写真は古都キャンディにて(線路は歩道でもあるのだ。映画「Stand By Me 」みたいである。)
列車は、民家が点在する平地から、高地にあるキャンディにちかづくにつれ、徐々に高度をあげていく。
cf. キャンディ(Kandy:意味は山):スリランカ中部州の州都で、スリランカの仏教の聖地であり、またシンハラ人による最後の王朝の都である。
結構な崖をディーゼル列車が上がっていくのである。
高度を上げるにつれ車内は風通し抜群なので、混んでいても涼しい。
俺は扉のない出入口そばにいたので、身動きが取れず車内が見えなかったのだが、驚くべきことがはじまった。
アコーディオンと太鼓で列車の中で歌が始まったのだ。
唄は多分、民謡ではないかと思う。
こんなに混雑した列車なのにである・・・・。
それも一人や二人ではなく、列車の中の人たちが全員歌っているように思える。
修学旅行のバスで学生たちが皆で歌をうたっているような感じだ。
どういうことなんだろうか・・・?
偶然の出来事なんだろうか?
旅芸人でもいるのだろうか?
似たような経験者がいないかネットで調べてみたけれど、そういう情報はなかった。
とにかく、混んでいても列車の旅を楽しんでいるという感じなのだ。
今思うと、母娘に、あれは何ですかと聞けばよかった。
または無理して車内に押し入ればよかった。
それだけではない。
トンネルにはいると、皆、奇声をあげる。
「フォ~!!!」
まるでレイザーラモンHGのようである。
これもビックリした。
隣に立っていた若者も急に声を張り上げるのだった。
皆さんは、これをなんだと思うだろうか?
これは、トンネル内の反響音を楽しんでいるのである。
日本じゃ、今時、小学生ぐらいしかやらないことを大人たちが楽しんでいるのだ。
純粋な素朴な人たちである。
駅で止まるたびに数人降りていき、空くときもあれば、何人も乗り込んで混みあってしまったり、そんなことを繰り返しながら列車は古都キャンディにむかっていく。
一瞬の隙間を利用して写真をとったり、歌声の聞こえる動画を撮ったり色々したのだが、まったく失敗で実に残念だ。
立ちっぱなしで足は痛くなってきたが、車内から聞こえる歌と楽器と、高地の景色と爽やかな風がうまくマッチして、「これがスリランカだ。」という映画のようなシチュエーションとなり、非常に心地よい、陶酔した気分になる。
嗚呼、なんと素晴らしい景色なんだろうか!!!
(多分、1st classや、特別列車に乗っていたら、こんなことは起きず、ただ景色だけを眺めることになっただろう。)
無残に失敗した写真、動画の中で、たった1枚だけだが残っていたが、その写真はこれである。
今、写真を見ても、いいところにいたんだなぁと思う。
次回行くときは、2等列車で、もっと高地のヌワラエリヤの方まで行ってみたいものだ。
キャンディに着く1駅前に、欧米人が数人降りた駅があった。
この駅はキャンディのすぐ近くであるため、乗車時間や距離から間違いやすい。
俺も下りそうになったのだが、母娘の母親に力強くグッと腕をつかまれ、「もう一駅あるよ」と言われたのだ。
娘が、そんな母親に振り回される姿の俺をみて可憐に笑っていた。
質素なホームでは車掌が降りた欧米人に下車駅を間違えていないか確かめていたようだった。
「ここは、リトル・キャンディだよ。」と母親は言っていた。
キャンディ駅に着き、宿に行く前にセントラル・バスターミナルにいき、色々と様子を見たかった。
なぜならば、キャンディには3つの大きなバスターミナルがあり、明日、明後日の乗車予定しているバスはどこから出るのか確かめておきたかった。
携帯の地図を利用して場所を探そうと思ったが、free-Wifi なんぞは全くなく、GPSは作動するものの、肝心の地図がでてこなかった。(事前に、キャンディ周辺の地図を検索していれば、地図のデータが残っていて使えたように思われる?)
インドでは日本以上に大きな街ならWifiがアチコチで漏れていたので、スリランカもそうだと思っていて、何の心配もしていなかった。
いまさらながらに、携帯はSIMフリーにしておけばよかったと思った。
俺もジジィだから、ドコモやソフトバンク、AUしか知らなかった。
携帯難民の俺は、今でもよくわからないのだが、外国の空港でよくSIMが売られているのは解っていた。
自動販売機で売っていたりもする。
極端な話、道端の露店で兄ちゃんが売ってたりする。
だが、前から、
「SIM?なんだぁこりゃぁ?」、
と思っていた。
だから、今回の旅の前に、どういうことなのか調べてみたのだが、SIMフリーの携帯ならば、現地で格安SIMを購入すれば、アチコチで気楽にデータ通信を使えたらしい。
(この理解って、あってますかね・・・?)
それで、俺のスマホでもできるのかと思ったら、日本のスマホは、ほとんどSIMフリーじゃないらしく、ダメなようなのであった。
俺の携帯は奴隷SIMなのであった。
ちょっと、ソフトバンクに騙されたような気分である。
ナビがなくてもガイドブックだけでわかると、野性の感を自負していた俺は、人に尋ねずに絶対にコッチとばかり違った道を歩いてしまった。
結局、ターミナルを探すのに猛暑の中、1時間も彷徨い苦労してしまった。
結局は人に尋ねて、たどり着いたのだった。
バカだねぇ、早く聞けばいいのに。
道を間違えたとわかり、猛暑の中、水をがぶ飲みしながら駅方向に戻るときの写真(正面のブッタはかなり大きい)
さらには、バスターミナルから宿までも一苦労であった。
ターミナルからは後でわかったことだが、非常に細い裏のぬけ道があって5分程度なのだが、ガイドブックに書かれた大きな通りをグルリと大回りして30分は歩いた。
立ちっぱなしの疲労と猛暑の中歩いた疲労が重なり合って、足は2本の棒の様だ。
宿の前の通りはキャンディでも昔の名残のある通りである。
古そうな家が彼方此方に点在していた。
なんとか、宿を発見する。
宿は「地球の歩き方」にのっているゲストハウスである。
昨日の1泊、万円単位のシティホテルと違って、Wベッドの部屋で、わずか23ドルと格段に安い。(もっと安い宿もあるのだろうが、・・・)
今回の旅では、変化を求め、初日と最後はシティホテル、リゾートホテルに泊まり、その間はできるだけ安くて、面白そうな宿にするつもりでいた。
(できれば、人々の暮らしに近い宿を望んでいた)
当然、今夜の宿は大変なものだろうと覚悟し、また大変興味もあったのだった。
あの、インドのような、ここは牢獄かと思うような宿であるかもしれないことも覚悟していた。
そこは、まず、入り口からして宿とは全く思えなかった。
何故なら、そこの道路に面したところは薬局で、入り口はその脇の細い駐車場の奥にあったからだ。
看板がなければ見過ごしてしまうだろう。
だが、中に入るとインドとは雲泥の差。
昨日のシティホテルとくらべて質素だが、部屋はとても綺麗で清潔であった。
俺には余計な装飾などがなくて、気持ちいい。
象の置物や、華美なベッドメイクは不要である。
荷物を部屋まで運んでくれたボーイさんも、コロンボの「早くよこせよ的なボーイ」とは違い、チップは受け取らなかった。
(俺は今でも、あのチップを渡す習慣は好きじゃない。大した金額じゃないからいいじゃないかと思うかもしれないが、なんだか、昔の奴隷制度の名残なんじゃないかと思えて、相手を見下すような感じがしてしまう。)
また、御主人(女性)のホスピタリティが素晴らしく好感度抜群の宿であった。
キャンディの街の案内など、懇切丁寧にわかりやすい英語で教えてくれた。
バスターミナルへの抜け道もその時教わったものだ。
明日、予定している「象の孤児院」への路線バスでの行き方も教えてくれた。
(俺が、タクシーやトゥクトゥクを使わずに、できるだけ庶民の足である路線バスでいくことについて、大いに旅の醍醐味が倍増すると称賛してくれてうれしかった。)
シャワーを浴びて、汗を流し、サッパリしたところで、外で昼食をとることにした。
だが、まだ昨夜のフィッシュ&チップスがきいていて、あまり食欲がなかった。
そこで、軽く食事をとることにした。
スリランカではパン屋のような店が沢山あって、ファーストフード店のような役割をしている。店先で購入して店内で食べるのだ。
どんな味だかわからないが、見た目で2種類のパンと、マンゴジュース(だったかな?)で食事した。
中はカレーパンのような具が入っていた。
味は、まあまあだと思うが、日本のカレーパンのほうが旨いと思った。
この辺りでカレーパン売ったら、大人気になるんじゃないだろうか?
(つづく)
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列車は、民家が点在する平地から、高地にあるキャンディにちかづくにつれ、徐々に高度をあげていく。
cf. キャンディ(Kandy:意味は山):スリランカ中部州の州都で、スリランカの仏教の聖地であり、またシンハラ人による最後の王朝の都である。
結構な崖をディーゼル列車が上がっていくのである。
高度を上げるにつれ車内は風通し抜群なので、混んでいても涼しい。
俺は扉のない出入口そばにいたので、身動きが取れず車内が見えなかったのだが、驚くべきことがはじまった。
アコーディオンと太鼓で列車の中で歌が始まったのだ。
唄は多分、民謡ではないかと思う。
こんなに混雑した列車なのにである・・・・。
それも一人や二人ではなく、列車の中の人たちが全員歌っているように思える。
修学旅行のバスで学生たちが皆で歌をうたっているような感じだ。
どういうことなんだろうか・・・?
偶然の出来事なんだろうか?
旅芸人でもいるのだろうか?
似たような経験者がいないかネットで調べてみたけれど、そういう情報はなかった。
とにかく、混んでいても列車の旅を楽しんでいるという感じなのだ。
今思うと、母娘に、あれは何ですかと聞けばよかった。
または無理して車内に押し入ればよかった。
それだけではない。
トンネルにはいると、皆、奇声をあげる。
「フォ~!!!」
まるでレイザーラモンHGのようである。
これもビックリした。
隣に立っていた若者も急に声を張り上げるのだった。
皆さんは、これをなんだと思うだろうか?
これは、トンネル内の反響音を楽しんでいるのである。
日本じゃ、今時、小学生ぐらいしかやらないことを大人たちが楽しんでいるのだ。
純粋な素朴な人たちである。
駅で止まるたびに数人降りていき、空くときもあれば、何人も乗り込んで混みあってしまったり、そんなことを繰り返しながら列車は古都キャンディにむかっていく。
一瞬の隙間を利用して写真をとったり、歌声の聞こえる動画を撮ったり色々したのだが、まったく失敗で実に残念だ。
立ちっぱなしで足は痛くなってきたが、車内から聞こえる歌と楽器と、高地の景色と爽やかな風がうまくマッチして、「これがスリランカだ。」という映画のようなシチュエーションとなり、非常に心地よい、陶酔した気分になる。
嗚呼、なんと素晴らしい景色なんだろうか!!!
(多分、1st classや、特別列車に乗っていたら、こんなことは起きず、ただ景色だけを眺めることになっただろう。)
無残に失敗した写真、動画の中で、たった1枚だけだが残っていたが、その写真はこれである。
今、写真を見ても、いいところにいたんだなぁと思う。
次回行くときは、2等列車で、もっと高地のヌワラエリヤの方まで行ってみたいものだ。
キャンディに着く1駅前に、欧米人が数人降りた駅があった。
この駅はキャンディのすぐ近くであるため、乗車時間や距離から間違いやすい。
俺も下りそうになったのだが、母娘の母親に力強くグッと腕をつかまれ、「もう一駅あるよ」と言われたのだ。
娘が、そんな母親に振り回される姿の俺をみて可憐に笑っていた。
質素なホームでは車掌が降りた欧米人に下車駅を間違えていないか確かめていたようだった。
「ここは、リトル・キャンディだよ。」と母親は言っていた。
キャンディ駅に着き、宿に行く前にセントラル・バスターミナルにいき、色々と様子を見たかった。
なぜならば、キャンディには3つの大きなバスターミナルがあり、明日、明後日の乗車予定しているバスはどこから出るのか確かめておきたかった。
携帯の地図を利用して場所を探そうと思ったが、free-Wifi なんぞは全くなく、GPSは作動するものの、肝心の地図がでてこなかった。(事前に、キャンディ周辺の地図を検索していれば、地図のデータが残っていて使えたように思われる?)
インドでは日本以上に大きな街ならWifiがアチコチで漏れていたので、スリランカもそうだと思っていて、何の心配もしていなかった。
いまさらながらに、携帯はSIMフリーにしておけばよかったと思った。
俺もジジィだから、ドコモやソフトバンク、AUしか知らなかった。
携帯難民の俺は、今でもよくわからないのだが、外国の空港でよくSIMが売られているのは解っていた。
自動販売機で売っていたりもする。
極端な話、道端の露店で兄ちゃんが売ってたりする。
だが、前から、
「SIM?なんだぁこりゃぁ?」、
と思っていた。
だから、今回の旅の前に、どういうことなのか調べてみたのだが、SIMフリーの携帯ならば、現地で格安SIMを購入すれば、アチコチで気楽にデータ通信を使えたらしい。
(この理解って、あってますかね・・・?)
それで、俺のスマホでもできるのかと思ったら、日本のスマホは、ほとんどSIMフリーじゃないらしく、ダメなようなのであった。
俺の携帯は奴隷SIMなのであった。
ちょっと、ソフトバンクに騙されたような気分である。
ナビがなくてもガイドブックだけでわかると、野性の感を自負していた俺は、人に尋ねずに絶対にコッチとばかり違った道を歩いてしまった。
結局、ターミナルを探すのに猛暑の中、1時間も彷徨い苦労してしまった。
結局は人に尋ねて、たどり着いたのだった。
バカだねぇ、早く聞けばいいのに。
道を間違えたとわかり、猛暑の中、水をがぶ飲みしながら駅方向に戻るときの写真(正面のブッタはかなり大きい)
さらには、バスターミナルから宿までも一苦労であった。
ターミナルからは後でわかったことだが、非常に細い裏のぬけ道があって5分程度なのだが、ガイドブックに書かれた大きな通りをグルリと大回りして30分は歩いた。
立ちっぱなしの疲労と猛暑の中歩いた疲労が重なり合って、足は2本の棒の様だ。
宿の前の通りはキャンディでも昔の名残のある通りである。
古そうな家が彼方此方に点在していた。
なんとか、宿を発見する。
宿は「地球の歩き方」にのっているゲストハウスである。
昨日の1泊、万円単位のシティホテルと違って、Wベッドの部屋で、わずか23ドルと格段に安い。(もっと安い宿もあるのだろうが、・・・)
今回の旅では、変化を求め、初日と最後はシティホテル、リゾートホテルに泊まり、その間はできるだけ安くて、面白そうな宿にするつもりでいた。
(できれば、人々の暮らしに近い宿を望んでいた)
当然、今夜の宿は大変なものだろうと覚悟し、また大変興味もあったのだった。
あの、インドのような、ここは牢獄かと思うような宿であるかもしれないことも覚悟していた。
そこは、まず、入り口からして宿とは全く思えなかった。
何故なら、そこの道路に面したところは薬局で、入り口はその脇の細い駐車場の奥にあったからだ。
看板がなければ見過ごしてしまうだろう。
だが、中に入るとインドとは雲泥の差。
昨日のシティホテルとくらべて質素だが、部屋はとても綺麗で清潔であった。
俺には余計な装飾などがなくて、気持ちいい。
象の置物や、華美なベッドメイクは不要である。
荷物を部屋まで運んでくれたボーイさんも、コロンボの「早くよこせよ的なボーイ」とは違い、チップは受け取らなかった。
(俺は今でも、あのチップを渡す習慣は好きじゃない。大した金額じゃないからいいじゃないかと思うかもしれないが、なんだか、昔の奴隷制度の名残なんじゃないかと思えて、相手を見下すような感じがしてしまう。)
また、御主人(女性)のホスピタリティが素晴らしく好感度抜群の宿であった。
キャンディの街の案内など、懇切丁寧にわかりやすい英語で教えてくれた。
バスターミナルへの抜け道もその時教わったものだ。
明日、予定している「象の孤児院」への路線バスでの行き方も教えてくれた。
(俺が、タクシーやトゥクトゥクを使わずに、できるだけ庶民の足である路線バスでいくことについて、大いに旅の醍醐味が倍増すると称賛してくれてうれしかった。)
シャワーを浴びて、汗を流し、サッパリしたところで、外で昼食をとることにした。
だが、まだ昨夜のフィッシュ&チップスがきいていて、あまり食欲がなかった。
そこで、軽く食事をとることにした。
スリランカではパン屋のような店が沢山あって、ファーストフード店のような役割をしている。店先で購入して店内で食べるのだ。
どんな味だかわからないが、見た目で2種類のパンと、マンゴジュース(だったかな?)で食事した。
中はカレーパンのような具が入っていた。
味は、まあまあだと思うが、日本のカレーパンのほうが旨いと思った。
この辺りでカレーパン売ったら、大人気になるんじゃないだろうか?
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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映画のワンシーンみたいだったなぁ。
あの景色とみんなの歌声、また行きたい!
また行きたい!