右手の岩殿山が家々の間からチラチラ見えていましたが、商店街の中にはいると見えなくなりました。
煉瓦舗装された綺麗な旧甲州街道(さつき通商店街)
狭い道幅と、くねくねと道が曲がっているのが旧道だと感じられるところでしょうか?
所々、飲食店などがあり、かつては賑やかな商店街であったんだろうと思われます。
大月駅の駅前ロータリー
ここは、今でこそ大きな町であり、大きな駅ですが、この大月宿は本陣が1軒、脇本陣が2軒、旅籠は2軒だけの小さな宿場でした。
なお、懐かしきカツ丼食べた店がどこだったか、全く思い出せませんでした。
木村屋菓子舗
和菓子屋さんのようです。
カーテンが閉まっていて、店は開いていませんでしたが、昭和レトロな看板と建物なので自分は駄菓子屋さんかと思ってました。
いま、写真をよくみると、「商い中」の看板が出ているように見えますが、開いているのかな?
この先旧道は国道20号と合流します。
大月橋の東詰め(この裏が橋)
常夜灯と道標が建ってます。
此処が甲州街道と富士道の追分で道標には「左富士山道、右甲州道中」と刻まれていました。
ですが、後で判ったことなのですが、この橋は旧甲州街道ではありませんでした。
Google Mapを見ると、地図上に旧甲州街道と書かれた道が途切れて書き加えられていました。
大月駅から国道20号線にでるまでは旧道と合致したルート(赤い点線のルート)を走っていたのですが、そこからは国道沿いではなく、下の図の青い点線のような感じの道ではなかったかと推察されます。
あくまでも、自分の想像であり、本当のところはわかりません。
俺が推察した旧甲州街道
旧甲州街道アプリでは大月橋東詰めまでは赤い点線と同様で、そこから先は川沿い右手の下流方向にかなり進み、川を渡るようになってました。(茶色の線)
歩道が片側にしかない大月橋を渡る
釣り人が鮎釣りしてました。
自分は中学生の時、釣り部に所属し、ヘラブナ釣りをしてました。
ただ、あまりジッとしていることが苦手で、その性もあるかと思いますが、その後釣りとあまり縁がありませんでした。
ただ、ある登山をしていた時のこと、夜の一人だけのテントの外で、満天の星明りの中のもとで、山で釣ったイワナなどをラジウスのストーブで香ばしい匂いをさせて焼きながら、ウィスキーを飲んでいる人を見かけました。
もうそれは衝撃で、滅茶苦茶、羨ましく、いつか、きっといつか、「俺も開高健をやってみたい!」と思っています。
下の道が旧甲州街道です。
すぐ国道と合流し、 26番目の宿場、下花咲宿に向かいます。
重要文化財の下花咲宿の本陣(明治天皇が京都へ御巡幸の際に小休所したところ)
あまりにも立派で、遠くから見たら、よくある地方の大きなレストランかと思いました。
中は休みなのか、みれませんでした。
富士納豆のHPに詳しく、この本陣のことが書かれてます。
若い女の子が一人鮎釣りしてました。
なかなか、カッコいいなぁと思いましたね。
暫く、国道沿いに走り続けます。
三軒家という交差点から旧甲州街道は消えてしまいます。
左手にJR中央本線が走っているのですが、その本線を渡った向こう側に旧道があったようですが、いまはありません(注)。
(注:後日、わかったことがあります。
この三軒家交差点先の97.8kmポストのあたりにJR中央本線の下をくぐる小さなトンネルがあり、そこから道荒れてはいるが旧甲州街道があるようです。
藪漕ぎ覚悟になります。
実際に歩いた人の記録があります。→パパが歩く甲州街道中
写真もお借りしました。
写真を見る限り、走るのはもちろんのこと、ワラーチは無理なようですね。
正直、そのルート知っていれば、そこを通りたかったです。
できるだけ、旧道を忠実に辿りたい、それが街道ランの醍醐味なのですから。
なお、その地図は、パパが歩く甲州道中を参照してください。)
しばらく、旧道が現れるまで国道をさらに走り続けます。
この辺りは暑くて、やたら水分補給してました。
源氏橋
笹子川とJR中央本線を跨ぐ橋です。
渡ると、旧甲州街道が再びJR沿いに出現します。
源氏橋を渡る
実に長閑な美しい風景です。
そして、これが旧甲州街道になります。
(つづく)
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