(写真は泊まったガンジス河沿いのホテル)
<バラナシでの一人旅>
朝、起きたら何故かムーガルサライ駅到着10分前だった。
俺は焦ってすぐ洗面所へ向かった。
トイレを済ませ、ベッドに戻ったときは俺の周りは誰もいなかった。
イタリア人とアメリカ人、そしてインド人が同室(というか、同じ空間)だったが、もう、用意万端で降りる準備をしていたようだった。
彼らの方が準備万端だった。
俺は焦って支度をしたが、列車は濃霧のため20分ほど遅れているようだった。
支度が終わったころ、駅に着いた。
駅に降りたが、ここがムーガルサライ駅なのか全くわからない。
すべてがヒンズー語表記であり、英語の欠片もない。
しかたなく、英語はしゃべるだろうと思われる若手のインド人に聞いてみた。
年の頃は30歳ぐらいじゃないかと思われた。
「ここはムーガルサライ駅で間違いないか?」
「そうだ。お前は旅行者だろう。どこへ行くんだ?」
「バラナシへ行くんだ。」
「おれはTAXIの運転手だ。乗せてってやる。」
「いくらだ?」
「Rs500で連れてってやる。その代わり相乗りだ。」
「Many People OK!」
というような会話をし、そいつのTAXIで相乗り客を待ったのだった。
(乗ったTAXIである。ディーゼルエンジンだった。)
(よく動いているなぁ、と思われるようなオンボロ車だが、これで一家の生計を立てているのだ。)
20分ぐらい待っただろうか、誰も捕まえられなかったのである。
「お前ひとりだから、Rs700だ。」
「俺はそんな約束なんかしてねぇぞ。
客がつかまえられないのは、お前に客を捕まえる能力がないからだ。
胸糞わるいから、降りる!」
「OH! ちょっと待て。
じゃあ、Rs600だ!」
「お前の気持ちはわかるが、見てのとおり俺は貧乏人だ。
金があったら、こんな安っぽい時計なんかしてねぇぞ。
(女房からインド用1000円時計借りていった)
だが、俺も一応、世界の日本人だ。
目一杯努力して、Rs550だしてやる。
その代わり、ホテルの真ん前まで連れて行け!
もし、それ以上の要求なら、俺は降りる。」
そいつは、仕方なく首を振り振りOKと言い、契約成立、握手したのだった。
向こうの運転手は、どいつもこいつも何故か家族構成を聞きたがる。
そして、自分の家族構成をしゃべりたがるのだ。
俺は、そいつの話を聞いているうちに、結構真面目な奴だということが分かった。
奥さんに子供が3人。
自分の家族を愛していること。
一生懸命、家族のために働いていること。
俺は何もそんなこと聞いてないのだが、しゃべるのである。
日本だったら、そんなこと他人には絶対しゃべらない。
車のエンジンの話もした。
昔とった杵柄でその辺の技術英語なら知っていたので、車のENG音から、この辺を調べてておいたほうがいいぞ、とか、しゃべったりした。
車の音がうるさいから、助手席に座って話をしようということになり、なんだか、妙に気が合うのだった。
道はガンジス川を渡る橋まで、一直線で畑のど真ん中である。
なぜか、「ちょっと、止まりたい、数分時間をくれ。」、というのであった。
この野郎、もしかしたら行くまでの時間を延ばし、愚図愚図の運転をして金でもせびるのか?
そう、その時の俺は「此奴も越後屋かもしれない」という、ゲスの勘繰り状態だった。
インド越後屋症候群である。
運転手はペットボトルの水をもって、こちらからは見えなくなる場所にソイツは消えたのだった。
車の鍵は付けっぱなしだった。
俺は、イザとなったら、この車で逃走するぐらいの気持ちだったが、5分しても戻ってこなかった。
俺は自然現象をもよおしてきたので、道からちょっと、はずれて小用を足しにいったのである。
気持ちよく、用をたしていたら、木の陰で運転手がウンコをしている姿が目に入ってしまった。
日本では絶対かんがえられない状況だが、インド人では当たり前田のクラッカーらしい。
(日本みたいに公衆トイレなんぞ、なかなかないのだ。)
思わず、顔が会ってしまい、大小の差こそあれ、お互い笑って手を振ったのだった。
途中でガンジス河の橋の下で貧民窟のようなところがあった。
古今東西、橋の下というのは極貧の人たちが住むところらしい。
そこで、奢るから一緒にチャイを飲まないかと誘われた。
だが、その貧民窟を見たら誰もがウンとは言わないだろう。
そこで飲んだが最後、インドの果てで赤痢、腸チフス、パラチフス、挙句の果てに遺骨で日本へ帰還というストーリーが浮かんでしまう。
俺も、ウソだったが腹一杯で飲みたくもないと断ったのだった。
途中、バラナシの町のど真ん中で、運転手はココで降りろという。
ココがホテルなのか?ときくと、そうではなく、ここからホテルまで歩くという。
車は、ここまでしか、入れないのである、いや、入らないが正しい。
行こうと思えば川岸近くまでいけるのだが、遠回りになる。
そこから、道幅1mぐらいの細い道20分ほどをクネクネ歩いたのである。
しかも、方向感覚を失うようなクネクネ迷路。
(写真は撮らなかったんで他人のを借りました、すみません。
これは相当明るい感じの道で、実際はもっと怪しい道ばかりだった。)
どこをどう歩いているのか全くわからない。
運転手は「俺を信用しろ。ちゃんと連れてってやる。」というのだった。
なまりの強い奴の英語を通訳すると、「途中で不安になって引き返そうとする旅行客がいる」とのことだった。
それぐらいの狭くて怪しい迷路だった。
(そういう心配性の客には大きな通りを行って、一度ガンジス河に出てから、ホテルの近くのガートまで歩き、そこからホテルに向かうという遠回りをしなければならない。)
---------------------
参考:ガート(ウィキペディアより)
(英語:ghats,ベンガル語:ঘাট ghaţ,ヒンディー語:m.,घाट,ghāṭ)は、南アジアの多くの地域にみられる、川岸に設置された階段。洗濯場のほか、巡礼者の沐浴の場として用いられる。
---------------------
これが真夜中だったら、絶対目的地にはつけないと思う。
しかも、道は牛と牛のウンチそしてゴミだらけで、家々は貧民窟、阿片窟かと思われるような怪しい雰囲気。
道のあちこちでは、牛だけでなく犬、時々、猿、そして乞食というまるでサルカニ合戦の舞台かと思われる。
ちょっと歌舞伎町の超マニアックな裏道(中国マフィアが起こした青竜刀事件のあった裏道)を牛の糞で汚したような感じである。
(いままで書かなかったが牛のウンチは丸めて円盤状にし、天日で干して燃料として売られている。
大切な資源なのだ。
上の写真も他人のを借りた。
バラナシでも、こんなふうに河岸の塀の壁にウンチを張り付けて干していた。
それで生計を立てている人たちがいる。)
「嗚呼、俺も此処で阿片に溺れて一生を終えるのか?」と思われるような雰囲気の町が延々と続くのであった。
そうこうしているうちに、俺のホテルに着いたのだった。
まあ、よく此処までつれて着てくれたものである。
感謝の意味もあり、チップを含めRs600を支払ったのだった。
笑顔で別れたのだった。
(つづく)
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<バラナシでの一人旅>
朝、起きたら何故かムーガルサライ駅到着10分前だった。
俺は焦ってすぐ洗面所へ向かった。
トイレを済ませ、ベッドに戻ったときは俺の周りは誰もいなかった。
イタリア人とアメリカ人、そしてインド人が同室(というか、同じ空間)だったが、もう、用意万端で降りる準備をしていたようだった。
彼らの方が準備万端だった。
俺は焦って支度をしたが、列車は濃霧のため20分ほど遅れているようだった。
支度が終わったころ、駅に着いた。
駅に降りたが、ここがムーガルサライ駅なのか全くわからない。
すべてがヒンズー語表記であり、英語の欠片もない。
しかたなく、英語はしゃべるだろうと思われる若手のインド人に聞いてみた。
年の頃は30歳ぐらいじゃないかと思われた。
「ここはムーガルサライ駅で間違いないか?」
「そうだ。お前は旅行者だろう。どこへ行くんだ?」
「バラナシへ行くんだ。」
「おれはTAXIの運転手だ。乗せてってやる。」
「いくらだ?」
「Rs500で連れてってやる。その代わり相乗りだ。」
「Many People OK!」
というような会話をし、そいつのTAXIで相乗り客を待ったのだった。
(乗ったTAXIである。ディーゼルエンジンだった。)
(よく動いているなぁ、と思われるようなオンボロ車だが、これで一家の生計を立てているのだ。)
20分ぐらい待っただろうか、誰も捕まえられなかったのである。
「お前ひとりだから、Rs700だ。」
「俺はそんな約束なんかしてねぇぞ。
客がつかまえられないのは、お前に客を捕まえる能力がないからだ。
胸糞わるいから、降りる!」
「OH! ちょっと待て。
じゃあ、Rs600だ!」
「お前の気持ちはわかるが、見てのとおり俺は貧乏人だ。
金があったら、こんな安っぽい時計なんかしてねぇぞ。
(女房からインド用1000円時計借りていった)
だが、俺も一応、世界の日本人だ。
目一杯努力して、Rs550だしてやる。
その代わり、ホテルの真ん前まで連れて行け!
もし、それ以上の要求なら、俺は降りる。」
そいつは、仕方なく首を振り振りOKと言い、契約成立、握手したのだった。
向こうの運転手は、どいつもこいつも何故か家族構成を聞きたがる。
そして、自分の家族構成をしゃべりたがるのだ。
俺は、そいつの話を聞いているうちに、結構真面目な奴だということが分かった。
奥さんに子供が3人。
自分の家族を愛していること。
一生懸命、家族のために働いていること。
俺は何もそんなこと聞いてないのだが、しゃべるのである。
日本だったら、そんなこと他人には絶対しゃべらない。
車のエンジンの話もした。
昔とった杵柄でその辺の技術英語なら知っていたので、車のENG音から、この辺を調べてておいたほうがいいぞ、とか、しゃべったりした。
車の音がうるさいから、助手席に座って話をしようということになり、なんだか、妙に気が合うのだった。
道はガンジス川を渡る橋まで、一直線で畑のど真ん中である。
なぜか、「ちょっと、止まりたい、数分時間をくれ。」、というのであった。
この野郎、もしかしたら行くまでの時間を延ばし、愚図愚図の運転をして金でもせびるのか?
そう、その時の俺は「此奴も越後屋かもしれない」という、ゲスの勘繰り状態だった。
インド越後屋症候群である。
運転手はペットボトルの水をもって、こちらからは見えなくなる場所にソイツは消えたのだった。
車の鍵は付けっぱなしだった。
俺は、イザとなったら、この車で逃走するぐらいの気持ちだったが、5分しても戻ってこなかった。
俺は自然現象をもよおしてきたので、道からちょっと、はずれて小用を足しにいったのである。
気持ちよく、用をたしていたら、木の陰で運転手がウンコをしている姿が目に入ってしまった。
日本では絶対かんがえられない状況だが、インド人では当たり前田のクラッカーらしい。
(日本みたいに公衆トイレなんぞ、なかなかないのだ。)
思わず、顔が会ってしまい、大小の差こそあれ、お互い笑って手を振ったのだった。
途中でガンジス河の橋の下で貧民窟のようなところがあった。
古今東西、橋の下というのは極貧の人たちが住むところらしい。
そこで、奢るから一緒にチャイを飲まないかと誘われた。
だが、その貧民窟を見たら誰もがウンとは言わないだろう。
そこで飲んだが最後、インドの果てで赤痢、腸チフス、パラチフス、挙句の果てに遺骨で日本へ帰還というストーリーが浮かんでしまう。
俺も、ウソだったが腹一杯で飲みたくもないと断ったのだった。
途中、バラナシの町のど真ん中で、運転手はココで降りろという。
ココがホテルなのか?ときくと、そうではなく、ここからホテルまで歩くという。
車は、ここまでしか、入れないのである、いや、入らないが正しい。
行こうと思えば川岸近くまでいけるのだが、遠回りになる。
そこから、道幅1mぐらいの細い道20分ほどをクネクネ歩いたのである。
しかも、方向感覚を失うようなクネクネ迷路。
(写真は撮らなかったんで他人のを借りました、すみません。
これは相当明るい感じの道で、実際はもっと怪しい道ばかりだった。)
どこをどう歩いているのか全くわからない。
運転手は「俺を信用しろ。ちゃんと連れてってやる。」というのだった。
なまりの強い奴の英語を通訳すると、「途中で不安になって引き返そうとする旅行客がいる」とのことだった。
それぐらいの狭くて怪しい迷路だった。
(そういう心配性の客には大きな通りを行って、一度ガンジス河に出てから、ホテルの近くのガートまで歩き、そこからホテルに向かうという遠回りをしなければならない。)
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参考:ガート(ウィキペディアより)
(英語:ghats,ベンガル語:ঘাট ghaţ,ヒンディー語:m.,घाट,ghāṭ)は、南アジアの多くの地域にみられる、川岸に設置された階段。洗濯場のほか、巡礼者の沐浴の場として用いられる。
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これが真夜中だったら、絶対目的地にはつけないと思う。
しかも、道は牛と牛のウンチそしてゴミだらけで、家々は貧民窟、阿片窟かと思われるような怪しい雰囲気。
道のあちこちでは、牛だけでなく犬、時々、猿、そして乞食というまるでサルカニ合戦の舞台かと思われる。
ちょっと歌舞伎町の超マニアックな裏道(中国マフィアが起こした青竜刀事件のあった裏道)を牛の糞で汚したような感じである。
(いままで書かなかったが牛のウンチは丸めて円盤状にし、天日で干して燃料として売られている。
大切な資源なのだ。
上の写真も他人のを借りた。
バラナシでも、こんなふうに河岸の塀の壁にウンチを張り付けて干していた。
それで生計を立てている人たちがいる。)
「嗚呼、俺も此処で阿片に溺れて一生を終えるのか?」と思われるような雰囲気の町が延々と続くのであった。
そうこうしているうちに、俺のホテルに着いたのだった。
まあ、よく此処までつれて着てくれたものである。
感謝の意味もあり、チップを含めRs600を支払ったのだった。
笑顔で別れたのだった。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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