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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その4

2020年05月15日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)

  
    

皆さん、コロナな日々をお過ごしのこととお察し申し上げます。

気晴らしになるかどうかわかりませんが、まずは勝沼宿のつづきです。


ようあん坂の標柱

ここは勝沼小学校入口の右側で海抜400mなので笹子峠から700mぐらい下ってきてます!
勝沼市で最も急な坂らしいですけど、こんな感じです。


Google Map 
諏訪湖の方に向かってる下りの写真ですが、それほど急じゃないです。

それにしても「ようあん」って何?

標柱によると「昔々、天野養庵という医師の家が近くに有った」ということなんですが、
肝心の天野養庵って何者?

坂の名前になったぐらいですから、相当な人物であったことが予想されるんですが、・・・。
そこがわからないとですね、なんだかもどかしいのです。

そこでネット検索したんですが、全くの不明???

勝沼市、その辺の説明を今後よろしくお願いいたします。


立派な屋敷

相当なお金持ちですよ。
この家の持ち主は・・・


広大なぶどう畑


大法寺

旧街道は突然に左直角にまがるのですが、その曲がり角に石柱がありました。


「大宮五所大神 参道」の石柱

天然記念物クロマツがあるというので立ち寄ることにしました。


なかなか、立派な神社です。


その天然記念物の黒松(雄松)


社殿の前がかなり広い板敷きとなっており、舞台になる歌舞伎造りという珍しい建物なんだそうです。

歌舞伎をやったら下の写真のような感じになるんでしょうか?

(写真は埼玉県の小鹿野歌舞伎のものです。大宮五所大神 とは関係ありません。)


旧街道は日川にぶち当たります。

そして、土手沿い左手に走って、新日川橋のところで右折し、再び「下栗原」交差点で国道に戻ります。



疲れたのでセブンイレブンに寄りました。

イートインコーナーで一休み
なお、全く気がつきませんでしたが、今思うと2%の消費税払っていませんでした。

面倒くさい消費税です。



兎追いしかの山♫、小鮒釣りしかの川♬


見事なデベソのような道祖神

これをみて、俺の古い大脳皮質からヒョッコリ出た言葉
あらマッチャンでべその宙返り

この呪文のような言葉皆さん知ってますか?

下町生まれの自分にとっては、幼き頃、日常的につかわれた言葉です。

要するに、巨大な出ベソのような石を見て驚き
「あれまあ!」が
「あらマッチャンでべその宙返り」
に語尾が拡張したわけです。

「アンキモはあーんきもい」 とか、「イスに座ってもいいっすか?」とかいう ようなダジャレではなく、どちらかというと「そんなバナナ」的な面白い言い回しものにちかいですね。

フーテンの寅さんの「啖呵売(たんかばい)」で出てくる「チャラチャラ流れるお茶の水」もそうかな。

しかし、マッチャンというのは誰なんだ?

調べてみました。
下の写真の人の様です。


尾上松之助

「まっちゃん」とは無声映画時代(明治大正期)に人気があった超一流の売れっ子役者で「目玉のまっちゃん」こと「尾上松之助(おのえまつのすけ)」のことらしいですよ。

そして無声映画の中で、尾上松之助が決めポーズで目玉をぐりぐり動かすとき、活動弁士が「あら松ちゃん目玉の宙返り」と呼び、それがいつのまにか「でべその宙返り」となったんじゃないかな?と思われます。

関係ないけど、その歌がありました。

ドン・マルティネス あらまっちゃんでべその宙返り 2012/5/23 BASEMENT BAR


・・・
話はあらぬ展開へと発展してしまいました。

そんな丸い石を積み上げた道祖神がこの辺りから石和宿あたりにかけて頻繁に見られました。







こんな具合です。

何故、この様な素朴な丸石が祀られているのか、今でもその由来は不明だそうで、日本のオーパーツだとのことです。

ただ、丸い石がこの辺りには彼方此方に転がっているという事なんでしょうが、これって富士山の噴火と関係ないですかね?
(まさか、加工したものじゃないでしょうね?)




笛吹川沿いの単調な道を走ります。
とても疲れるロードです。


笛吹川を渡ると石和温泉が見えてきました。



渡りきったところに笛吹童子の像がありました。



自分の知っている笛吹童子ではなく、笛吹権三郎という実在の人物の像のようです。

---------現地説明版より

【笛吹権三郎の事】

 今から六百年ほど昔、芹沢の里(現在の三富村上釜口)に権三郎という若者が住んでいた。

 彼は鎌倉幕府に反抗して追放された日野資朝一派の藤原道義の嫡男であったが、甲斐に逃れたと聞く父を母と共に尋ね歩いてようやくこの土地に辿り着き、仮住まいをしている身であった。彼は孝子の誉れ高く、また、笛の名手としても知られており、その笛の音色はいつも里人の心を酔わせていた。

 ある年の秋の夜のことである。長雨つづきのために近くを流れる子西川が氾濫し権三郎母子が住む丸木小屋を一瞬の間に呑み込んでしまった。若い権三郎は必死で流木につかまり九死に一生を得たが、母親の姿を見つけることはついにできなかった。悲しみにうちひしがれながらも権三郎は日夜母を探し求めてさまよい歩いた。彼が吹く笛の音は里人の涙を誘い同情をそそった。しかし、その努力も報われることなく、ついに疲労困憊の極みに達した権三郎は、自らも川の深みにはまってしまったのである。

 変わり果てた権三郎の遺体は、手にしっかりと笛を握ったまま、はるか下流の小松の河岸で発見され同情を寄せた村人の手によって土地の名刹長慶寺に葬られた。

 権三郎が逝ってから間もなく、夜になると川の流れの中から美しい笛の音が聞こえてくるようになり、里人たちは、いつからかこの流れを笛吹川と呼ぶようになり、今も芹沢の里では笛吹不動尊権三郎として尊崇している。

 これが先祖代々我が家に伝えられている権三郎にまつわる物語です。

     昭和六十年五月吉日  山梨県山梨市七日市場四九三番地  長沢房子(旧姓広瀬)
---------


最初、この像をみて白黒テレビ時代の懐かしい「笛吹童子」かと思いました。
ですが、違っていましたね。

笛吹童子


これを覚えている人はいますか?

幼い時の記憶は脳の奥深いところに刻み込まれていて、この調べは今でも歌えますよ。


かたや、この笛吹権三郎にも歌があるようです。
ですが、youtubeにはその歌がアップされていませんでした。

<新民謡>笛吹権三郎物語
作詞・若杉藤夫 作曲・下鳥良文 編曲・中島昭二
唄・杉浦裕美


1. 雨に打たれて 風に泣く
瀬音さみしい 秋しぐれ
母恋し 権三郎
笛哀し 権三郎
帰るふるさと 無いと云う
笛吹川慕情の 物語

2. 浮いて沈んで 流されて
いまはいずこの いのち花
母恋し 権三郎
笛哀し 権三郎
だれが手向けた 月見草
笛吹河原は 夜の雨

3. 遠い別れの 旅路でも
こころ離れぬ 親子草
母恋し 権三郎
笛哀し 権三郎
人は慕って 夢をみる
笛吹堤の 童子像


笛吹童子の勇気がわくような調べと違い、母を想う悲しい調べなんでしょうね。

ここでブレークタイム
素晴らしい日本の笛の音を

【祝・優勝】インターネット篠笛コンテスト2017 / 片野 聡 「竹田の子守歌」 「ルパン三世のテーマ」

なんだか魂を揺さぶられるようで、なかなかいいもんですね。





ノスタルジックな映画館がありました。

ですが、後で判ったことではありますが、すでに廃業していたようです。
こういう映画館はどんどん無くなって寂しい限りです。



鵜飼山遠妙寺

鵜飼山(うかいさん)とは珍しいですね。
石和温泉では鵜飼が夏の風物詩として親しまれているだそうです。

徒歩鵜


そして、この寺は謡曲「鵜飼」の舞台らしいです。

鵜飼(しめる松明) 榎 並左衛門五郎/宝生新【謡曲 レコード】


あらすじはというと

---------the.能.comより
安房国清澄[今の千葉県南部、鴨川市あたり]の僧が、従僧を連れて、甲斐国[今の山梨県あたり]へ旅立ち、石和(いさわ)[今の山梨県笛吹市石和町]に着きます。日も暮れたため、僧たちは、石和川のほとりの御堂で一夜を過ごすことにしました。すると、そこに松明を持った一人の鵜使いの老人が現れ、僧たちと言葉を交わします。齢を重ねた老人の様子を見た僧は、殺生をやめて他業に転ずるよう諭しますが、老人は今更難しいと応えます。その問答を聞いて、数年前にこの近辺に来たことのある従僧が、同様の鵜使いに会って一夜供応にあずかったことを思い出し、話題にします。老人は、その鵜使いは、殺生禁断の禁制を破った咎めを受けて、殺されたと告げます。老人はその顛末を語り、自分こそが殺された鵜使いの亡霊であると明かし、鵜を使った漁の様子を見せた後、闇路へ消えていきます。

里の者から改めて、鵜使いの悲惨な死を聞いた僧たちは、川の石に法華経の文句を書きつけて、老人を供養します。すると、そこに閻魔大王が現れ、殺生の罪により地獄に堕ちるべき老人が、従僧をもてなした功徳もあって、救いを得たことを知らせます。そして、法華経の有難いご利益を讃えつつ、慈悲の心を持って僧侶を大切にするよう勧めます。
---------


その時、旅僧が作った塚が遠妙寺の始まりといいます。



本堂


仁王門


さすが、石和温泉ですね。
今回はこの辺りで終了としました。



早速、ちいさな地元の銭湯・石和温泉公衆浴場に入りました。
銭湯内は色々とマジック書きの注意書きの張り紙がしてあり、あまりに多くて内容が目に入りません。

食堂もあり、そこでビールを飲みました。

どちらかというと、地元の小さな食堂に風呂がついている(銭湯付き食堂)という感じのローカル色満載のお店です。



悪いから店内は写しませんでした。
なんとなくビールの写真からローカルな感じがうかがわれるでしょう。
奥の方にボヤっとですが、銭湯の常連さん用ロッカーがうつってます。

食事は何を頼んだか?というと醤油ラーメンです。
なぜかというと、「石和で2番目に旨い醤油ラーメン!」という張り紙がしてありましたから。

とにかく、地元の銭湯そのものであって、店内は近所話で盛り上がっている感じ。
端っこの椅子に座ってラーメンをすする自分はいかにもよそ者でした。

でも、そのローカルなところが気持ちをほっこりさせます。
誰でも、また行きたくなりますよ。

多分、お店のオバチャンが気にしてくれたのでしょう、帰りにブドウを3房ほどお土産にくれました。
ありがたや、ありがたや。


(おわり)

2019年の旧甲州街道の旅ランはこれで終了、今年走った旧甲州街道の続きはあと2クールほどです。

思い出、忘れないうちに早くUPしなきゃ。



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