考のアウトソーシング

2008-03-11 14:14:02 | Weblog
 それぞれの人が考えるなら民主主義(多数決)は意味がある。様々な立場の人がお互いに意見を出し合って解決に向かうなら素晴らしいことだ。ところが考えない人が多数を占めれば民主主義は危険だ。彼らはマスコミを盲信して「空気」に流される。偏った情報を信じ込んで偏見に凝り固まる。多くの人が同じことを言っているという理由だけで正しい考えだと信じる。
 困ったことに自分で考えるよりも多数者に迎合するほうがずっと楽なのが現実だ。多くの人が考えるという面倒な行為を放棄している。私のような「考えることが好き」と自称している人間でも酔っ払うと考えることが面倒臭くなる。どうせよく分からないことだからと安易に不和雷同してしまう。
 正しい考えだから多数意見になるのではなく、多数意見だから正しい考えだと見なされることが余りにも多すぎる。
 ナチス・ドイツがワイマール共和国で民主的手続きを経て生まれたことを忘れてはならない。盲信は狂信に繋がる。

アイデアマン

2008-03-05 19:51:53 | Weblog
 アイデアマンは単独では余り成果を残せない。彼は新しい知恵を出すことは好きでもその知恵を実現するという面倒なことは好きではない。アイデアマンは基本的には怠け者で自分が楽をするために一所懸命知恵を出す。自分のアイデアを実現するために努力することは彼の趣味に背く。
 怠け者のアイデアマンが勤勉な人とコンビを組むと抜群の成果を生む。アイデアマンの欠陥を勤勉な人がカバーする。多分、成功したアイデアマンの陰にはこんな縁の下の力持ちがいるのではないだろうか。

読書と食事

2008-03-05 19:45:26 | Weblog
 勉強しても大半は忘れてしまうから無駄なのではないか、とタマに疑う。せっかく読んだ本もすぐに忘れてしまう。同じ本を2度買って途中まで読んでから以前に読んだ気がして書棚を調べてその本が見つかるとがっかりする。無駄な買物をしたということ以上に途中まで気付かなかったということを嘆く。
 しかし多分「うろ覚え」という形で記憶に残って自分の知恵の元になっていると信じたい。朝食を食べても昼には腹が減るからといって決して朝食が無駄になっているのではなくちゃんと血肉となっているように、知識も少なからず身に付いていると期待する。読んでも忘れるから無駄だと考えることは、食べても腹が減るから無駄だと思うようなものだろう。

かっぱえびせん

2008-03-02 15:34:39 | Weblog
 カステラはポルトガルから伝わったらしいがカスティーリャだけではなくポルトガルのどこにもカステラのような菓子は残っていない。どこかで歴史が途絶えてしまったのだろう。
 ところで私はフィリピンかタイに旅行すると現地の「かっぱえびせん」をお土産に買って来る。初めて受け取った人は一様に怪訝な顔をする。「なぜこんな物をわざわざ海外から?」と誰もが思う。ところが大半の人がこの商品のファンになる。日本のかっぱえびせんより海老風味が強く遥かに美味しいからだ。多分カルビーの技術指導の元で作られていると思うが本家より旨いのはなぜか?
 日本では海老が高いので小麦粉が多く使われる。一方タイやフィリピンでは海老のほうが安いのかも知れない。あるいは日本ではコストを抑えるために徐々に海老の使用量を減らしているがタイやフィリピンでは当初のレシピどおりに作られているという事情かも知れない。
 かっぱえびせんがカステラのように発祥の地では廃れてタイやフィリピンだけで生き残るというようなことにはなって欲しくない。

本の万引き

2008-03-02 15:23:42 | Weblog
 多くの書店が子供による万引きに悩んでいることは知っていたが、なぜ子供が本を万引きするのか分からなかった。本は嵩張るし重い。もっと「万引き好適品」があるのではないかと思いつつ、子供がいても怪しまれないからぐらいにしか考えていなかった。
 しかし実は「換金し易さ」が最大の理由らしい。古本屋は沢山ありそこへ子供が本を持ち込んでも余り疑われない。
 こういう事情なら万引きを減らす方法を見直すことができる。盗まれないように警戒するより転売を難しくすれば良い。古本屋が買い取る時に身分証明や親の承諾を厳格に求めれば本の万引きは大幅に減るのではないだろうか。