1960年6月、当時8703は19歳、大学生であった。いわゆる「60年安保」の年であり、学生運動盛んな時代でもあったので、頻繁にデモ参加の動員がかかる学園風景であった。
8703は一応音楽研究室に所属していたが、音研生はごく一部の人以外、学生運動に熱心ではなかった。8703も学生大会とかデモには滅多に顔を出すことはなかった。
しかし、1960年6月15日国会周辺の騒動で樺美智子さんが惨死した。その翌日(16日)には全国規模で抗議のデモ活動が展開された。さすがにこの時だけは、8703も自ら進んでデモに参加し、札幌市内の多数の学生たちと共に、現在の札幌中央警察署前に座り込みを行った。今となっては懐かしい思い出の一齣である。
同じ6月、先日の「YOSAKOIソーラン祭り」を見ていて、一心不乱に踊り跳ねる学生たちの姿は、果たして「平和の象徴」と言うべきか、はたまた「平和ボケの姿」と見るべきか、評価は様々であろうと感じた。飛び切りの笑顔、躍動する姿態からは若さ溢れる明るさは感じるのだが・・・・。