「聖火リレーin長野」が行われ、何とか予定されたランナー全員が走り終えたようである。まずはおめでたいこと、と言うべきあろうか?その様子を時々テレビを通して見ていたが、ただただ虚しさを感じたものである。このような光景を目の当たりにする度に、「人間は賢くない」と思ってしまう。
今年のように各地で紛争を巻き起こしながら、何ゆえに聖火リレーなるものを強行しなければならないのか?本来、平和と友好のシンボルであるべき聖火が、醜い争いの種になっている。このような状況下では「今回のオリンピックは聖火リレー無し」の決断があってしかるべきであろう。セレモニーが変更になってもオリンピックは成り立つはずである。
聖火は今宵韓国へ向ったようであるが、このまま何とかリレーをやり終えたとしても、その間に蒔いた紛争の種がオリンピックそのものの開催を危うくするのではないか、心配である。少なくとも8703は、たとえ招待を受けたとしても北京オリンピックに出かけようとする心境にはならないであろう、が本音である。
今年のように各地で紛争を巻き起こしながら、何ゆえに聖火リレーなるものを強行しなければならないのか?本来、平和と友好のシンボルであるべき聖火が、醜い争いの種になっている。このような状況下では「今回のオリンピックは聖火リレー無し」の決断があってしかるべきであろう。セレモニーが変更になってもオリンピックは成り立つはずである。
聖火は今宵韓国へ向ったようであるが、このまま何とかリレーをやり終えたとしても、その間に蒔いた紛争の種がオリンピックそのものの開催を危うくするのではないか、心配である。少なくとも8703は、たとえ招待を受けたとしても北京オリンピックに出かけようとする心境にはならないであろう、が本音である。