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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その2(山の中の寿司屋)

2020年04月07日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)

  
    

峠を越え、アスファルト道路に出てみたものの、すぐさま山道になりました。
静かに特訓していたチューバの白鳥を聴きながら再び山の中に入っていきます。



矢印の方に降りていきます。
ですが、すぐまたアスファルト道路に出ます。
道路がクネクネして山を下りていて、それを突きさすように旧道があるようです。

場所によっては旧道に入るために道路ガードを跨がなければなりません。
旧道の為に少しガードレールを開けて欲しいです。


なんとか、旧道の跡は辛うじて残っていました。


登ったり下りたりしながら、全体には下っていきます。


そして、道が不明瞭な場所にでました。

GPSとスマホの街道アプリをみながら、道を探します。
浅い沢を渡渉したりもしました。


深くて水の流れの激しい沢を危なげな木の橋を渡りました。


写真は渡ってから、後ろを振り返ってみた時の写真です。

橋がボキッと折れて沢に落ちたらケガは免れない。
ヒヤヒヤして渡りました。


桃ノ木茶屋跡

どのような茶屋で、どんな名物があったのか、といったような案内が欲しいところです。
これでは、「あっ、そう!」というだけで、寂しいですね。


駒飼宿脇本陣(富屋)跡

下り坂にある駒飼宿に入りました。
これも案内無しです。
広い空き地になってました。


なんて書いてあるのか、よくわからないのですが多分、(三界)萬霊塔だと思います。

この塔の脇は細い道になっていて、奥の高台に浄土宗、国宝山養真寺という名前のお寺がありました。

寺には寄ってません。


養真寺に向かう細い道


その道の真ん前というか、突き当りが本陣です。
ですから、さきほどの細い道が養真寺参道なんでしょうが、廃れそうな細い道ですね。


宿場の屋号が書かれた案内がありましたが、ちょっと見ていたらこれから向かう川のそばに寿司屋という屋号がありました。

山の中の寿司屋?

鮎とか鮒とかの川魚の鮨でしょうか?

まだ、鮨屋の名残があるかもと思い、先を急ぎました。



馬飼宿の様子


立派な石垣


残念ながら、寿司屋の屋号が表示されただけの民家でした。

どんな寿司をだしていたんでしょうか?


日川にかかる立会橋にて休憩、写真を撮りました。

ここで、シューズを脱ぎワラーチに履き替えです。
靴を脱ぐと足の指が解放されて、気持ちいい。

行動食を少し食べてから、またジョグ開始。


金岡自画地蔵尊碑

何ですかね?

調べてみました。

平安時代、絵画の巨匠、巨勢金岡(こせのかなおか:日本画独自の様式を追求・深化させ、唐絵の影響を脱した大和絵の様式を確立させた功労者、宮中の障壁画などを手掛けた。その作品は一切現存してはいない。この人を題材にした狂言「金岡」というのがある。 )が岩に地蔵尊を描いた所らしいです。

狂言 金岡 (月岡耕漁画)立命館大学の浮世絵資料より

ただ、江戸時代には線が細くなり普段は見えなくなってしまったようですが、水をかけると浮かび上がったそうです。
さらには明治40年の洪水で像は流失し、この地蔵岩を示す碑が残っているのみとのことです。



なんともはや、電信柱の影に隠れた寂しい限りの関所跡
その関所跡の説明書きがありましたので、まだマシかな。

---------以下、説明書きの内容
史跡 鶴瀬関所跡
 甲州道中鶴瀬宿東のこの地は、北は山々に閉ざされ、南は日川に阻まれた天然の要害となっており、郡内領より笹子峠を越えて国中に通ずる要所にあたり、ここを通らずして江戸への出入りが難しいこの地に関所が設けられました。
 この関は甲州道中の小仏関につぐ口留番所として、上り男手形不要、女上下とも改めて、江戸への鉄砲の入りと、大名妻女の江戸からの脱出「入り鉄砲に出女」を特に警戒したと云われています。
・・・関は明け六つ(午前6時)に開門、暮れ六つ(午後6時)に閉門した。享保年間の検地に8間半の間口3間半口留番所1畝歩と言い伝えられています。
 また、参勤交代の際に利用した藩は信濃高遠藩、高島藩、飯田藩でした。
 特に鶴瀬の関は甲州一二関の一つとも云われ重要視され、江戸時代を通じて機能を果たしてきたせきしょであったが、明治2年(1869)に廃関され建物は取り壊されました。
 現在は、道路の拡幅等により往時の面影は失われてしまいましたが、「木戸下」の小字名は残り、後世に残す遺跡として市の史跡に指定されています。

                   平成26年3月   大和まちづくり推進会
---------


江戸より31宿、江戸へ30里27丁、甲府へ5里1丁と書かれた標柱
そして、隣の石碑は何故か鶴瀬宿ではなく「鶴瀬地区」?と刻まれてました。
風情がありませんね。

(つづく)



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