Y子と知り合ってから、間もなく60年になろうとしている。その終盤が、このような状態になろうとは、もちろん予想できることではなかったが、今、改めて、これまでの自分を振り返ってみると、反省、後悔、の数々が浮かんでくる。そして、感謝の思いが募る。3年前の病を乗り越えて家に戻ってきたY子に、これから、少しづつでも恩返しをしようと思っていたのだが、わずか2年足らずで病の追い打ちがあり、Y子は病院のベッドに寝た切りの状態になってしまった。今はただ、病室へ行き顔を見せることしかできない(現在は、新型コロナウイルス禍のため、それさえも出来ない)。会話が出来ず、喜怒哀楽もほとんど表現できないY子であるが、何がしかの思いは伝わっていることを信じたい。
2018年9月から約20か月、話すこと、記憶をすること等に苦労することはあったが、身体的には重大な障害が無く過ごすことが出来たので、色々と出かけることもあった。特に、以前のようには出来ないながら、コールアイリスの記念演奏会に向けて、少しづつ練習に参加できたことが収穫であった。そして、2019年9月の「60周年記念演奏会」において、最終ステージの指揮をやり遂げ、多くのみなさんに喜んでいただいた。一時は演奏会で指揮をすることはできないであろうと考えていただけに、大変うれしいことであった。その他、東京、仙台、釧路などへ出かけて栗友会、木声会、コロ・フェスタなどの演奏を聞いたことも良き思い出である。
前記の散歩は日中のことだが、夕方の散歩もあった。それは、月に1~2回であったが、17時~18時ころに、わが家から徒歩で約30分ほどの居酒屋へ夕食に通った。最初のころは30分はきつ過ぎるか?と思うこともあったが、次第に慣れてきて、無事に着いて美味しいビールで乾杯が楽しみであった。美味しい料理で美味しい酒を約2時間、Y子は中ジョッキのビール1杯をたしなむ程度であったが、楽しいと言って喜んでいた。途中、店のマスターが「ママのビール、気が抜けてしまったでしょう」と言って取り替えてくれること度々であった。そして、「ああ美味しかった、楽しかったね!」と、バスかタクシーで帰るのが常であったが、今となっては懐かしい思い出である。
あれやこれやと思いつくことはたくさんあるのだが、それを時系列的に並べて書くのではなく、その日、その時に思いついたことを書くことにする。
まず、思いつくのは、Y子が最初に病に襲われた時からのことである。忘れもしない2017年3月3日の午後、脳出血で倒れて約6か月の入院生活をした。その時の、私の驚き、戸惑い等々については以前にも本ブログで記載したので割愛するが、2019年6月17日に脳梗塞で再度の入院、そして現在に至っている。今度の入院は、退院の目途が無い。そこで思い出すのが、2017年8月中旬に退院し、昨年6月までの我が家で過ごした日々のことである。その間、季節が良くなると時々リハビリを兼ねて二人で近くの公園などを散歩することがあった。その際、Y子は腕を組みたがった。しかし、私は「リハビリなんだから、両手をしっかり振って歩かないといけません。」と拒否していた。それに対して、Y子はいつも不満の表情を見せていた。リハビリのため、という私の言い分は嘘ではなかったが、元来、腕を組んで歩くという習慣が無く、むしろ気恥ずかしさが先に立つ性分であるが故、でもあった。そして、今、立ち上がることも出来なくなったY子とは、腕を組んで歩くことは望んでも出来なくなってしまった。寂しさと、悲しさと、申し訳なさとがないまぜになって度々思い出し、深く反省している。