8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

Y子闘病記 4.

2017-11-03 05:56:50 | 日記

Y子闘病記という表題ではあるが、いわゆる日記帳的な内容ではなく、時系列的に整理記録されるものではないことをお断りしておきたい。私(8703)が過去を振り返る回想録のようなこともあり、Y子および家族の現状報告もありと、いわば「8703の随想録」といった内容になりそうである。

早速だが、昨日(2日)娘夫婦が長野市から途中秋田、函館と2泊しながら車で岩見沢入りした。後述することになるが、「全くの家事音痴」である8703が、突然のY子の入院という事態に見舞われてから約8ヶ月、悪戦苦闘の日々からようやく解放されるという(もちろん、全面開放ではないが)安堵感は筆舌に尽くしがたい思いを抱いている。これで、明日(4日)キタラで行われる第九の演奏会を聞きに行くことが出来る。久々の出札でありキタラである!

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Y子闘病記 3.

2017-11-01 04:52:53 | 日記

表記が遅れたが、Y子の病名は脳出血であった。日ごろから高血圧症状があり、通院、投薬などは欠かさずに行っていたのだが、たまたま壇上で合唱の指揮を始めようと歩き始めた時に発症したようである(私は、現場にいたわけではなく、居合わせた人から説明を受けた)。毎朝、毎夜の血圧測定は欠かすことなく丹念に手帳に記録していて、記録済みの手帳が何冊も残っているほどである。ただ、家系的に循環器系統の病を患う家族が多く、父親、兄、姉、叔父なども脳出血、脳梗塞を患っている。姉などは、1人就寝中に発症し、起床時間を過ぎても起きてこないので家人が部屋へ行った時には、すでに遅し、ということであった。

Y子の場合は、たまたま市長、文化連盟会長、合唱団員等々、多くの人のいる面前で発症したことが、まさしく不幸中の幸いであったと思っている。所や時間が違っていればどうなっていたことか?それを思うと「これからは多くの方々からいただいた命を生きるのだよ!」とも話ている。しかし、日が経つにつれて本人は「私はどうしたのだろう?」とか「これから私はどうなっていくのでしょう?」とつぶやくことがある。そのこと自体は、ほんの僅かながら元に戻りつつあり、元に戻りたい、という意欲の表れと見て取れると思っている。しかし、私が「あせらないこと。貴女は75歳まで、何事にも一生懸命、真面目に走りすぎるほど頑張って来たのだから、これからは与えられた余生をのんびり過ごしなさい。」と諭すと、本人も「そうだね!」と素直にうなずいている昨今である。

コメント (2)
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