かすみがうらマラソンにて悲哀のランナーになりました。
朝から、波乱を予感させる出来事がありました。
まず、山手線がストップしてしまい、会場まで目的の電車に遅れたこと。
特急の指定でいくつもりでしたが、山手線が外回り、内回りストップ。
混みあった自由席立ちっぱなしでいきました。
そして、ランニング結果も惨敗。
初めて時間制限に間に合わない完走者になりました。
言い訳になるけど、仕事で練習もせず、またお酒の付き合いとかで不規則な生活。
ブログUPもままならない状況でしたから、当り前の結果といわざるをえません。
おまけに前日、腰が痛くて女房に指圧してもらっていました。
案の定ですね。
27kmから腰が痛くなりました。
ちょっと右足の先がしびれる感じになりました。
さらに、30kmから足が棒状態になり、歩いているような走りになり、もしかして休んだら復活するかもしれないと、ちょっと休んで足腰のストレッチをしましたが、逆にそこから全く走れなくなりました。
歩くことすら、キツイ状態。
もう、ひたすら地面を見つめながら歩いてました。
風光明媚なる霞が浦ですが、全く景色を見ていませんでした。
そんな余裕は微塵もなく、見ていたのはアスファルトの地面だけ。
歩いていても、後ろからきた歩いている人にドンドン抜かれました。
老若男女をとわず抜かれていきます。
35kmで最後の回収バスがきて、「無理せず、乗りませんか?」と天使の甘い囁きをかけられましたが、意地で歩き続けました。
あのバスには乗りたくなかった
皆ビッコひきながらも周りの人たちは乗る人が少なかったように思います。
最後のランナーは年齢に関係なく諦めない人が多いです。
だんだん、日が落ちてきて、しかも寒くなり、もっていたビニール袋をかぶり、ゴールだけを考えていました。
私はまだ、ビニールがあったので良かったですが、Tシャツ1枚の人は腕が寒くて袖口から腕をひっこめ、シャツの中に腕をつっこみ達磨さんスタイルで歩いている人もいました。私には、しょっ引かれて歩く奴隷のように見えました。
ああ無情!
大会終了の打ち上げ花火が遠くの方でドーンと上がるのが見えました。
それでゴールまでの距離を実感として知ってしまい、会場はまだまだ先だぁと、歩く意欲を減少させます。
歩くところも道路の脇だけ。交通制限はとっくに解除され、一般車両がバンバン走るなか、端っこを不自然な歩き方で歩きました。
ときどき、ゴールの会場への道がわからなくなり、ずっと前を歩くランナーを探したりしました。
もう、道路で道案内する人もいなくなってましたから。
ただ、ときどき、見捨てられた我々を応援する一般人がいました。
「最後まであきらめないで、頑張って!」といってくれたオバちゃん、ありがとう。
もう、それは、それは、嬉しかった。
エイドも35kmすぎたら片づけられ、水さえも何もなし。
ただただ、ひたすら歩く、歩く、…。
高齢のオバーちゃんが私と同じぐらいの抜きつ抜かれつのペースでしたが、あちらは感心しましたけど、ずっと走ってました。
ただ、私の歩くペースと同じだった。
ようやく、ゴールするもスタジアム会場はもぬけの殻状態。
あらゆるものが片づけられつつある状態でした。
ガラーンとしたゴールの時計をみたら6時間42分。
半分走り、半分歩いた忘れられない大会でした。
はじめての経験でしたが、あれは寂しいですね。
ホノルルマラソンなら、良く頑張りましたと拍手でもあるところですが、あるのは寂しいゴールの門のみ。
完走証はもらいましたが、記録は無し。
記録の数字のところは?時間??分??秒と書かれてました。
「?は5個も書かずに空白にしてもらいた!」と言いたい!
もうちょっと、見捨てられたランナーには優しくしてもらいたいものです。
そしてゴールしたものの、参加賞のTシャツをもらう場所がわかりません。
SサイズとかMサイズとか、Lサイズとか書かれたテント場所には何もありません。
片づけられていましたから。
受け取り所の端のほうにサイズに関係なくまとめて置かれてました。
(このTシャツは恥辱にまみれた泪のTシャツなので、今後の大会はできるだけ、これ着て走ります!)
まあ、ウロウロ探しながら、なんとかもらって、次に荷物預かり所へ…。
そこもガラーンとして、片づけられてました。
残ったランナーの荷物がひと固まりに置かれてました。
荷物の数から私がワースト10であることがわかりました。
1万6千人強の参加者の大会で、なんとワースト10
そして寒風吹きすさぶ中、足腰がガタガタしてなかなか着替えができません。
おまけに寒くて、指が悴んでしまい、思うようにボタンもかけられませんでした。
土浦駅までは、相当近いのですけど、足腰ボロボロの私には遠かったなぁ。
帰りの特急電車は予約してましたが、当然間に合いません。
しかたなく、鈍行で東京に帰りました。電車の中では足がつりそうになり、人目も気にせずストレッチ。
私の友人が高田馬場で飲み会してましたので、飲み会終了寸前ではありましたが、そちらへ向かいました。
飲み会は終了でしたが、私のために何人かが残ってくれて、残念会、否、チクショー会。
そして、終わってからのお店の階段の降りるのにキツイこと、キツイこと…・
まるでトホホな一日でした。
朝から、波乱を予感させる出来事がありました。
まず、山手線がストップしてしまい、会場まで目的の電車に遅れたこと。
特急の指定でいくつもりでしたが、山手線が外回り、内回りストップ。
混みあった自由席立ちっぱなしでいきました。
そして、ランニング結果も惨敗。
初めて時間制限に間に合わない完走者になりました。
言い訳になるけど、仕事で練習もせず、またお酒の付き合いとかで不規則な生活。
ブログUPもままならない状況でしたから、当り前の結果といわざるをえません。
おまけに前日、腰が痛くて女房に指圧してもらっていました。
案の定ですね。
27kmから腰が痛くなりました。
ちょっと右足の先がしびれる感じになりました。
さらに、30kmから足が棒状態になり、歩いているような走りになり、もしかして休んだら復活するかもしれないと、ちょっと休んで足腰のストレッチをしましたが、逆にそこから全く走れなくなりました。
歩くことすら、キツイ状態。
もう、ひたすら地面を見つめながら歩いてました。
風光明媚なる霞が浦ですが、全く景色を見ていませんでした。
そんな余裕は微塵もなく、見ていたのはアスファルトの地面だけ。
歩いていても、後ろからきた歩いている人にドンドン抜かれました。
老若男女をとわず抜かれていきます。
35kmで最後の回収バスがきて、「無理せず、乗りませんか?」と天使の甘い囁きをかけられましたが、意地で歩き続けました。
あのバスには乗りたくなかった
皆ビッコひきながらも周りの人たちは乗る人が少なかったように思います。
最後のランナーは年齢に関係なく諦めない人が多いです。
だんだん、日が落ちてきて、しかも寒くなり、もっていたビニール袋をかぶり、ゴールだけを考えていました。
私はまだ、ビニールがあったので良かったですが、Tシャツ1枚の人は腕が寒くて袖口から腕をひっこめ、シャツの中に腕をつっこみ達磨さんスタイルで歩いている人もいました。私には、しょっ引かれて歩く奴隷のように見えました。
ああ無情!
大会終了の打ち上げ花火が遠くの方でドーンと上がるのが見えました。
それでゴールまでの距離を実感として知ってしまい、会場はまだまだ先だぁと、歩く意欲を減少させます。
歩くところも道路の脇だけ。交通制限はとっくに解除され、一般車両がバンバン走るなか、端っこを不自然な歩き方で歩きました。
ときどき、ゴールの会場への道がわからなくなり、ずっと前を歩くランナーを探したりしました。
もう、道路で道案内する人もいなくなってましたから。
ただ、ときどき、見捨てられた我々を応援する一般人がいました。
「最後まであきらめないで、頑張って!」といってくれたオバちゃん、ありがとう。
もう、それは、それは、嬉しかった。
エイドも35kmすぎたら片づけられ、水さえも何もなし。
ただただ、ひたすら歩く、歩く、…。
高齢のオバーちゃんが私と同じぐらいの抜きつ抜かれつのペースでしたが、あちらは感心しましたけど、ずっと走ってました。
ただ、私の歩くペースと同じだった。
ようやく、ゴールするもスタジアム会場はもぬけの殻状態。
あらゆるものが片づけられつつある状態でした。
ガラーンとしたゴールの時計をみたら6時間42分。
半分走り、半分歩いた忘れられない大会でした。
はじめての経験でしたが、あれは寂しいですね。
ホノルルマラソンなら、良く頑張りましたと拍手でもあるところですが、あるのは寂しいゴールの門のみ。
完走証はもらいましたが、記録は無し。
記録の数字のところは?時間??分??秒と書かれてました。
「?は5個も書かずに空白にしてもらいた!」と言いたい!
もうちょっと、見捨てられたランナーには優しくしてもらいたいものです。
そしてゴールしたものの、参加賞のTシャツをもらう場所がわかりません。
SサイズとかMサイズとか、Lサイズとか書かれたテント場所には何もありません。
片づけられていましたから。
受け取り所の端のほうにサイズに関係なくまとめて置かれてました。
(このTシャツは恥辱にまみれた泪のTシャツなので、今後の大会はできるだけ、これ着て走ります!)
まあ、ウロウロ探しながら、なんとかもらって、次に荷物預かり所へ…。
そこもガラーンとして、片づけられてました。
残ったランナーの荷物がひと固まりに置かれてました。
荷物の数から私がワースト10であることがわかりました。
1万6千人強の参加者の大会で、なんとワースト10
そして寒風吹きすさぶ中、足腰がガタガタしてなかなか着替えができません。
おまけに寒くて、指が悴んでしまい、思うようにボタンもかけられませんでした。
土浦駅までは、相当近いのですけど、足腰ボロボロの私には遠かったなぁ。
帰りの特急電車は予約してましたが、当然間に合いません。
しかたなく、鈍行で東京に帰りました。電車の中では足がつりそうになり、人目も気にせずストレッチ。
私の友人が高田馬場で飲み会してましたので、飲み会終了寸前ではありましたが、そちらへ向かいました。
飲み会は終了でしたが、私のために何人かが残ってくれて、残念会、否、チクショー会。
そして、終わってからのお店の階段の降りるのにキツイこと、キツイこと…・
まるでトホホな一日でした。