今朝(早朝)SNSを通して高石ともや逝去の報に接した。17日に京都市内の病院で亡くなったとのことであるが、私にとっては衝撃的なニュースであった。
高石ともや(本名 尻石友也)君は中学校(雨竜中学)、高等学校(滝川高校)と私の後輩であり、お互いに雨竜在住時は家も比較的近くであり、中学時代には近くのグラウンドで一緒に野球をしたこともあった。私が高校二年の時に父親の転勤で雨竜を離れてからは殆ど接点はなったし、高校卒業後の彼についても全く知らずにいた。
私が、高石ともや=尻石友也であることを知ったのは30歳の時であった。岩見沢東高校の音楽教師として赴任し当時の2年生の授業で「みんなに聞いてほしいこの一枚」ということでレコードを募集したことがあった。その中に「想い出の赤いヤッケ」というLP盤があった。それが高石ともやのものであり、「想い出の赤いヤッケ」や「おいらの空は鉄板だ」等々の曲が入っていた。そして、そのジャケットを見て高石ともやが尻石友也であることを知ったのである。
それから数十年経ち、お互いに70代になってから対面する機会があった。ある時、札幌で彼のコンサートがあることを知り、開演前の彼を訪問した。最初は私のことがわからないようであったが、雨竜のことなどを話しているうちに彼の記憶も蘇り、当時私の父親が雨竜中学校の校長であったこと等々、短時間であったが話は弾んだ。そして、私は高石ともやとの出会い(想い出の赤いヤッケ)について語り、最後に「今日のプログラムに想い出の赤いヤッケが入っていないのが残念だ!」、「そうですね、入っていませんね!」のやり取りをして別れた。
そして、本番、彼の歌と語りで約2時間はあっという間に過ぎた。プログラム全曲が終わりアンコールに入った。その最初に出てきたのが「想い出の赤いヤッケ」だった。高石ともやは優しい男だと思いつつ、私は泣きながら聞いた!ごく数年前にも札幌公演があったらしいが、行けなくて残念に思っていた。もう一度会いたかったし、彼の歌を聞きたかった。彼の早すぎる死(私より1歳下)は誠に痛恨の極みであり、残念である。安らかにお眠りください。合掌