(写真は、1週間前のウルトラマラソンのまだ元気な姿)
しばらく、暑いのとウルトラマラソンがあったことで東海道のランニングの旅は、しばし中断していた。
来年の夏前までには京都に着きたいと思っているのだが、秋の涼しいうちにできるだけ走っておきたい。
だから、その分多く取り返そうと、土日の1泊2日で一気に走るつもりだったが、台風23号の影響があり土曜日は静岡は雨であり、さすがに敢えて雨でも走ろうという気にはなれなかった。
だが、幸い日曜日は天気がよさそうである。
そこで、土曜の夜出発し、日曜日に走るという夜行日帰りを決行することにした。
夜行日帰りなんて、学生の時に山へ行ったとき以来のことである。
新宿を深夜出発し、静岡に着いたら朝までネットカフェで仮寝し、明るくなるまで時間をつぶそうという考えである。
前回のバスの利用経験から、深夜バスはガラガラだろうと思っていた。
新宿でのったら、客がたったの3人
これは、超ラッキー横になってデレンッと乗れるぞとおもったのだったが、ところがドッコイ、渋谷で大勢の乗客があり、乗車率100%の完全満員バスになってしまった。
そして、なぜか不思議なことに若い女性客が圧倒的に多く、となりの席も若い女性。
家でしこたまビールを飲んだ俺は、酒臭くて申し訳なく、なるべく窓際に顔を向けながら、息をしないかのように、アルマジロのようにこじんまり丸まって、おとなしく寝たのだった。
着いたところの深夜の静岡駅は、本当に人通りがない。
時間は朝の2時半
新宿とは大違いである。
かろうじて、数名の若者が酔いつぶれ、その周りを仲間たちが介抱したりしていたぐらいである。
その無人の地下街で面白い物発見!
それがコレ
なんなのでしょうか?
新手の危ない商売か?真摯な在野のカウンセラーなのか?
ネットで調べましたが、わからなかった。
ただ、この商売の人物が19時ころからいるらしく、さらには明らかに占い師なる人物も同じ場所に3人ぐらいいて、その手の同業ではないのか?というネット情報は得られた。
まあ、どうでもいいことなんだが、誰もいない駅の地下街にポツンと置かれているのが、俺には『寂しい都会のひとコマ』と感じたので写真をとったまでのことである。
さて、深夜の駅前ネットカフェでは、リクライニングシートで3時間ほど寝た。
3個ぐらい先のブースで、すでにかなり激しい無呼吸症候群らしきイビキの人がいたが、コッチも疲れていたのでまったく気にならずアッというまに寝ることができた。
朝、夜明けとともに起き、ヤマザキのコンビニでサンドウィッチとホット缶コーヒーで軽く朝食。
人気のない都会のビル群の中で夜明けの缶コーヒー・・・なんだか、TVのCMにでも出てきそうな雰囲気だったので、腰に手をあて、朝焼けに向かって一気にコーヒーを飲んだりしてみた(笑)。
6時すぎから、前回の最終地点だった駿府城のあたりを出発点として、ユックリ走り始めた。
朝のけだるい静岡駅
七間町交差点
旧街道は七間町の七ぶらシネマ通りという以前は映画街であったところを走る。
この辺は昔から人が多く行き交う街の入り口でもあったところで、街の外れに位置していたため、昔は活動写真や芝居小屋、寄席、飲食店、遊技場が軒を連らね、昼夜を問わず賑わいを見せていたらしい。
だが、今は沢山あった大きな映画館もなくなってしまい、寂れたモニュメントが残るのみであった。
かつての映画館
その壁画の一部を残したモニュメントと何もなくなってしまった現在
こんな昔の映画作りの機械道具が道路に飾られていた。
それが、かえって昔の名残を感じ、寂しかった。
七間町を含め、この辺は、どこが旧東海道なのか、非常にわかりにくいところだった。
都会の中で、その面影らしきものが消えてしまっているからだ。
大抵は、古いが立派な町並みや街道沿いに植えられた松並木、お寺、常夜灯、などで旧東海道だということがわかるのだが、市内だと名所旧跡のたぐいがないと大変わかりにくい。
ここが旧道なのか、キョロキョロしながら、間違いないかどうか確認しながら走ることになった。
手にガイドブックとカメラを持ち、腰に手ぬぐいのタイツ姿、ザックを背負って、キョロキョロ、キョロキョロ、もう完全に怪しい「変なオジサン」である。
こんな店をみつけると、安心したりする。
こういった神社も安心材料
これは、楽しそうな店(ラジコン専門店 少年科学社)だが、安心材料にはならない。
それでも、なんとか野生の勘で旧道をたどって、名所あべかわ餅のお店にたどり着くことができた。
店は朝早すぎて、やってなかった。
これが、安倍川である。
昔の川越人足の賃銭は、川水の深さで決められ、脇下から乳までならば、人足1人につき64文から膝下16文まで6段階の賃銭が定められていたらしい。
だが、インドのタクシーと同じで、わざと遠回りして深いところを渡り規定以上の料金を要求することが多かったらしいのだ。
そんな様子が弥次喜多の話にでてくるので沼津商工会のHPから引用する
以下、東海道中膝栗毛 二篇から抜粋
-----------------------------------
川越しの人足が声をかけて、
川越し人足「旦那衆、おのぼりかな」
弥次「オイきさまはなんだ」
人足「川越しの人足でござります。安くやるから、お頼ん申します」
喜多「いくらだ」
人足「昨日の雨で水が高いから、一人前六十四文」
喜多「そいつは高い」
人足「ホレ川をマァお見なさい」
と、打ち連れて川ばたに出て、
弥次「なるほど、豪勢な水勢だ、コレ落とすめえよ」
人足「ナニお前、サテそっちをつん向きなさろ」
と、二人を肩車に乗せて川へざぶざぶと入る。
喜多「アヽなんまいだ、なんまいだ。目がまわるようだ」
人足「しっかりわしが頭へとっつきなさろ。アヽコレ、そんなにわしが目をふさがっしゃるな。向こうが見えない」
弥次「なるほど深いわ。コレ落として下さるな」
人足「ナニ落とすもんか」
弥次「それでもひょっと、落としたらどうする」
人足「ハァ落としたところが、たかがお前は、流れてしまはしゃるだけのことだ」
弥次「エヽ流れてたまるものか。イヤもう来たぞ来たぞ。サレヤレご苦労ご苦労」
と、肩車よりおりて賃銭をやり、
弥次「ソレ別に酒手が十六文ヅツ」
人足「ヘイこれは御機嫌よう」
と、川越し人足はすぐに川上の浅いところを渡って帰る。
喜多「アレ弥次さん見ねえ、おいらをば深い所を渡して、六十四文づつふんだくりゃァがった」
川ごしの肩車にてわれわれを 深いところへ引きまわしたり
-----------------------------------
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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しばらく、暑いのとウルトラマラソンがあったことで東海道のランニングの旅は、しばし中断していた。
来年の夏前までには京都に着きたいと思っているのだが、秋の涼しいうちにできるだけ走っておきたい。
だから、その分多く取り返そうと、土日の1泊2日で一気に走るつもりだったが、台風23号の影響があり土曜日は静岡は雨であり、さすがに敢えて雨でも走ろうという気にはなれなかった。
だが、幸い日曜日は天気がよさそうである。
そこで、土曜の夜出発し、日曜日に走るという夜行日帰りを決行することにした。
夜行日帰りなんて、学生の時に山へ行ったとき以来のことである。
新宿を深夜出発し、静岡に着いたら朝までネットカフェで仮寝し、明るくなるまで時間をつぶそうという考えである。
前回のバスの利用経験から、深夜バスはガラガラだろうと思っていた。
新宿でのったら、客がたったの3人
これは、超ラッキー横になってデレンッと乗れるぞとおもったのだったが、ところがドッコイ、渋谷で大勢の乗客があり、乗車率100%の完全満員バスになってしまった。
そして、なぜか不思議なことに若い女性客が圧倒的に多く、となりの席も若い女性。
家でしこたまビールを飲んだ俺は、酒臭くて申し訳なく、なるべく窓際に顔を向けながら、息をしないかのように、アルマジロのようにこじんまり丸まって、おとなしく寝たのだった。
着いたところの深夜の静岡駅は、本当に人通りがない。
時間は朝の2時半
新宿とは大違いである。
かろうじて、数名の若者が酔いつぶれ、その周りを仲間たちが介抱したりしていたぐらいである。
その無人の地下街で面白い物発見!
それがコレ
なんなのでしょうか?
新手の危ない商売か?真摯な在野のカウンセラーなのか?
ネットで調べましたが、わからなかった。
ただ、この商売の人物が19時ころからいるらしく、さらには明らかに占い師なる人物も同じ場所に3人ぐらいいて、その手の同業ではないのか?というネット情報は得られた。
まあ、どうでもいいことなんだが、誰もいない駅の地下街にポツンと置かれているのが、俺には『寂しい都会のひとコマ』と感じたので写真をとったまでのことである。
さて、深夜の駅前ネットカフェでは、リクライニングシートで3時間ほど寝た。
3個ぐらい先のブースで、すでにかなり激しい無呼吸症候群らしきイビキの人がいたが、コッチも疲れていたのでまったく気にならずアッというまに寝ることができた。
朝、夜明けとともに起き、ヤマザキのコンビニでサンドウィッチとホット缶コーヒーで軽く朝食。
人気のない都会のビル群の中で夜明けの缶コーヒー・・・なんだか、TVのCMにでも出てきそうな雰囲気だったので、腰に手をあて、朝焼けに向かって一気にコーヒーを飲んだりしてみた(笑)。
6時すぎから、前回の最終地点だった駿府城のあたりを出発点として、ユックリ走り始めた。
朝のけだるい静岡駅
七間町交差点
旧街道は七間町の七ぶらシネマ通りという以前は映画街であったところを走る。
この辺は昔から人が多く行き交う街の入り口でもあったところで、街の外れに位置していたため、昔は活動写真や芝居小屋、寄席、飲食店、遊技場が軒を連らね、昼夜を問わず賑わいを見せていたらしい。
だが、今は沢山あった大きな映画館もなくなってしまい、寂れたモニュメントが残るのみであった。
かつての映画館
その壁画の一部を残したモニュメントと何もなくなってしまった現在
こんな昔の映画作りの機械道具が道路に飾られていた。
それが、かえって昔の名残を感じ、寂しかった。
七間町を含め、この辺は、どこが旧東海道なのか、非常にわかりにくいところだった。
都会の中で、その面影らしきものが消えてしまっているからだ。
大抵は、古いが立派な町並みや街道沿いに植えられた松並木、お寺、常夜灯、などで旧東海道だということがわかるのだが、市内だと名所旧跡のたぐいがないと大変わかりにくい。
ここが旧道なのか、キョロキョロしながら、間違いないかどうか確認しながら走ることになった。
手にガイドブックとカメラを持ち、腰に手ぬぐいのタイツ姿、ザックを背負って、キョロキョロ、キョロキョロ、もう完全に怪しい「変なオジサン」である。
こんな店をみつけると、安心したりする。
こういった神社も安心材料
これは、楽しそうな店(ラジコン専門店 少年科学社)だが、安心材料にはならない。
それでも、なんとか野生の勘で旧道をたどって、名所あべかわ餅のお店にたどり着くことができた。
店は朝早すぎて、やってなかった。
これが、安倍川である。
昔の川越人足の賃銭は、川水の深さで決められ、脇下から乳までならば、人足1人につき64文から膝下16文まで6段階の賃銭が定められていたらしい。
だが、インドのタクシーと同じで、わざと遠回りして深いところを渡り規定以上の料金を要求することが多かったらしいのだ。
そんな様子が弥次喜多の話にでてくるので沼津商工会のHPから引用する
以下、東海道中膝栗毛 二篇から抜粋
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川越しの人足が声をかけて、
川越し人足「旦那衆、おのぼりかな」
弥次「オイきさまはなんだ」
人足「川越しの人足でござります。安くやるから、お頼ん申します」
喜多「いくらだ」
人足「昨日の雨で水が高いから、一人前六十四文」
喜多「そいつは高い」
人足「ホレ川をマァお見なさい」
と、打ち連れて川ばたに出て、
弥次「なるほど、豪勢な水勢だ、コレ落とすめえよ」
人足「ナニお前、サテそっちをつん向きなさろ」
と、二人を肩車に乗せて川へざぶざぶと入る。
喜多「アヽなんまいだ、なんまいだ。目がまわるようだ」
人足「しっかりわしが頭へとっつきなさろ。アヽコレ、そんなにわしが目をふさがっしゃるな。向こうが見えない」
弥次「なるほど深いわ。コレ落として下さるな」
人足「ナニ落とすもんか」
弥次「それでもひょっと、落としたらどうする」
人足「ハァ落としたところが、たかがお前は、流れてしまはしゃるだけのことだ」
弥次「エヽ流れてたまるものか。イヤもう来たぞ来たぞ。サレヤレご苦労ご苦労」
と、肩車よりおりて賃銭をやり、
弥次「ソレ別に酒手が十六文ヅツ」
人足「ヘイこれは御機嫌よう」
と、川越し人足はすぐに川上の浅いところを渡って帰る。
喜多「アレ弥次さん見ねえ、おいらをば深い所を渡して、六十四文づつふんだくりゃァがった」
川ごしの肩車にてわれわれを 深いところへ引きまわしたり
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(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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