ゴールデンウィーク東京滞在2日目、5月4日は音楽とはしばし離れて、良き仲間たちとの集いの日である。全員が北海道岩見沢東高等学校の卒業生とその家族であり、8703が30歳から45歳まで音楽教師として勤務していたところである。学級担任として関わった者あり、合唱部顧問として関わった者あり、生徒会顧問として関わった者あり、これといって関わりの無かった者あり、年代は50代、60代という14名が集まった。うち11名は高校時代からの顔なじみであったが、残り3名は違った。一人は、合唱部・生徒会両方で関わったY君の妻。もう一人は弟が合唱部・担任として関わった人物の兄K君、最後に残りしW君とは何と本日が初対面であった。W君は昭和46年3月卒業、8703は同年4月に赴任しているので入れ違いであった。K君は昭和47年卒業なので1年間は同じ屋根の下で過ごしている。しかし、面識は無かった。K君とW君は具体的にはフェースブックを通して8703と知り合ったことになる。
さて、5月4日12時30分、東京駅日本橋口至近のレストランが集合場所であった。8703は錦糸町のホテルからたっぷり余裕を見て11時30分ころの電車に乗った。そして、東京駅には12時ころに着いた。駅員に日本橋口を尋ねると「日本橋口は少々複雑なので、とりあえずあちらの方へ進んでから再度確認してください」とのこと。それから1度ならず、2度3度たずね歩いてようやく日本橋口に辿りついたのが12時25分であった。「東京駅は複雑だ!」を強烈に感じたのだが、後に同行した友人から「スマホを使えば簡単ですよ!」と言われた。そうです、8703は今日のために3月末にスマホを入手していたのです。そして、しっかりと身に付けていながら「宝の持ち腐れ」になっていたのです。何とも腹立たしいことである。(続く)
さて、5月4日12時30分、東京駅日本橋口至近のレストランが集合場所であった。8703は錦糸町のホテルからたっぷり余裕を見て11時30分ころの電車に乗った。そして、東京駅には12時ころに着いた。駅員に日本橋口を尋ねると「日本橋口は少々複雑なので、とりあえずあちらの方へ進んでから再度確認してください」とのこと。それから1度ならず、2度3度たずね歩いてようやく日本橋口に辿りついたのが12時25分であった。「東京駅は複雑だ!」を強烈に感じたのだが、後に同行した友人から「スマホを使えば簡単ですよ!」と言われた。そうです、8703は今日のために3月末にスマホを入手していたのです。そして、しっかりと身に付けていながら「宝の持ち腐れ」になっていたのです。何とも腹立たしいことである。(続く)