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インド、クソオヤジの心の旅(ガンジスを走れるか?)・・・2日目(その5)

2013年03月10日 | インド、オッサンの心の旅
タージ・マハルからアグラー城までは、結構近い。

そこまでの町の様子を動画に撮ったのでUPする。
タージ・マハルからアグラー


(町の人たちの荒い運転の雰囲気は多少わかると思います。
このときは随分荒いと思っていましたが、バラナシに比べたら、コチラの人たちの運転は実に礼儀正しい安全運転でした。
あの隙間をぬって運転するインドの人たちを動画にとる前にカメラの電池が切れてしまい残念!)



<アグラー城>

とりあえず、アグラー城とは・・・
アーグラ城塞(-じょうさい、Agra Fort)は、インドのアーグラにあるムガル帝国時代の城塞。
赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」(ラール・キラー)の名があるが、デリーの帝国時代の城塞も同じく赤い城と呼ばれる。
(ウィキペディアより)

まあ、ここでもガイドさんは実に丁寧に説明してくれた。
歴史や建物など興味がある人だったら、感激しただろうと思われるぐらいだった。
だが、俺はまったく興味がなかった。

豚に真珠、俺に古代建築である。

 

サリーを着た二人連れの日本人女性がいた。
めずらしいから、あちらこちらの観光客に呼び止められて記念写真を撮られていた。
ガイドに聞いたら貸衣装、貸し靴があって女性に人気なんだそうである。

そんなことから、俺がターバンまいてクルター・パジャマという民族衣装着ても、誰も見向きもしないだろうなどと下らない事を考え、ガイドの案内にロボット的にうなずいていた。

参考:クルターパジャマ
クルターは上着をパジャマはズボンを意味します。 
私たちが寝巻きとして着ているパジャマの語源はこの衣装から生まれました。
(インドで買おうかと思いましたが、着る場所も無いし、日本のパジャマのほうが楽だとの結論になり、買いませんでした。)

 

話は戻り、もう、ミネラルウォーターは飽きていて、なんだか炭酸系のシュワッとする黄金色の液体を飲みたいなどと軟弱な事を考えていた。

ここで印象に残ったのはタージマハルを建てた皇帝がお金を使いすぎて、世間的に評判を落とし、息子が皇帝になったときに、このアグラー城の一室に父である元皇帝を幽閉してしまったということ。
「そりゃ息子も怒るよな。」、と意味も無く俺は共感したりしたのである。

その幽閉された部屋からみえる景色と同じ景色がコレ↓


タージマハルが小さいけど美しく見えます。
親父も我が妻を思い泣きながら見ていたんだろうなぁ・・・。

なんとなく、ガイドも俺が建物に興味をもっていないのだ、ということに気がついたらしく、さらに「ビールのみたいんじゃないですか?」と鋭い指摘をしたのだった。
俺の顔に書いてあるそうだ???

俺の本性を悟られてしまい、ガイドの言われるがままに、お昼に行った高級レストランにビールを飲みに行ったのだった。
ここで、夕飯も食べてしまおうとインド風チャーハンを頼んでみた。
列車の中でも食事を頼めるらしいが、絶対不味いに違いないからである。

さすが、一流店らしく、うまい!
肉は宗教上、まったく入ってないのだが旨い!

もちろん、カレー味じゃない。
なんと言っていいのか、味覚を言葉に変換するのは難しいが、旨いのである。

ブログに香りや味が付けられればイイのになぁ。

瓶ビール2本も飲んでしまい、上機嫌になった俺はガイドにこういわれたのである。

「まだ、夜行電車まで時間があります。
そこで、良い御土産屋がありますからいきませんか?」

もう、良い気分になった俺はひとつ返事でOKしたのだった。
、(この時点で酒に弱い俺はインドで失敗するかもしれなかった。)

その店は大理石がメインの店だった。
酔った勢いで商品の説明を聞いていたが、こんなクソ重いものお土産なんかにできるか、という気持ちがあったので断りやすかった。
日本の猫の額ほどの部屋に大理石のテーブルなんてどこへ置くんだ?
折り畳み式の木製卓袱台が最高だぜ!
・・・そう英語で言いたかったが、酔っていて日本語しか出なかった。

「駄目、駄目、駄目アルヨ。オモイカラネ。」

なぜか、中国人っぽい話しっぷりになってしまった。
そう喋ってしまった自分を笑ってしまった。

そこへ、店のナンバー2ぐらいのやつがやってきた。
日本語がうまい。
インドじゃ一番警戒しなければならない奴である。

「軽くてよいお土産がありますよ。
2階へどうぞ!」
お茶のお土産かなと思った。

2階は衣服や高級シルクの階だった。
言われるがままに説明を聞く。
しかも、メチャ高い?と思った。
大体、シルクなんて買ったことがないから、こんな布きれ1枚なんでこんなに高いのか、不思議だった。

しかも、ドンドン商品を出してくるのだ
俺の格好見たら貧乏人だとわからんのか?
酔っているとはいえ、商品説明にウンザリしていた。

そこへ、ガイドが店員にわからないように寄ってきて言ったのだった。

「ここは高いですよ。
だけど、私の(旅行)会社の都合で、ここを案内するように言われてるんです。
すみません。
もっと、安い店ありますから、次へ行きましょう。」

そう、言うのだった。

そうなら、初めから言ってくれ!

しかも、ガイドはその場から上手に、さっと身を引いてしまい、店員は相変わらず次から次へと高価な商品を出すのだった。

しかたなく、Tシャツなら安いだろうとTシャツあるか、と尋ねた。
エエッ、シルク買わないの?みたいな顔をエリマキトカゲのアピールのように強く、俺に演出バリバリだったのである。

何種類かのインドっぽい観光者用のTシャツをみたが、3枚だけ買うことにした。
まあ、何か買えばいいだろうという日本人独特の甘さが出ていたのである。
この時点で、どのくらいの値段で買えるのか相場は全くわからなかった。

1枚あたりRs500だという。

「それじゃ、3枚でRs1000にしてくれ!」
「それじゃぁ、赤字ですよ、Rs1400なら・・・」

「駄目だ、俺は貧乏人だ。Rs1100とは言わない。
思い切って1200!
じゃなきゃ、いらねぇ!」

などと、どこかで聞いたような会話を英語で繰り消した。

店員は笑ってOKした。
(その後、バラナシの衣料スーパーみたいなところに行ってみてわかったが、観光用Tシャツは1枚Rs250ぐらいだった。
結局高いものを買わされていた。)

その店を出て、ガイドの紹介する店に行った。

ガイドは言った。
「私が紹介する店にいくと、私に紹介手数料が入ります。
ごめんなさい。」

おれは、謝られると弱い。
日本人の弱点を承知の上での発言だと思いつつ、次の店に入ってしまったのだった。

たしかに、先ほどの店より安いように思われた。
結果的には、そこでカシミアを買っていた。
高価なもので、全面に手縫いの刺繍がしてあった。

ガイドは、
「これは非常に良いものですよ。値段も交渉したほうがいいです。」
というのだが、俺にはサッパリ価値がわからないから困っていた。

そこで、それ以外に購入したお土産用のお茶とか、諸々を一切サービスしろと適当に言ってみた。

店員は「お前はアホか」みたいな、あきれた顔をしていたが、ガイドがゴチャゴチャヒンズー語で言ったら店主が出てきたのである。

店主は懸命に電卓を弾いていたが、俺が要求する金額より何故か少ない金額が電卓に表示されていた。

もう、すかさず、「OK! Good Business!」

「なんだか、おかしいですよ、マスター」みたいな感じだと思うが、店員が焦ってヒンズー語で店主にゴチャゴチャいっていたが、俺は「Thank you!」を繰り返したのだった。

店主は、あきらめ顔でこういった。
「私の計算ミスですが、出した数字はひっこめるわけにはいきません。お客様の勝ちです。」
そういったのだった。

でも、俺は半信半疑だった。
これも、仕組まれた演技じゃないんだろうか?
なぜなら、店主とガイドは知り合いだし、最初から計算ミスと言ってお客に得した気分にさせる巧妙な芝居だったんじゃなかろうか?
俺は、まんまと騙されたんじゃないだろうか?


この時点で完全にインド人=越後屋と確信していた俺は、疑惑のカオスの中でまだ、半分酔いが醒めぬまま暗くなりつつあるインドの真っ赤な夕焼けに染まっていた。
(結局、後でバラナシのシルク屋から得た情報だと、適切な良い価格だったと判明した。
もちろん、外国人価格としての話である。)

ここから、バラナシ行き列車の停まるツンドラ駅まで結構かかるので、買い物終了後、1時間半ぐらいだったかなぁ、暗闇の中凸凹道をドライブした。

もう、真っ暗闇だった。
よく、道が分かるよなぁ、みたいな、このまま暗黒の闇に吸い込まれバニッシングポイントへ向かっていくような気分だった。

俺も瓶ビール2本ということもあり、途中、大自然WCタイムをとることになった。

真っ暗闇で足元もわからない。
だが、宙は満天の星。
オリオンの三ツ星、その下のオリオン大星雲までクッキリわかる。
こんなにハッキリみたのは初めてだった。

天体望遠鏡で見てみたかった。
せめて、双眼鏡をもってくれば良かったと後悔した。

ツンドラ駅は駅以外は真っ暗闇だった。
だけど、インド人はどこに何があるかわかるみたいで、ヘッドランプなんて全く必要ないみたいだった。

駅の駐車場らしきところ???、多分そうだと思うが、ここで降りろと言われ、降りたのだが駅なんか全く見えなかった。
本当に、ここで俺は終わるかもしれないと思いながら、ボーっとするガイドの後を歩いた。
そうしたら、ちゃんと駅はあったのだった。

ツンドラ駅は案内など何もなく、ホームがあるだけだった。
何番線に着くのか、外国人には全くわからない。
以前、女房たちは、ここで相当迷ったのはよく分かる。

真っ暗闇の中、薄明かりのホームの灯りに負けじと驚くべきほどの数の小さな鳥がホーム屋根の下でギャーギャー鳴いている。
インド人はホームの地べたに座ったり、寝たりしていた。

チャイを売る売店の売り子も鳥に負けず、なんだかわめいていた。
ガイドもよくわからず、ポーターに聞いてくるといって、俺をホームに置き去りにしていったのだった。



でも、なんとなく、ここでいいんじゃないかと思った。
というのは、欧米人の団体がいたからである。

こんな駅で欧米人が待っている場所は、絶対俺と同じ列車の同じような客車の停まる場所のはずだ、と思った。
ただ、この人たちも確信をもって待っているかどうか、それはわからない。
到着するホームも直前になって変わることもあるらしいから多少の不安はあった。
実際、女房たちが来た時もそうだったのである。

ただ、その時は、身なりの確りしたインド人の中でもハイクラスらしき人たちに色々教わっていたらしく、間違わずに乗れたのだった。
エアコンが効くような列車に乗る人たちは親切で常識人であるらしい。

そうこうしているうちに、ガイドが戻ってきた。
この場所で間違いないと聞いてきたのだった。

列車が到着し、ガイドと最後の別れをした。
最後に、女房がしたためた書の扇子をプレゼントした。
女房から、良い人に出会えたらコレを渡すようにと渡してくれたものだった。
これからは、全くの一人旅である。
なんとなく、寂しい気がした。

列車は寝台車である。
切符の番号のところが、俺のベッドなのだ。

だが、場所がよくわからなかった。
大体、番号の書いてある札のところと、ベッドの関係が全くわからない。
めちゃ、大雑把で不親切にできている。
ウロウロしていた。

そうしたら、すでに帰ったと思っていたガイドが突然列車の中に入ってきて、俺の居場所を教えてくれたのだった。
四方八方、敵に囲まれ万事窮すの状況で、風車の弥七の手裏剣が俺の前にズバッと刺さって助けがきたと安心する場面のような感覚である。

ガイドとは、1日だけの付き合いだったが、最後の最後まで面倒をみてくれたことに俺は感謝した。

このインドも、なかなか捨てたもんじゃない。

そのまま、俺は初めての寝台車で、寝床についたとたん、着替えもせずに、あっという間に眠りに着いた。

(つづく)


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