1985(昭和60)年8月12日(月)は忘れることが出来ない日である。この日、私は岩見沢東高等学校音楽室で青島広志氏と松下耕氏に初めてお会いした。当時青島氏がO友社の教育音楽(高校編)に全国各地の高校合唱部を訪問して記事を書く仕事をされていた。その取材で岩東高校へ来てくれたのである。そして、当時O友社でアルバイトをされていた松下耕氏が随行員として同伴されたのである。たしか松下氏23歳、小生44歳、そして合唱部員(部長)の横山琢哉17歳であった(青島氏が何歳であったかは不明)。当時、札幌アカデミー合唱団の指揮者であった故永井征男先生もご一緒されていたはずである。この日の夜には札幌のSTVホールにおいて永井先生指揮のアカデミー合唱団公演があり、青島氏は出演することになっていた。私たちもその演奏会を聞くためにSTVホールへ出かけた。そして、公演の後半で日航ジャンボ機墜落のニュースを聞いたのであった。
下の写真は2018年9月,岩見沢市の某所で翌日練習打ち合わせ中の松下氏と私、この日の深夜に胆振地震発生。