勝沼宿の旧田中銀行
甲州勝沼の戦いの地、柏尾橋にやってきました。
明治元年(1868)、
「近藤勇が率いる幕府軍」VS「板垣退助が率いる官軍の先鋒隊」
が戦った地です。
橋の手前に近藤勇の像が建ってます。
ですが、像の作者には申し訳ありませんが、次の錦絵と異なって、こっちの方は可愛すぎますね。
背格好もズングリムックリしてます。
錦絵の方はというと、
大刀を持ち、戦士を鼓舞し、吼えている歌舞伎役者のような近藤勇の勇壮な姿です。
これと比較すると、まるで大人顔したチャンバラごっこをしている子供のようです。
柏尾戦争を描いた錦絵
実際の戦いは一日で決してしまったようで、近藤たちは江戸方面へ敗走してしまったのですから、本当のところは錦絵の方がカッコよすぎかもしれません。
江戸柏尾橋付近(良く見えない)
実際の河原の戦場を見ようと思いますが、谷がとても深く、川への急斜面ギリギリまで藪や木々が生い茂り河原はよく見えないです。
写真は向こう岸の方に向かって撮っているんですが、向こう側すらもよく見えません。
この谷底にある深澤川を挟んでの戦争だったとすると、お互い川原にまで急な坂を落ちるようにして下りて狭い河原で戦ったんですかね?
降りるだけでケガしそうです。
うまく降りることができ、うまく戦い終わって生き延びたとしても、自分の陣地によじ登って上がる気がしないんじゃないですかね。
それほど急峻にみえます。
河原まで、かなりの高低差で体力的にもハードであり、重い武器を持っていたならば下まで降りただけで疲労困憊でしょう。
しかも狭い谷間の狭い河原ですよ。
逃げ場所の無い集団金網レスリングのようなパニック的デスマッチなはずです。
写真はd-generationx.comよりお借りしました。
ですから、それはもう滅茶苦茶で近密でヘトヘトで壮絶だったんじゃないでしょうか?
近藤勇たちが一日でギブアップしてしまうのは想像に難くないです。
ぶどう栽培発祥の地といわれる柏尾山大善寺の山門
(大善寺伝では養老2年(718年)、行基が甲斐国柏尾山の日川渓谷で修行した時に、夢の中に葡萄(甲州ぶどう)を持った薬師如来が現われ、満願を果たし、葡萄を持った薬師如来像を建立したことが当寺の起源だそうです。)
名所なので立ち寄ろうかと思いましたが、階段がかなりありそうだし、500円の拝観料が必要な様でしたので、やめておきました。
暑い日差しの中、500円で甘くて美味しい冷たいアイスを食べたほうがいいかなと思いまして…(笑)
「寺よりアイス」ってやつです。
このお寺は民宿もやってるようですね。
門前でコンビニもやって欲しかった。
急に観光ブドウ園ばかりの街道になりました。
街道両脇に多すぎるほどのブドウ園です。
甲州のワインの歴史はなんと1000年!
意外に日本のワインも歴史があるんですね。
甲州ぶどうの祖先はヨーロッパが起源。
人類の東西交易とともにシルクロード経由で日本に上陸した?らしいです。
→甲州ブドウとは参照
この辺りの特徴として、
1)扇状地が多く砂地で水捌けが良く、
2)標高が300~600mの山々に囲まれた盆地のため昼夜の温度格差が大きく、
3)日照時間が多く、しかも傾斜地である
ということが葡萄という作物に適した土地と言う事のようです。
(そういえば、笹子峠越えの時、辺りの岩が砂岩でしたっけ)
今回ジョグするにあたり、朝晩の寒暖差も確かに激しかったですよ。
ですから、夏とはいえ、100円のビニールカッパだけは雨風と防寒用に持参しました。
明治期の古民家を改装した洒落た民宿(ワイン民宿 鈴木園)
外から見ただけですが、もし再びこの地を訪ねるなら、絶対ココに泊りたくなるような民宿でしたね。
国道沿いでブドウを売っている古民家
店はお休みの様でした。
(この日は2019年8月4日の日曜日でした。)
ブドウの話を少しばかり・・・
ちなみに、俺は以前はマスカットが好きだったのですが、今は皮ごと食べるタイプの黄緑色したロザリオって品種が好きですね。
近所のスーパーでそれが売り出されるとつい買ってしまいます。
あと、余談・・・。
会社で八百屋の経営もしていた時に学んだ知識ですが、ブドウって白い粉みたいなのがシッカリついていて、隙間がある房の方が甘いです。
それも、先っぽの方じゃなくて根元の方にある粒があまいです。
それは、「光を長く沢山浴びたほうが甘い」という頷ける理屈の様です。
ただ、単に甘すぎるのもどうかなとも思いますね。
酸味が多少ある方が好きかな。
人間も環境が良すぎて光を浴びてばかりだと、あまい人物に育ってしまいますよね。
( ^ω^)・・・
貧乏人の僻みかもしれません。
そういえば、この年は猛暑でしたから、甘いブドウができたんじゃないでしょうかね?
そこで、一句
勝沼や馬子もぶどうを食いながら 芭蕉
さらにそういえば、葡萄酒も日本製は旨いですよね。
そこで、これまた余談です。(だから、ブログがすすみません)
ワインはスペインに行ったとき、老舗のバルでアルコール度数の高いシェリーワイン(酒精強化ワイン)をガバガバ飲んでからというもの、あれ以来シェリーSHERRYが大好きになりました。
(もともと、シェリーなどというものは全く無知で、チェリー(サクランボ)酒かなと思っていたくらいでした。なお、ポートワインもポルトガルの酒精強化ワインです。)
生意気ですが、ちょっと蘊蓄を言わせてください。
紹興酒のような薄みがかった黄色のナッツの風味がする辛口のサラッとした白いシェリー(フィノ)と甘口の赤黒いシェリー(マスカット?)をブレンドしたものが好きです。
そして、シェリーにはトリプトファンという成分が含まれていて、体内に入るとそれが「セロトニン」という物質に変わり、天然の精神安定剤にもなるらしいです。
ただ、シェリーは英国人というイメージがあり、俺的には柄に合わない(どちらかというと芋焼酎が似合う)ので、人様にはこの話はあまりしません。
「気取ってらぁ」と言われてしまいます。
残念ながら、日本ではあまりシェリーを気楽に飲ませるお店はないですね。
スペインのバルでも普通のワインの方が人気で、市場の店などシャリーを置いてない店もありましたが、老舗の店なら必ず置いてありました。
なお、The Four SeasonsのSHERRYも大好きです。
お酒とは関係ないみたいですが。
The Four Seasons - Sherry (Official Audio)
街道沿いの高台ににとても目立つ木が一本見え、その脇に塔が建っているのがみえます。
戦没者慰霊の為の平和の塔のようですね。
整然とした格子戸が美しい仲松屋(江戸時代後期のもの)
その説明書き
明治27年(1894年)築、珍しい地下1階地上3階の蔵(福嶋屋という薬局の土蔵)
自分にはボロボロに見えるが2017年に修復したものらしいです。
旧福嶋屋土蔵というFacebookがありますので参照ください。
土蔵修復
そして、この蔵の並びに洋館の旧田中銀行がありました。
今回の旅ランで初めて知ったことですが、山梨県は全国的に見て洋館の多い土地なんだそうです。
それというのも、明治初期の県令であった藤村紫朗(任1873~87)によって疑洋風建築(宮大工や左官職人たちが、日本の伝統的な和風建築技法を用いて、外見を欧米の家屋のようにまねた建物、つまり和洋折衷の建物)の洋館が推奨された盛んに建てられたそうで、現在も県内に100棟以上が残っているのだそうです。
しかし、山梨の大工さん、左官屋さんたちの当時の技術も素晴らしかったということですね。
藤村紫朗
---------以下、ウィキペディアより
藤村式建築
藤村式建築(ふじむらしきけんちく)とは、明治時代初期に山梨県令藤村紫朗の指導の下で建てられた洋風の公共建築、およびその建築様式である。
1877年に甲府を訪れたイギリス外交官のアーネスト・サトウが、「この町の西洋建築を模倣した建築物の数は、町の規模からすれば私が知る限り日本一だ。」と日記に記しているように、当時の山梨県では洋風建築の建設が大規模に行われていた。藤村の県令時代に建てられた洋風建築は100件以上にのぼると推測され、山梨県内はどこの村にも一つはあるほど広まっている。昭和に入ってから親しみを込めて「藤村式」と呼ばれるようになったが、建築様式に個人名が付いた例は他にない。
睦沢学校
旧東山梨郡役所
津金学校
徽典館(きてんかん)・・・現存せず
江戸時代から明治時代初期にかけて、甲斐国(山梨県)の甲府にあった学問所。山梨大学の前身にあたる。
---------
素晴らしいですね。
ただ、先を急ぐ旅です。
今日は帰京しなければなりません。
中の見学はしないで走り続けました。(トロトロと・・・)
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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甲州勝沼の戦いの地、柏尾橋にやってきました。
明治元年(1868)、
「近藤勇が率いる幕府軍」VS「板垣退助が率いる官軍の先鋒隊」
が戦った地です。
橋の手前に近藤勇の像が建ってます。
ですが、像の作者には申し訳ありませんが、次の錦絵と異なって、こっちの方は可愛すぎますね。
背格好もズングリムックリしてます。
錦絵の方はというと、
大刀を持ち、戦士を鼓舞し、吼えている歌舞伎役者のような近藤勇の勇壮な姿です。
これと比較すると、まるで大人顔したチャンバラごっこをしている子供のようです。
柏尾戦争を描いた錦絵
実際の戦いは一日で決してしまったようで、近藤たちは江戸方面へ敗走してしまったのですから、本当のところは錦絵の方がカッコよすぎかもしれません。
江戸柏尾橋付近(良く見えない)
実際の河原の戦場を見ようと思いますが、谷がとても深く、川への急斜面ギリギリまで藪や木々が生い茂り河原はよく見えないです。
写真は向こう岸の方に向かって撮っているんですが、向こう側すらもよく見えません。
この谷底にある深澤川を挟んでの戦争だったとすると、お互い川原にまで急な坂を落ちるようにして下りて狭い河原で戦ったんですかね?
降りるだけでケガしそうです。
うまく降りることができ、うまく戦い終わって生き延びたとしても、自分の陣地によじ登って上がる気がしないんじゃないですかね。
それほど急峻にみえます。
河原まで、かなりの高低差で体力的にもハードであり、重い武器を持っていたならば下まで降りただけで疲労困憊でしょう。
しかも狭い谷間の狭い河原ですよ。
逃げ場所の無い集団金網レスリングのようなパニック的デスマッチなはずです。
写真はd-generationx.comよりお借りしました。
ですから、それはもう滅茶苦茶で近密でヘトヘトで壮絶だったんじゃないでしょうか?
近藤勇たちが一日でギブアップしてしまうのは想像に難くないです。
ぶどう栽培発祥の地といわれる柏尾山大善寺の山門
(大善寺伝では養老2年(718年)、行基が甲斐国柏尾山の日川渓谷で修行した時に、夢の中に葡萄(甲州ぶどう)を持った薬師如来が現われ、満願を果たし、葡萄を持った薬師如来像を建立したことが当寺の起源だそうです。)
名所なので立ち寄ろうかと思いましたが、階段がかなりありそうだし、500円の拝観料が必要な様でしたので、やめておきました。
暑い日差しの中、500円で甘くて美味しい冷たいアイスを食べたほうがいいかなと思いまして…(笑)
「寺よりアイス」ってやつです。
このお寺は民宿もやってるようですね。
門前でコンビニもやって欲しかった。
急に観光ブドウ園ばかりの街道になりました。
街道両脇に多すぎるほどのブドウ園です。
甲州のワインの歴史はなんと1000年!
意外に日本のワインも歴史があるんですね。
甲州ぶどうの祖先はヨーロッパが起源。
人類の東西交易とともにシルクロード経由で日本に上陸した?らしいです。
→甲州ブドウとは参照
この辺りの特徴として、
1)扇状地が多く砂地で水捌けが良く、
2)標高が300~600mの山々に囲まれた盆地のため昼夜の温度格差が大きく、
3)日照時間が多く、しかも傾斜地である
ということが葡萄という作物に適した土地と言う事のようです。
(そういえば、笹子峠越えの時、辺りの岩が砂岩でしたっけ)
今回ジョグするにあたり、朝晩の寒暖差も確かに激しかったですよ。
ですから、夏とはいえ、100円のビニールカッパだけは雨風と防寒用に持参しました。
明治期の古民家を改装した洒落た民宿(ワイン民宿 鈴木園)
外から見ただけですが、もし再びこの地を訪ねるなら、絶対ココに泊りたくなるような民宿でしたね。
国道沿いでブドウを売っている古民家
店はお休みの様でした。
(この日は2019年8月4日の日曜日でした。)
ブドウの話を少しばかり・・・
ちなみに、俺は以前はマスカットが好きだったのですが、今は皮ごと食べるタイプの黄緑色したロザリオって品種が好きですね。
近所のスーパーでそれが売り出されるとつい買ってしまいます。
あと、余談・・・。
会社で八百屋の経営もしていた時に学んだ知識ですが、ブドウって白い粉みたいなのがシッカリついていて、隙間がある房の方が甘いです。
それも、先っぽの方じゃなくて根元の方にある粒があまいです。
それは、「光を長く沢山浴びたほうが甘い」という頷ける理屈の様です。
ただ、単に甘すぎるのもどうかなとも思いますね。
酸味が多少ある方が好きかな。
人間も環境が良すぎて光を浴びてばかりだと、あまい人物に育ってしまいますよね。
( ^ω^)・・・
貧乏人の僻みかもしれません。
そういえば、この年は猛暑でしたから、甘いブドウができたんじゃないでしょうかね?
そこで、一句
勝沼や馬子もぶどうを食いながら 芭蕉
さらにそういえば、葡萄酒も日本製は旨いですよね。
そこで、これまた余談です。(だから、ブログがすすみません)
ワインはスペインに行ったとき、老舗のバルでアルコール度数の高いシェリーワイン(酒精強化ワイン)をガバガバ飲んでからというもの、あれ以来シェリーSHERRYが大好きになりました。
(もともと、シェリーなどというものは全く無知で、チェリー(サクランボ)酒かなと思っていたくらいでした。なお、ポートワインもポルトガルの酒精強化ワインです。)
生意気ですが、ちょっと蘊蓄を言わせてください。
紹興酒のような薄みがかった黄色のナッツの風味がする辛口のサラッとした白いシェリー(フィノ)と甘口の赤黒いシェリー(マスカット?)をブレンドしたものが好きです。
そして、シェリーにはトリプトファンという成分が含まれていて、体内に入るとそれが「セロトニン」という物質に変わり、天然の精神安定剤にもなるらしいです。
ただ、シェリーは英国人というイメージがあり、俺的には柄に合わない(どちらかというと芋焼酎が似合う)ので、人様にはこの話はあまりしません。
「気取ってらぁ」と言われてしまいます。
残念ながら、日本ではあまりシェリーを気楽に飲ませるお店はないですね。
スペインのバルでも普通のワインの方が人気で、市場の店などシャリーを置いてない店もありましたが、老舗の店なら必ず置いてありました。
なお、The Four SeasonsのSHERRYも大好きです。
お酒とは関係ないみたいですが。
The Four Seasons - Sherry (Official Audio)
街道沿いの高台ににとても目立つ木が一本見え、その脇に塔が建っているのがみえます。
戦没者慰霊の為の平和の塔のようですね。
整然とした格子戸が美しい仲松屋(江戸時代後期のもの)
その説明書き
明治27年(1894年)築、珍しい地下1階地上3階の蔵(福嶋屋という薬局の土蔵)
自分にはボロボロに見えるが2017年に修復したものらしいです。
旧福嶋屋土蔵というFacebookがありますので参照ください。
土蔵修復
そして、この蔵の並びに洋館の旧田中銀行がありました。
今回の旅ランで初めて知ったことですが、山梨県は全国的に見て洋館の多い土地なんだそうです。
それというのも、明治初期の県令であった藤村紫朗(任1873~87)によって疑洋風建築(宮大工や左官職人たちが、日本の伝統的な和風建築技法を用いて、外見を欧米の家屋のようにまねた建物、つまり和洋折衷の建物)の洋館が推奨された盛んに建てられたそうで、現在も県内に100棟以上が残っているのだそうです。
しかし、山梨の大工さん、左官屋さんたちの当時の技術も素晴らしかったということですね。
藤村紫朗
---------以下、ウィキペディアより
藤村式建築
藤村式建築(ふじむらしきけんちく)とは、明治時代初期に山梨県令藤村紫朗の指導の下で建てられた洋風の公共建築、およびその建築様式である。
1877年に甲府を訪れたイギリス外交官のアーネスト・サトウが、「この町の西洋建築を模倣した建築物の数は、町の規模からすれば私が知る限り日本一だ。」と日記に記しているように、当時の山梨県では洋風建築の建設が大規模に行われていた。藤村の県令時代に建てられた洋風建築は100件以上にのぼると推測され、山梨県内はどこの村にも一つはあるほど広まっている。昭和に入ってから親しみを込めて「藤村式」と呼ばれるようになったが、建築様式に個人名が付いた例は他にない。
睦沢学校
旧東山梨郡役所
津金学校
徽典館(きてんかん)・・・現存せず
江戸時代から明治時代初期にかけて、甲斐国(山梨県)の甲府にあった学問所。山梨大学の前身にあたる。
---------
素晴らしいですね。
ただ、先を急ぐ旅です。
今日は帰京しなければなりません。
中の見学はしないで走り続けました。(トロトロと・・・)
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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