猿橋宿の青面金剛王庚申塔
猿橋宿の宿場町らしい雰囲気がなくなり、平凡な国道20号線の景色をしばらく走ると、その景色に不釣り合いな「紅富士大太鼓道場」という建物が目にはいりました。
---------以下、紅富士大太鼓のHPより抜粋
紅富士太鼓の結成は平成9年(1997)1月。そのきっかけとなったのは母体である日本ステンレス工業(株)が行った阪神大震災のボランティア活動。共に参加した青年達の心の成長を目の当たりにし、感動したことでした。この経験を何らかの形として残していきたいと考え、それならば「打てば響く」様な人づくりをとの思いで紅富士太鼓を結成しました。
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Akafuji Daiko - Kazari Matsuri (Fureai Concert 11/01/09)
動画を見ると外国の人も懸命に叩いてますね。
聴いていると、あの強烈なビートとリズムに不思議と日本人の血が騒ぎます!
猿橋駅入口のあたりに創建806年の三嶋神社がありました。
神社の奥には土俵がありました。
桝席はありませんが、このそばで地べたにしゃがみ込んで一休み。
コンビニで買った鮭のオニギリを一つ。
ペットボトルのお茶を3口。
再び走り出すと、国道わきの野原に石仏がポツンとありました。
青面金剛王庚申塔
この先、反対側にカーディーラーがあり、その横を旧道は入って下っていきます。
この下り坂は景色が素晴らしい!
見える川は桂川です。
すると、前方右手に東京電力の発電所建物が見えてきます。
左手にある東京電力駒橋発電所の水圧管路脇を旧東海道は通ります。
その坂を上がったところにJR中央本線の踏切(第五甲州街道踏切)がありました。
虫の音だけがする人気のない風景に、突然、カンカンカンと踏切の音が混ざります。
踏切を渡り、緩い登坂を登りきると一度国道に出て、再び別れると駒橋宿です。
宿場町の面影は殆どなかったと思いました。
厄王大権現と広場
この大権現には霊験あらたかなエピソードがあります。
太平洋戦争終戦2日前の昭和20年8月13日に大月に空襲があり、この時投下された爆弾の一つが桂川で爆発し、その爆風は1.5トンの石をふき上げ100m余りの高さに達したそうです。
附近は国道沿いの人家密集地でしたが、この石は厄王大権現の霊験によって大権現に落下し町民はあやうく難をまぬかれたという事らしいです。
写真の坂を登ると、また国道に出ます。
すると、ようやく宿場町、駒橋宿らしい建物がありました。
国道に出て、すぐ右手にあった民家が下の写真。
美しい趣のある家屋ですね。
(なお、赤矢印の走る方向が逆です。)
同じく進行方向右手に門柱に「橿屋」と記された家がありました。
(なお、これも赤矢印の走る方向が逆です。)
何と読むのか?
かしのや?
きょうや?
旅籠だったみたいです。
吉村糀店
無添加天然醸造味噌を作っているようです。
何年か前まで自分も味噌を手作りしていました。
大豆や糀も無添加、無農薬にこだわっていましたが、今は面倒になりやめてしまいました。
まだ、5年以上前に作った味噌が残ってます。
まだまだ味噌として使えますが、発酵が進んで色が黒ずんでおり、かなりしょっぱくなっているので、人にはあげられません。
旧道は再び国道と別れ、JR中央本線沿いを走るようになりました。
右手は昔、40歳くらいの時かと思いますが、ひとりで登ったことがある岩殿山が見えました。
この岩殿山は戦国期に武田信玄の配下にあった小山田氏が甲府盆地の東の守りとして築いた城山(岩殿城)です。
高くはありませんが、岩場があって、ちょっとスリリングな登山が楽しめます。
そして、富士山の眺めが素晴らしいです。
岩殿山、兜岩、天神山、稚児落とし(秀麗富嶽十二景)
山から下りたら、大月の駅のそばの店で「カツ丼とビール」で一人打ち上げをした思い出があります。
学生の頃、部活動で登山をしていましたが、下山すると必ずと言っていいほど「カツ丼とビール」の打ち上げで、先輩にビールを無理やりガンガン飲まされました。
(否!ほんとうは好きで飲んでましたけど(笑))
その地方の名物料理でビールなら解るのですが、部の伝統なのでしょうか?何故か必ずいつも「カツどん」なのでした。
ですから、今でもカツ丼は大好物なのです。
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
当ブログはボランティア団体不登校・ひきこもりの親の会 FIRST STEPを応援しています。
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猿橋宿の宿場町らしい雰囲気がなくなり、平凡な国道20号線の景色をしばらく走ると、その景色に不釣り合いな「紅富士大太鼓道場」という建物が目にはいりました。
---------以下、紅富士大太鼓のHPより抜粋
紅富士太鼓の結成は平成9年(1997)1月。そのきっかけとなったのは母体である日本ステンレス工業(株)が行った阪神大震災のボランティア活動。共に参加した青年達の心の成長を目の当たりにし、感動したことでした。この経験を何らかの形として残していきたいと考え、それならば「打てば響く」様な人づくりをとの思いで紅富士太鼓を結成しました。
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Akafuji Daiko - Kazari Matsuri (Fureai Concert 11/01/09)
動画を見ると外国の人も懸命に叩いてますね。
聴いていると、あの強烈なビートとリズムに不思議と日本人の血が騒ぎます!
猿橋駅入口のあたりに創建806年の三嶋神社がありました。
神社の奥には土俵がありました。
桝席はありませんが、このそばで地べたにしゃがみ込んで一休み。
コンビニで買った鮭のオニギリを一つ。
ペットボトルのお茶を3口。
再び走り出すと、国道わきの野原に石仏がポツンとありました。
青面金剛王庚申塔
この先、反対側にカーディーラーがあり、その横を旧道は入って下っていきます。
この下り坂は景色が素晴らしい!
見える川は桂川です。
すると、前方右手に東京電力の発電所建物が見えてきます。
左手にある東京電力駒橋発電所の水圧管路脇を旧東海道は通ります。
その坂を上がったところにJR中央本線の踏切(第五甲州街道踏切)がありました。
虫の音だけがする人気のない風景に、突然、カンカンカンと踏切の音が混ざります。
踏切を渡り、緩い登坂を登りきると一度国道に出て、再び別れると駒橋宿です。
宿場町の面影は殆どなかったと思いました。
厄王大権現と広場
この大権現には霊験あらたかなエピソードがあります。
太平洋戦争終戦2日前の昭和20年8月13日に大月に空襲があり、この時投下された爆弾の一つが桂川で爆発し、その爆風は1.5トンの石をふき上げ100m余りの高さに達したそうです。
附近は国道沿いの人家密集地でしたが、この石は厄王大権現の霊験によって大権現に落下し町民はあやうく難をまぬかれたという事らしいです。
写真の坂を登ると、また国道に出ます。
すると、ようやく宿場町、駒橋宿らしい建物がありました。
国道に出て、すぐ右手にあった民家が下の写真。
美しい趣のある家屋ですね。
(なお、赤矢印の走る方向が逆です。)
同じく進行方向右手に門柱に「橿屋」と記された家がありました。
(なお、これも赤矢印の走る方向が逆です。)
何と読むのか?
かしのや?
きょうや?
旅籠だったみたいです。
吉村糀店
無添加天然醸造味噌を作っているようです。
何年か前まで自分も味噌を手作りしていました。
大豆や糀も無添加、無農薬にこだわっていましたが、今は面倒になりやめてしまいました。
まだ、5年以上前に作った味噌が残ってます。
まだまだ味噌として使えますが、発酵が進んで色が黒ずんでおり、かなりしょっぱくなっているので、人にはあげられません。
旧道は再び国道と別れ、JR中央本線沿いを走るようになりました。
右手は昔、40歳くらいの時かと思いますが、ひとりで登ったことがある岩殿山が見えました。
この岩殿山は戦国期に武田信玄の配下にあった小山田氏が甲府盆地の東の守りとして築いた城山(岩殿城)です。
高くはありませんが、岩場があって、ちょっとスリリングな登山が楽しめます。
そして、富士山の眺めが素晴らしいです。
岩殿山、兜岩、天神山、稚児落とし(秀麗富嶽十二景)
山から下りたら、大月の駅のそばの店で「カツ丼とビール」で一人打ち上げをした思い出があります。
学生の頃、部活動で登山をしていましたが、下山すると必ずと言っていいほど「カツ丼とビール」の打ち上げで、先輩にビールを無理やりガンガン飲まされました。
(否!ほんとうは好きで飲んでましたけど(笑))
その地方の名物料理でビールなら解るのですが、部の伝統なのでしょうか?何故か必ずいつも「カツどん」なのでした。
ですから、今でもカツ丼は大好物なのです。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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