(写真はドゥルガー寺院の前の子供連れの乞食である。
小銭を与えたが、まだ不満そうな顔を撮った。
彼女たちには、「お金をもらってやる」という気持ちがあって、与えても感謝などは全くしない。
要するに
「バクシーシ(喜捨)した者は徳を積むことができた」
、ということであり、ゲームでいうところの経験値がUPしたのだから、むしろ
逆に感謝しろ
、ということである。
カースト制度の影響もあって、乞食から抜け出 . . . 本文を読む
<まさに、インドに仏>
アッシーガートは賑やかでありながら、外れのガートということもあり、比較的変な勧誘もなく、素朴でガートの中では一番好きなガートだった。
アッシーガート
河岸で行われていたヘナアート(消えるラトゥのこと)と河岸のあちこちで見られるシヴァリンガ
だが、この日ちょっとうるさいボートマンにしつこく付きまとわれた。
いつもなら「No Boat」といって相手にしないのだ . . . 本文を読む
<ホモじゃないのだ>
昨日、慣れないネットを駆使した結果、首なし藁人形の正体がわかった。
あれは弁天様の人形がガンジス河にながされて、顔や装飾品が取れてしまい、基本構造の藁だけが残った成れの果てだった。
サラスヴァティー
ラヴィ・ヴァルマ画
(ウィキペディアより引用しました)
インドでは弁天様(サラスヴァティ)の祭があり、もともとの形はコレ↓↓↓
【印度通信 Vol.18】街中がダン . . . 本文を読む
(喧嘩をする乞食 in バラナシ)
<首なし藁人形の怪>
朝から上流に向かってスロージョグ。
カメラの電池が切れそうである。
充電器ももたなかったし、変圧器すらもたなかった。
いまだかつて、それほど写真はとったことがないので必要ないと思っていた。
(学生の頃、登山をしていたが、カメラは一度ももっていったことがなく、そのころの口癖は「カメラのファインダーを覗いて景色を眺めると、その瞬間に楽し . . . 本文を読む
<花売り娘はやさしかった>
サルナートという町は驚くほど爽やかだった。
まず、ゴミがほとんどないし、人も少なく、静かであって豊かな自然に囲まれている。
バラナシとは真逆の景色だった。
日本人にとって、まさに仏教の聖地、ここはインドではないような気がする場所だったのである。
・・・
ということを書きながら、なんだかつまらないと思った。
サルナートが清々しかったのはバラナシのカオスの中に今までい . . . 本文を読む
(写真はサルナートで、奥に高い建物があるが仏塔である。)
<結果がよければ「それでいいのだ」という、バカボンのパパ的考えの国>
ホテルに戻った。
時間はL君との待ち合わせ時間の8時半を過ぎていたので朝食抜きで、水だけ飲もうと水を買いに3階へあがった。
レストランはまだ朝食の用意がされていないようすで、従業員もいなかった。
本来なら8時にはできてるはずだった。
何組かの欧米人がイライラして朝食 . . . 本文を読む
(ガートに刻まれたインド3大神)
<日の出の火葬場>
朝からものすごい霧である。
火葬場のあるマカニカルガードまで走って行くことにした。
(ちなみにカソウバという日本語はバラナシでは誰もが知っている)
走るといっても犬に追いかけられない程度のスロージョギングである。
まだ薄暗い中を走るので、なんとなく気味が悪い。
ただ、犬だけは元気でスロージョグでも追いかけてくる犬がいて、しかたなく木の枝 . . . 本文を読む
(ダシャーシュワメード通りの物乞い)
<インドのカレーは旨い!>
廃墟のビルを正面にみて右手に曲がってみた。
というのも、銀関係のお店がずらり並んでいたからである。
銀の食器、首飾り、指輪、家具装飾、色々ある。
けっこう、写真をとったはずなのだが、なぜか1枚しかなかった。
そこからゴドーリャ交差点に戻り、レストランを探した。
もう、時間は3時ごろだったと思うが、遅い昼食をとりたかった。
. . . 本文を読む
<俺はヒューマン・ビーイング>
ベンガル虎通りを外れて、ソナプラ通りの方へ向かった。
この道はバラナシを訪れた時にTAXI運転手に連れらえてきた道だった。
道に覚えがあった。
旅行の前にグーグルマップを最大に拡大し、印刷して張り合わせ、バラナシ地図を作成していたが、それは全く役に立たなかった。
結構、間違えているのである。
そこで、そのマップの上から自分なりの地図を書き加えた。
それが、以下 . . . 本文を読む
(写真は御土産で売られている石でできたシヴァリンガ)
<神々の性交によって、この世は作られている?>
L君と昼間のゴールデンテンプル(ヴィシュワナート寺院 :シヴァ神をまつった有名な寺院)の門前通りを歩いた。
通りの正面は警官が護衛しており、面倒なのでお店が並ぶところの隙間にある裏道から入ることにした。
(正面入り口と参拝で並ぶ人たち.
他のひとの写真を借りました。)
この祭りの時期はお店 . . . 本文を読む
<犬に追いかけられた変なオジサン>
4時半に目が覚めた。
すぐシャワーを浴びる。
最初はとても熱いが、徐々に温くなる。
多分、まだ夜だからボイラーが動いてないのであろう。
日本からサンダル持参でいったが、シャワー、トイレ履きにしていた。
だが、タイル敷きなので滅茶苦茶滑る。
まるで、スケートリンクのようだ。
しかも、インドの水で目をやられないようにシャワー用に水中メガネを持参していった。
だか . . . 本文を読む
<プージャの夜はババァの夜>
ホテルに戻り、シャワーをまた浴びた後、夜のガンジス川のDashashwamedh Ghat(ダシャーシュワメード・ガート)で、毎日、日没後に祈りの儀式プージャというのをやっていいるので出かけてみた。
もちろん、夜になってしまうのでヘッドライトを持参した。
プージャ(礼拝)とはヒンズー教の神像礼拝の儀礼である。
俺はバラナシ滞在中、毎日みていたが満月が過ぎると、徐々 . . . 本文を読む
<L君のオヤジは大宮デン助だった!>
シャワーを浴びたのち、早速俺はガンジス河へ降りて行った。
やはり、そこにはL君たちがいた。
俺は、ガンジス河の沐浴場沿いに走ろうと計画していたので、その下見を兼ねて歩き回ろうと思っていた。
そして、日本へ無事バラナシのホテルに着いたことをインターネットで連絡すべく、ネットカフェをさがすつもりでいた。
L君は暇だから俺をいろいろ案内するという。
(たしかに . . . 本文を読む
(ホテルの屋上テラスから下を眺める)
<L君との出会い>
ホテルのチェックイン可能時間は12時だった。
まだ、4時間は時間があった。
そこで、近所散策することにした。
ただし、重い荷物を持っての話である。
アグラーでお土産を購入したので、リュックは満杯、手にも命の水である1リッター入りのミネラルウォーター2本を持参していた。
まず、ホテルからガンジス河に出てみたかった。
だが、行き方が . . . 本文を読む
(写真は泊まったガンジス河沿いのホテル)
<バラナシでの一人旅>
朝、起きたら何故かムーガルサライ駅到着10分前だった。
俺は焦ってすぐ洗面所へ向かった。
トイレを済ませ、ベッドに戻ったときは俺の周りは誰もいなかった。
イタリア人とアメリカ人、そしてインド人が同室(というか、同じ空間)だったが、もう、用意万端で降りる準備をしていたようだった。
彼らの方が準備万端だった。
俺は焦って支度をし . . . 本文を読む