走っていくと、ほどなく由比の宿にでる。
由比といえば、由比正雪だが、俺の場合は週刊少年サンデーに連載されたマンガ・伊賀の影丸(横山光輝作)に登場する幕府転覆を謀る軍学者の正雪である。
(マンガでは正雪も忍者だった気がする。)
だが、残念なことに内容は忘れてしまった。
ただ、ロンゲ(長髪)の姿は印象的だった。
「由比正雪の乱」・・・正雪紺屋のパンフから
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慶安4年(1651年)4月 徳川幕府三代将軍家光が死去すると その7月 由比正雪らにより 幕府転覆が企てられた。 世にいう慶安事件である。 7月29日を期して 江戸 駿府 京都 大阪で一斉に事を起こし 全国の浪人を蜂起 糾合。 正雪は 久能山において東西の指揮にあたるという壮大な計画であった。 しかし 事前に訴人があり 計画が露見。 7月26日 由比正雪は駿府城下の梅屋で同志と共に自刃し果てた。 残された遺書には「今の幕府の政治には多くの者が困っている。 人を集め 事件を起こすことで 心ある人にこのことを知ってもらい 政治を改めさせようと思った」との旨が記されていた。 幕府は この事件を重くみて 浪人の取締や大名の取りつぶしをゆるめ 浪人の救済にあたった。
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由比正雪についてアンサイクロペディアには次のように書かれていた。
「総髪(ロンゲ)で門弟に囲まれ「先生!」と呼ばれている軍学者のイメージは、ほぼ彼がモデルであると言ってよい。」
由比は軍学者だから、先生と呼ばれていたわけだが、そういえば金八先生である武田鉄也も軍学者ではないが当初ロンゲだった。
ただ、しゃべり口は軍学者っぽいかもしれない。(まあ、関係ないやね)
時たま、給水のため、ザックをおろし、邪魔にならないところで腰をおろすのだが、おろした休憩ポイントで、思わぬ発見をした。
塩づくりの窯である。
小さな空き地の片隅に「神沢塩づくりの会」と書いてあった。
(実際に作業している写真が次のブログにあるから、見てください→さわやかウォーキング・新蒲原~男前の浮世絵の摺り師と桜エビのかき揚げ)
そういえば、蒲原をでたあたりからサクラエビという看板が彼方此方ででてくる。
ここはサクラエビの名産地なのだ。
先日、TVでこのあたりの海底から富士山のミネラルを含んだ水が湧き出ているという画像をみた。
このあたりでサクラエビが沢山とれるのは、富士山と関係しているかもしれない。
本当は休んで食べたいのだが、水分を多量にとっているせいか、走っているとかき揚げのような脂っこいものは食べたくない。
生きたサクラエビなら食べたいが、不漁とかいた看板が下げられている店が数軒あったので、新鮮なものは期待できないし、ビールが飲めないならつまらないと思い、食べなかった。
ハイキングだったら、サクラエビ休憩で決まりだ。
乾燥サクラエビなら築地に行けばいくらでも良いものがあるから、御土産もかわなかった。
また、上記の写真ではイルカともかいてあり、この辺りではイルカを食べるらしい。
イルカを食べるのは自由だと思う。
だが、俺はTVで「わんぱくフリッパー」を見ていたので、フリッパーだと思うと食べるのは無理。
Tv Theme Flipper
懐かしいね。
フリッパーを呼ぶときはリールみたいのをジーコ・ジーコと回してたっけ。
次の写真は「イルカのすまし」というもの。
イルカのヒレを薄くスライスし、三日間 かけてきちんと丁寧に血抜きをしたあと、塩茹でしたものだそうな。
別名「蒲原のチューインガム」と呼ばれており、昔からおやつ代わり に食べていたとのこと。
一頭からわずかしか採れないとても貴重品だそうだ。
「全国イイ味ハマル味」より
この辺りじゃ、生シラスも有名らしい。
由比も立派な建物が沢山ある。
間口2間ぐらいしかないが、街道に似合う平入り切妻造りの家を建てていた。
建て方が片側一面の妻から組み立てているのが、面白い。
由比本陣公園である。
本陣跡を整備復元したもので、正門、物見櫓等が復元され、明治天皇が小休止された離れが「御幸亭」となった。
これは脇本陣(手前)と郵便局(奥の白い建物)
由比正雪の生家で染物屋(正雪紺屋)である。
由比も見るところが沢山あるのだ。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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由比といえば、由比正雪だが、俺の場合は週刊少年サンデーに連載されたマンガ・伊賀の影丸(横山光輝作)に登場する幕府転覆を謀る軍学者の正雪である。
(マンガでは正雪も忍者だった気がする。)
だが、残念なことに内容は忘れてしまった。
ただ、ロンゲ(長髪)の姿は印象的だった。
「由比正雪の乱」・・・正雪紺屋のパンフから
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慶安4年(1651年)4月 徳川幕府三代将軍家光が死去すると その7月 由比正雪らにより 幕府転覆が企てられた。 世にいう慶安事件である。 7月29日を期して 江戸 駿府 京都 大阪で一斉に事を起こし 全国の浪人を蜂起 糾合。 正雪は 久能山において東西の指揮にあたるという壮大な計画であった。 しかし 事前に訴人があり 計画が露見。 7月26日 由比正雪は駿府城下の梅屋で同志と共に自刃し果てた。 残された遺書には「今の幕府の政治には多くの者が困っている。 人を集め 事件を起こすことで 心ある人にこのことを知ってもらい 政治を改めさせようと思った」との旨が記されていた。 幕府は この事件を重くみて 浪人の取締や大名の取りつぶしをゆるめ 浪人の救済にあたった。
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由比正雪についてアンサイクロペディアには次のように書かれていた。
「総髪(ロンゲ)で門弟に囲まれ「先生!」と呼ばれている軍学者のイメージは、ほぼ彼がモデルであると言ってよい。」
由比は軍学者だから、先生と呼ばれていたわけだが、そういえば金八先生である武田鉄也も軍学者ではないが当初ロンゲだった。
ただ、しゃべり口は軍学者っぽいかもしれない。(まあ、関係ないやね)
時たま、給水のため、ザックをおろし、邪魔にならないところで腰をおろすのだが、おろした休憩ポイントで、思わぬ発見をした。
塩づくりの窯である。
小さな空き地の片隅に「神沢塩づくりの会」と書いてあった。
(実際に作業している写真が次のブログにあるから、見てください→さわやかウォーキング・新蒲原~男前の浮世絵の摺り師と桜エビのかき揚げ)
そういえば、蒲原をでたあたりからサクラエビという看板が彼方此方ででてくる。
ここはサクラエビの名産地なのだ。
先日、TVでこのあたりの海底から富士山のミネラルを含んだ水が湧き出ているという画像をみた。
このあたりでサクラエビが沢山とれるのは、富士山と関係しているかもしれない。
本当は休んで食べたいのだが、水分を多量にとっているせいか、走っているとかき揚げのような脂っこいものは食べたくない。
生きたサクラエビなら食べたいが、不漁とかいた看板が下げられている店が数軒あったので、新鮮なものは期待できないし、ビールが飲めないならつまらないと思い、食べなかった。
ハイキングだったら、サクラエビ休憩で決まりだ。
乾燥サクラエビなら築地に行けばいくらでも良いものがあるから、御土産もかわなかった。
また、上記の写真ではイルカともかいてあり、この辺りではイルカを食べるらしい。
イルカを食べるのは自由だと思う。
だが、俺はTVで「わんぱくフリッパー」を見ていたので、フリッパーだと思うと食べるのは無理。
Tv Theme Flipper
懐かしいね。
フリッパーを呼ぶときはリールみたいのをジーコ・ジーコと回してたっけ。
次の写真は「イルカのすまし」というもの。
イルカのヒレを薄くスライスし、三日間 かけてきちんと丁寧に血抜きをしたあと、塩茹でしたものだそうな。
別名「蒲原のチューインガム」と呼ばれており、昔からおやつ代わり に食べていたとのこと。
一頭からわずかしか採れないとても貴重品だそうだ。
「全国イイ味ハマル味」より
この辺りじゃ、生シラスも有名らしい。
由比も立派な建物が沢山ある。
間口2間ぐらいしかないが、街道に似合う平入り切妻造りの家を建てていた。
建て方が片側一面の妻から組み立てているのが、面白い。
由比本陣公園である。
本陣跡を整備復元したもので、正門、物見櫓等が復元され、明治天皇が小休止された離れが「御幸亭」となった。
これは脇本陣(手前)と郵便局(奥の白い建物)
由比正雪の生家で染物屋(正雪紺屋)である。
由比も見るところが沢山あるのだ。
(つづく)
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