俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

与謝野馨大臣

2011-01-18 15:33:50 | Weblog
 与謝野馨氏が菅内閣の経済財政大臣に就任した。自民党側はなぜあんな死に体内閣にと思っているだろうし、民主党側は小沢グループを差し置いて割り込んだ外様大臣と思っているだろう。どちらからも良く思われていない。
 自民党は民主党政権が失政を重ねるたびに大喜びをしている。国家財政も史上最悪の状態だ。内憂外患を抱えた菅内閣は近々崩壊して政権奪還は時間の問題だと思っているだろう。
 党利党略から考えればそれでも良かろう。与謝野氏は裏切り者だ。しかしちょっと待って欲しい。もし船が2隻あって民主党と自民党が1隻ずつ持っているのなら敵の失敗は味方の利益に繋がる。ところが日本という船は1隻しか無い。民主党が船をボロボロにしてしまったら自民党はそのオンボロ船の舵を取らねばならない。自民党は権力を奪い返して満足なのかも知れないが、迷惑を蒙るのは国民だ。
 氏はそれを座視できなかったのではないだろうか。現在の危機は民主党内閣の危機ではなく日本の危機だと思ったから孤立無援の状態に陥る危険を冒してでも入閣したのではないだろうか。
 与謝野氏は与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫だ。政治家としての利害よりも詩人の末裔としての倫理がこの無謀な行動へと駆り立てたのではないかとも思える。
 氏の就任の本音は「民主党がバラ撒き政策を続ければこの国の財政は破綻する」という思いではないだろうか。しかし民主党内閣の一員としてそんなことは言えない。氏の答弁の歯切れが悪いのはこんな事情からだろう。
 これは過大評価かも知れない。ただ単に政治の中枢から離れていることに耐えられなかっただけなのかも知れない。

民営化

2011-01-18 15:17:57 | Weblog
 イギリスでは水道事業の90%が民営化されてその結果水道料金は平均60%も値上げされたそうだ。なぜ民営化がこんな酷い結果を招いたのだろうか。
 無駄の多い公営事業が民営化されれば無駄な支出が削減されるので料金が下がることが期待される。しかし実は民営化によって料金が下がる訳ではない。民間企業は1円でも多く儲けようと血眼になっている。民間企業とは利益を得るための組織だ。儲けるための組織に任せたら料金が上がることはあっても下がることは期待できない。
 しかし実際には民営化を通じて料金が下がった例は沢山ある。これは競争原理が働くからだ。複数の企業が切磋琢磨をするから価格競争が生じそれを勝ち抜くために仕組みが見直されて合理化が推進される。
 つまり民営化が料金値下げを生むのではなく、競争が料金を値下げさせる。競合他社に負けないために知恵を絞るからコストが削減される。
 競争の無い民間企業はどうしているか。印鑑業界が典型例だ。印鑑という日本独特の商品は海外の企業と競争する必要が無いから価格が高止まりしている。競争の乏しい業界では独占・寡占の弊害が出て価格が高くなる。
 消費者が自由に比較購買できる商品とは違って、水道のようなインフラ事業は自由競争の原理が働かない。独占事業になれば価格は高騰する。
 安易な民営化は国益(国民益)に背く。大切なのは民営化するということではなく、供給者側での自由な競争と利用者側での自由な選択が保証されるということだ。

歌唱賞

2011-01-14 15:41:37 | Weblog
 歌手にとって歌唱賞が最も名誉ある賞だろう。歌手としての能力が評価された賞だからだ。
 ところが昨年の日本レコード大賞は一体何だろうか。最優秀歌唱賞に近藤真彦氏が選ばれた。失礼ながら近藤氏は下手な歌手だ。歌手として下手なレベルではなく素人に混じっても並以下のレベルだ。そんな歌手がなぜ最優秀歌唱賞に選ばれたのか。ジャニーズ事務所の圧力とテレビ局の迎合以外にはあり得ない。これは金正日にノーベル平和賞を与えるような茶番劇だ。
 日本の芸能界は常に大手プロダクションが大きな権力を握っている。古くはナベプロ(渡辺プロダクション)であり、一時期はホリプロであり、現在はジャニーズ事務所だ。
 人気タレントを多く抱える大手プロダクションは陰に陽にテレビ局に圧力を掛ける。多分、新聞社や出版社にも圧力を掛けてスキャンダルや犯罪を揉み消していることだろう。大手プロダクションに所属するメリットは大きいから有望な若手が集まって更に強力になる。
 日本レコード大賞の権威は地に堕ちた。ジャニーズ事務所の取締役という理由で下手な歌手に歌唱賞を与えることは馬を鹿と言いくるめるようなものだ。多分日本人の半分以上は馬と鹿を識別できるだろう。

2011-01-14 15:29:46 | Weblog
 古臭い言い方だが私は自分の徳を磨くことに努めたい。
 個人こそ万物の尺度だ。ある物が美しいかどうかは個人が感じることであって社会が決めることではない。個人にとって重要なのは主観的事実であって客観的事実ではない。本人がどれほど恵まれた境遇にいようとも本人が不幸と感じているなら不幸であるということが事実になる。
 個人の心の中には多くの不純物が混じっている。社会によって教え込まれた常識や誰かによって植え付けられた偏見などが自分の心の一部になっている。これらを識別することによって本来の心が取り戻せる筈だ。
 他人を改善することは難しい。そんな小さな親切は大きなお世話でしかない。しかし自分を改善することは自分一人の意思でできる。
 他人の心を豊かにすることも難しい。しかし自分の心を豊かにすることは可能だ。心が豊かになれば世界の見え方も変わる。多分従来以上に豊かな世界が見えることになるだろう。
 幸いなことに日本は豊かな国だ。我々はミャンマーやハイチに住んでいる訳ではない。たとえ年金生活者であろうともそれらの国の上流階層の人々以上に経済的にも環境的にも恵まれているだろう。
 現状を是認する気は無いが、些細な幸せをちゃんと評価することを怠りたくない。

薬のリスク(3)

2011-01-14 15:11:26 | Weblog
 7日に東京と大阪の地裁で和解勧告が出されたイレッサ訴訟は薬害とは言い難い事件だ。もしそれが有害なだけの薬なら今も年間10,000人以上の患者に投与されている筈が無い。強い薬効を持ちながら強い副作用を伴う薬を使うかどうかという究極の選択だ。
 この肺癌治療薬イレッサは世界に先駆けて日本で承認された。新薬の承認が欧米より2年送れると言われる日本の厚生労働省が早期に承認したのは顕著な薬効が認められたからだろう。
 しかしその後が頂けない。どういう訳か重い副作用の無い夢の新薬として安易に使われて800人以上が死亡した。
 抗癌剤が重い副作用を伴うことは常識だ。医師も患者も抗癌剤の使用に対しては細心の注意を払う。そこにローリスク・ハイリターンと言われる特効薬が現れれば誰もが飛び付くのは当然のことだ。
 多分この薬は何千人あるいは何万人の命を救っただろう。薬とは人体に異常反応を起こさせる毒性物質なのだから、良く効く薬は副作用も大きい。メリットとデメリットを秤に掛けるしか無い。
 命に関わる病気に罹った人の多くは座して死を待つよりは大きな危険を冒してでもあらゆる可能性に賭けるだろう。その場合は副作用の危険性が高くてもよく効く薬が良い薬だ。
 厚生労働省が萎縮することを私は最も危惧する。「触らぬ神に祟り無し」とばかりに承認を遅らせていれば救える命が救えなくなる。ノーリスク・ハイリターンが理想だがそれはあり得ないのだから、ハイリスク・ハイリターンを避けて通ることはできない。安全だけど効果が乏しいローリスク・ローリターンの薬だけが求められている訳ではない。重病患者には自分の運命を選択する権利がある筈だ。

歩道の自転車(2)

2011-01-11 16:16:01 | Weblog
 私は歩道を走る自転車にしばしば憤りを感じる。道路交通法を無視しており危険だからだ。国民は法律を守る義務がある。国民だけではない。外国人旅行者でさえその国の法律を守らねばならない。知らないということで罪を免れることはできない。
 なぜ歩道が無法地帯になったかについて私は①運転者の無知②警察の怠慢③学校の怠慢、と考えていた。もう1つ大きな原因があった、マスコミの怠慢だ。
 1月6日の朝日新聞の夕刊の社会面トップで「自転車 危険も加速」という記事が掲載されていた。その中で2007年7月に政府が発表した「自転車安全利用5則」が取り上げられていたが、恥ずかしい話だが私はこの5則の存在を知らなかった。
 私のように歩道の自転車問題に関心を持つ者でさえ知らないのは殆ど報道されなかったからだろう。もし市川海老蔵氏の事件並みに報道されていたら誰でも知っている筈だ。
 「自転車安全利用5則」は①自転車は車道が原則、歩道は例外②車道は左側を通行③歩道は歩行者優先で車道寄りを徐行④安全ルールを守る⑤子どもはヘルメットを着用、となっている。
 この5則は守られているだろうか。相変わらず無視されている。もし本気で改善するつもりなら飲酒運転などの違法行為と同様に警察が取り締まらねばならない。警察の仕事は加害者を捕まえるだけではない。事故を未然に防ぐことのほうが重要だ。
 9日の夜のNHKのニュースでは皇居周辺ランナーの危険性について特集をしていたがこんなローカルなニュースよりも全国で問題化している歩道の自転車について特集して一大キャンペーンをすべきだろう。

困った時

2011-01-11 16:00:10 | Weblog
 「困った時の神頼み」という言葉がある。しかし困った時にはどうすべきだろうか。自ら全力を尽くしつつ仲間の最大限の協力を得て苦境を乗り越えるべきだろう。困った時に神様任せにすることは無責任そのものと思える。
 平常時の運営は易しい。前例を踏襲していれば大過無く過ごすことができる。大切なのは苦境を乗り切る力だ。
 「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もある。結果がどうなるかは分からないが、自分達としては最善を尽くした上で結果を待つということだ。困り果てて神様に頼り切るのとは全く逆の姿勢だ。
 当たり前の話だが、人間にはできることとできないことがある。天気を変えることは今の科学ではできない。天気については文字通り運を天に任せるしかない。但し天気は変えられなくても天気に対する対応なら変えることができる。同様に景気を変えることは困難だが不景気に対応することはできる。むしろ不景気であることを無視して冒険的なビジネスに挑んだり、不景気だからと言って総てを諦めたりすることのほうが有害だ。事実を認めた上で可能な範囲で対応すべきだろう。
 困った時こそ神様に頼ってはならない。英語には「天は自ら助くる者を助く」という諺がある。自助努力を怠っての神頼みなど絶対にすべきではない。神頼みに応える神様など有害でさえあろう。それは神の仮面を被った悪魔ではないだろうか。

我欲

2011-01-11 15:33:31 | Weblog
 私は生きがいとは捏造されるべきものだと考えている。意味も無くこの世に投げ出された人間に目的などあろう筈が無い。「人はみんな目的や意味を持って生まれて来た」などとほざく人は大嘘つきだ。
 但し意味も無く生まれたという理由で生を否定したり軽視したりするつもりは全く無い。生は「場」だからだ。何かをするためには生きていなければならない。生きていなければ「無」になってしまう。存在しない者には何もできない。
 何かをすることに社会的な意味付けを求めるのは人間の奇妙な性癖だ。社会のような曖昧なものになぜ頼らねばならないのだろう。社会のような気紛れで無節操なものに支配されるべきではない。意味は自分で作るべきものだ。
 社会的に価値のあることが個人にとっても価値のあることだという歪んだ考えが世を支配しているが、これも間違った考えだ。なぜなら人間は社会的動物であるのと同時に個別的動物だからだ。100%社会的動物であるアリやハチとは違う。個別的動物にとって重要なのは「我欲す」だ。「我欲す」という心が衰弱すれすればその代替として「皆欲す」が現れる。これは自我の弱体化という病だろう。
 利他主義も歪められた感情だ。利他主義者の犠牲によって利己主義者が得をするので奨励されているに過ぎない。曖昧でご都合主義的な他者の意志よりも明確な自己の意志こそ重視すべきだろう。

働きアリ

2011-01-07 12:31:42 | Weblog
 働きアリの2割ほどが殆ど働かないそうだ。ではこれは怠け者の「働かない働きアリ」なのだろうか。どうやらそうではないらしい。と言うのはこの「働かない働きアリ」ばかりを集めて巣を作らせるとやはり8割が働いて2割が働かないらしい。一方、よく働いているアリばかりを集めても同じように2割が「働かない働きアリ」になってしまうそうだ。
 社会性昆虫の代表とも言えるアリにこんな奇妙な性質があるのはなぜだろう。何か合理的な理由がある筈だ。
 有力な仮説の1つとして「予備」という考え方がある。全員が働いていると突発的な出来事に対応できないということだ。
 アリでもやはり働くと疲れる。疲れたアリでは非常事態には対応できない。そのために予備役が常にいるという訳だ。
 これはサッカーのスーパーサブに似たシステムだ。両チームの選手に疲れが出る終盤に瞬発力のある選手を投入することにとってゲームの流れを一気に変える。これがスーパーサブの役割だ。出ずっぱりの選手にはこんな芸当はできない。
 現代の企業は全員を満遍なく働かせようと躍起になっている。グータラ社員も昼行灯も見かけなくなってしまった。これは果たして企業にとって良いことなのだろうか遮二無二働かせるばかりでは創造性を失う元になるのではないだろうか。もっとアリの社会から学んだほうが良い社会になるのではないかと思う。

統制と硬直

2011-01-07 12:17:07 | Weblog
 韓国統計庁の発表によると2009年の韓国の名目国民総所得は北朝鮮の37倍だったそうだ。朝鮮戦争の直後の時点では北朝鮮のほうが経済力があったが、70年代の後半に逆転してその後差は開き続けているとのことだ。
 北朝鮮のこの停滞の原因は「金王朝」の無能だけが原因ではない。統制社会の宿命とさえ思える。
 統制された社会では新しい芽は育ちにくい。以前に実績のあった物だけが良い物と評価される。旧ソ連の戦闘機に真空管が使われていたことに象徴されるように技術は革新されずそれまでの延長上で物が作られる。
 生物が多様なのは多様なほうが変化に対応できるからだ。ヴァリエーションが乏しければ変化に対応できずに全滅する。
 生物と同様に社会もまた構成員が多様であるほうが変化に対応できる。統制された社会は必ず硬直した社会になる。硬直した社会はいつまででも同じことを繰り返す。まるで縄文式土器を延々と作り続けるようなものだ。
 統制されない社会では新しい物を作ろうとする。統制された社会とは逆に新しい物を作ることに価値があるからだ。
 最も統制された社会は中世のヨーロッパだろう。キリスト教によって統制された民衆は羊のように従順になり文明も文化も衰退した。
 自由は単に個人の権利ではない、社会にとっても必要なことだ。個人の自由が無ければ社会は硬直化する。多様な価値観があってこそ社会は発展する。