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旧東海道ランニング「東海道走膝痛シ」・・・草津宿~京都三条大橋、その3(完走)

2017年01月07日 | 東海道走膝痛シ(旧東海道ランニング)
11/26(土)旧東海道を遂に完走しました(京都、三条大橋にて)


本日の走破距離は31km


ルネサンス様式の建物、滋賀県庁を左手にみて、旧東海道を走った。
琵琶湖の傍の現在の東海道と旧東海道に挟まれた場所に建っていた。
何処でもそうだが、役所の周りは殺風景である。


昔の大津宿の中心地あたり


その辺りで受験勉強で出てきたと記憶する、あの大津事件があった。

-----以下、ウィキペディアより、大津事件-----
大津事件(おおつじけん)は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件である。


事件前に訪問した長崎でのニコライ皇太子(上野彦馬撮影)

当時の列強の1つであるロシア帝国の艦隊が神戸港にいる中で事件が発生し、まだ発展途上であった日本が武力報復されかねない緊迫した状況下で、行政の干渉を受けながらも司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件とされる。裁判で津田は死刑を免れ無期徒刑となり、日本政府内では外務大臣・青木周蔵と内務大臣・西郷従道が責任を負って辞職し、6月には司法大臣・山田顕義が病気を理由に辞任した。
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よくよく考えてみると、これって大変な事件である。
これを口実に、まだ弱小国であった日本がロシアに征服されてもおかしくない。
日本の瀬戸際外交の歴史である。
大臣の辞職ぐらいで済んだのは奇跡なのだと思った。

尚、司法の独立は以下のような意味です。
-----挫折を繰り返す明治時代の条約改正と大津事件より抜粋-----
大逆罪とは皇族に危害を加える罪で危害を加えようとしただけでも罪になるものです。これをロシアの皇族にも適用しようとしたのです。ところが大審院長である児島惟謙は「大逆罪はあくまで日本の皇族に適用するものである」として(犯人に対して)大逆罪を適用せず、単に謀殺未遂罪を適用し、無期懲役としました。これは「司法権の独立」を守った判決として有名です。
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京町一丁目の交差点
西近江路(北国海道)と旧東海道の追分になる。
ここから、旧東海道は琵琶湖を離れ、直角に左折。
路面電車が通っていた。
西の箱根登山鉄道と呼ばれる京阪京津線である。


道幅が広い道路の真ん中をデーン!と走っている。


小さな風呂屋を発見した!
小町湯である。
小さいながらも唐破風玄関がある。
入り口から男湯と女湯が分かれているようだ。

意外に中は広いようだ。
銭湯ファンの俺としては、時間があれば入ってみたい銭湯なのである。


関蝉丸神社下社である。
京阪京津線が参道を横切っている。
蝉丸とは、すぐ近くの逢坂の関に住んでいた平安時代中期の琵琶法師・歌人で、あの百人一首の、というよりも坊主めくりで札をひくと一回休みになる、あの蝉丸だ。
(正月には、従兄弟同士でお菓子を賭けて遊んだ。)


ウィキペディアより蝉丸

これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関

この境内には小野小町がつかった「関の清水」がある。



清水が流れる小川を利用した何かの養魚場
(傾斜の強い小川を跨いで設置された小屋の中)
たぶん、ウナギだと思われる。
なぜなら、この先の逢坂の関は鰻屋ばかりだからだ。


急こう配を登る京阪京津線
結構早い


関蝉丸神社上社である。


そして、山城国と近江国の国境となっていた関所、逢坂の関跡に着いた。

そして、思い出しました、あの歌。

夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関は許さじ 清少納言 

高校生の夏休み、古文の影山先生に出された鬼の宿題!
百人一首を全部暗記せよ!
は、今になって役立っていたのだった。

あの時は、
「ざっんけんなよ!こんなの覚えてなんの役に立つんじゃあ~!」
と思っていたが、覚えてよかった!

影山先生、感謝します!




左右に鰻の茶屋が林立する逢坂の関
良い匂いがする。
だが、ココは先を急がなければ!
(結局、今回の旧東海道ランでは一度もウナギを食べなかった)


大津算盤の始祖・片岡庄兵衛宅
京阪京津線と東海道は谷間を走っているのだが、その街道沿いにポツンとある。
当時は谷間道の両側に大津絵や縫い針、餅と並んで算盤が売られていた。

片岡は、1612年に、長崎奉行の命を受けて長崎へ行き、そこで明の国の人から算盤をもらい、改良を加えて日本で初めての算盤を製造、以降、幕府御用達の算盤師となったということだ。

ココは、算盤の発祥地だったのである。
ただし、大津算盤は上が2個、下が5個の7つ玉である。

ソロバンの思い出というと、実は、俺も小学生低学年の時、算盤塾に通っていた。

母親に言われて嫌々いっていたのだが、塾の前の空き地で、自分たちの授業が始まる前から友達と馬跳びやメンコをやるのが楽しくて、なんとか通っていた。
特に、塾帰りに肉屋で買い食いした肉厚で熱々のハムカツ(扇形?)が大好きであった。

(こんな形のハムカツ)

だから、今でも肉厚のハムカツは大好きである。
あの味は安価な魚肉系の味だったように思う。
魚肉ハムである。
今でも貧乏人の食べ物というイメージだ。
子供の小遣いで買えるぐらいだから相当安かったと思う。
居酒屋に行くとよく頼むツマミである。

今でも、なにか暗算するときは、エアーソロバンで指を動かす癖がある。



珍しい町名だが、髭茶屋屋敷町(京都の山科地区)のコンビニに入り、昼食をとる。
東海道と奈良街道の追分(分かれ道)があって、髭面のおやじの茶店が目印だったので、そんな名前がついたらしい?

髭茶屋追分の道標

最近、ノンアルコールビールは必ず飲むようになった。



この先、歩道橋を利用して三条通りを横断する。
その案内が電柱の高いところにあった。
これじゃ、誰も気がつかない。



その横断歩道を渡ったあたり

昔、近江の国、藤尾村横木といわれた地区だ。

-----以下、車石・車道研究会より-----
江戸時代の京都周辺の三街道には、人や馬の通る人馬道とは別に、一段低い所に二列に敷かれている一種の軌道があった。この軌道が車道である。

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昔、この辺りは泥濘の道で堅い丈夫な木を横にひき詰め荷車の通行に役立っていた。
だから、横木という地名になった。

その後、木の代わりに花崗岩(車石)がひかれた。
石は溝跡がついていたから、まるで電車の軌道のようだ。
人馬道と軌道、そんな風景を想像してしまう。



今でも、その溝痕のある花崗岩がこの辺りの家の庭石や石垣に使われているとのことだ。


山科地蔵 徳林庵
都で疫病が流行した時に、疫病退散のため平清盛の命で建てられた京都六地蔵の一つである。


旧東海道は騒がしい三条通りに合流するが、すぐ天智天皇陵の麓の御廟野町で、静かで狭い道になる。


ここで良いのだろうかと思うような車がやっと通れるような道になる。


かと思うと、突然視界が広がった。
山は花山山で山腹に京都大学花山天文台があり、山の向こうは清水寺である。

ここから、結構急な上り坂になる。


九条山地区の街道

山のふもとの田舎道のような街道だ。
とても京の都の近くの旧東海道とは思えない寂れた道である。


京都、南禅寺山門

もう、三条大橋は近かった。

橋の上で、旧東海道完走を祝ってもらうため、女房と待ち合わせしていた。

このままでは、俺の方が早く着いてしまう。
そこで、途中寄り道をした。
南禅寺に寄ることにしたのである。



静かな旧東海道とは違い、紅葉の時期であったため、寺は観光客で混雑していた。



山門の上から南禅寺本堂を眺める

今までの疲れが報われたような景色である。
ザックをおろし、残ったお茶と大事にとっておいた大福を食べながら、しばらく休んだ。


南禅寺境内の高徳庵石庭

女房と連絡をとりあい、うまい具合に会えるよう、時間を見計らって出発。
三条大橋を目指した。



京の橋の上で出遭うなんて、牛若丸と弁慶か?武蔵とお通か?
ううん、なんか、歌にでもなりそうな、ちょっと恥ずかしいような…。

なかなか、なかなか、いいもんだ。



これが、ゴールの瞬間です!



なんだか、あっけなく終わりました(笑)



(おしまい)

その日の夜は、女房とふたりで京の町屋造りの料理屋で祝賀会をやるつもりでしたが、観光シーズンにて何処も満席でした。

そこで、いつもの大衆居酒屋に落ち着きました。
串揚げで一杯!






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