神守宿の延命地蔵
万場宿の浅間神社
新川にかかる砂子橋を渡る
むこうに高速道路がみえる(名古屋西JCTの近くである)
立派な地蔵堂である。
小さな瓦が沢山乗っている。
このあたりで佐屋路は直角に左折するが、高札場があった場所である
秋竹橋を渡ると七宝町である。
江戸末期より七宝焼きによる工芸品の製造が盛んであった場所である。
七宝焼アートヴィレッヂという博物館が近くにあるらしいが、寄ってみたいけれど、そろそろ疲労が溜まってきて惰性で走っているようになった。
佐屋路には所々路面に佐屋路の案内絵が描かれている
疲れて足元の路面ばかりを見ている。
首が下がって走っているようだ。
明治20年創業の料理屋、大澤屋
ああ、ここで一杯やりたい!
もう、足がクタクタだ。
空は青空だが、コンビニもなく、販売機もなく、
走る、走る、走る
フェ~
と思ったら、ちょっとした段差で
転倒
してしまった。
もう、完全に走る気がしなくなった。
もう、名古屋へ戻ろう
路線バスで名古屋に帰ることにしたのだった。
七宝病院前バス停
この日、宿泊した名古屋クラウンホテル
ホテルには温泉がある。
温泉に入ろうと部屋で支度していたら、名古屋の友人のH夫妻から電話があった。
俺が旧東海道を走って名古屋に来ているのを知っていたので、夜一杯やろうということになった。
いつもそうなのだが、一人でポツンと食事するのはかなり寂しい。
自分は相当な寂しがり屋である。
そう言って、誘っていただけるだけで嬉しいのだ。
有難いことである。
ホテルの温泉はかなり広かった。
団体客が入っていたが、温泉には若い身体障害者と若い介護従事者の団体が入っていた。
車椅子の人たちである。
彼等を傍からみていたけれど、皆、明るい。
身障者の体を洗いながら、介護する方もされる若者も笑いが絶えない。
温泉に入るだけで、あれだけ楽しいのは見ている此方も明るくなる。
スロープやリフトなどのバリアフリー設備のある身障者用の温泉ではないから、介護用の専用洗い椅子に腰かけて洗っている組もあれば、床にドテッと寝転がって洗っている組もいる。
小さな子供のように楽しくて仕方がないのだと思うが、とにかく笑い声が絶えないのだ。
H夫妻とホテル玄関で待ち合わせして、歩いて10分ぐらいのところにあった座ワタミに行った。
結構、楽しくて飲みすぎてしまった。
いつもそうなのだが、楽しかったり、嬉しかったりすると度が過ぎるほど飲んでしまう。
しかも、今回も水を横に置いて適宜飲むことを忘れていた。
『どんなお酒でも外で飲むときは水を必ず横に置いておく。』
と決めていたのに。
お酒の酔いは、6段階あるそうで
1 爽快期
2 ほろ酔い期(気分が高ぶり、おしゃべりになったり、手足の運動が活発になる)
3 酩酊初期(運動の協調性の低下、反射の遅れ)
4 酩酊期(ブラックアウト、記憶障害、まっすぐ歩けない)
5 泥酔期(錯乱、重い運動機能障害)
6 昏睡期(意識の喪失、死)
とあるらしいのだが、この日はレベル3まで行ってしまっかと思う。
ホテルに戻って部屋に着いたとたん、服を着たままベッドで寝てしまったのだった。
理想はレベル2なのだが、家に居ても嬉しいとレベル3まで行ってしまうのである。
----<参考>-------
「二日酔いしない飲酒量の計算式」というのがある。
翌日、二日酔しないための飲酒量(mL)
=〔15×体重(kg)×飲み始めてから翌朝までの時間(h)〕÷〔酒のエタノール度数(%)×0.8〕
これが、
・ビールだとすると俺の好きなスーパードライ(5.5%)で計算した場合、
・飲み始めて3時間で帰宅し、
・帰宅にかかる時間60分、
・帰ってからバタンキューで寝てしまい、
・睡眠時間7時間、として
俺が翌日、二日酔しないための飲酒量=15×70(�)×[3+1+7](時間)÷5.5(%)×0.8
=1680ml
大瓶2本半強である。
家で飲むのは、大瓶2本くらいだ。
最近はブラックアウトもたまにある。
新宿で飲んで、嬉しくて調子に乗り、最後の〆にと、しばしば立ち寄ってしまう立ち飲みフランス居酒屋「プロヴァンサル」 で芸術家が熱狂した「禁断の酒」アブサン(仏: absinthe)を飲むとそうなってしまう。
徐々に認知症(アルチュウハイマー)に近づきつつあるのだ。
プロヴァンサル
できるだけ、アブサンは封印しようと思う。
いや、絶対飲まないぞ
アブサン「マンサン」66.6%
この退廃的な雰囲気がたまらない魅力だ。
ゴッホやロートレックを思い出す。
尚、アブサンは、主成分が「ニガヨモギ」であり、花言葉は「不在」である。
そして英語の「absence(アブセンス)」も「不在」を意味し、フランス語でも「存在しない」という意味になる。
そう、「心ここに在らず」の酒である。
----<参考終わり>----
翌日はバスに乗って七宝病院まで戻ってきた。
神守(かもり)の一里塚
江戸から93里目である
木は榎ではなく、椋の大木である。
神守宿に入った。
このあたりは立派な旧家が多い。
なんとなく、豊かな宿という感じがした。
憶感神社(おっかんじんじゃ)である。
神守宿はこの神社を中心にして発展した宿だ。
「憶感神社」とはとても珍しい名の神社だが、その由緒はよくわかっていない。
それは、戦国時代の長島の一向一揆のため、すべて焼失してしまったからである。
神社自体の作りも変わっていた。
蕃塀(ばんべい、神社の拝殿の前にある衝立状の塀)があった。→参考:津島市憶感神社の蕃塀
その神社境内の中にある吉祥寺
延命地蔵堂(憶感神社の前にある)
神守宿場時代、宝暦8年(1758)に祀られ、文政3年(1820)には檀徒及び村人の厚い信仰により六角堂が建立された。
立派な六角堂である。
(つづく)
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万場宿の浅間神社
新川にかかる砂子橋を渡る
むこうに高速道路がみえる(名古屋西JCTの近くである)
立派な地蔵堂である。
小さな瓦が沢山乗っている。
このあたりで佐屋路は直角に左折するが、高札場があった場所である
秋竹橋を渡ると七宝町である。
江戸末期より七宝焼きによる工芸品の製造が盛んであった場所である。
七宝焼アートヴィレッヂという博物館が近くにあるらしいが、寄ってみたいけれど、そろそろ疲労が溜まってきて惰性で走っているようになった。
佐屋路には所々路面に佐屋路の案内絵が描かれている
疲れて足元の路面ばかりを見ている。
首が下がって走っているようだ。
明治20年創業の料理屋、大澤屋
ああ、ここで一杯やりたい!
もう、足がクタクタだ。
空は青空だが、コンビニもなく、販売機もなく、
走る、走る、走る
フェ~
と思ったら、ちょっとした段差で
転倒
してしまった。
もう、完全に走る気がしなくなった。
もう、名古屋へ戻ろう
路線バスで名古屋に帰ることにしたのだった。
七宝病院前バス停
この日、宿泊した名古屋クラウンホテル
ホテルには温泉がある。
温泉に入ろうと部屋で支度していたら、名古屋の友人のH夫妻から電話があった。
俺が旧東海道を走って名古屋に来ているのを知っていたので、夜一杯やろうということになった。
いつもそうなのだが、一人でポツンと食事するのはかなり寂しい。
自分は相当な寂しがり屋である。
そう言って、誘っていただけるだけで嬉しいのだ。
有難いことである。
ホテルの温泉はかなり広かった。
団体客が入っていたが、温泉には若い身体障害者と若い介護従事者の団体が入っていた。
車椅子の人たちである。
彼等を傍からみていたけれど、皆、明るい。
身障者の体を洗いながら、介護する方もされる若者も笑いが絶えない。
温泉に入るだけで、あれだけ楽しいのは見ている此方も明るくなる。
スロープやリフトなどのバリアフリー設備のある身障者用の温泉ではないから、介護用の専用洗い椅子に腰かけて洗っている組もあれば、床にドテッと寝転がって洗っている組もいる。
小さな子供のように楽しくて仕方がないのだと思うが、とにかく笑い声が絶えないのだ。
H夫妻とホテル玄関で待ち合わせして、歩いて10分ぐらいのところにあった座ワタミに行った。
結構、楽しくて飲みすぎてしまった。
いつもそうなのだが、楽しかったり、嬉しかったりすると度が過ぎるほど飲んでしまう。
しかも、今回も水を横に置いて適宜飲むことを忘れていた。
『どんなお酒でも外で飲むときは水を必ず横に置いておく。』
と決めていたのに。
お酒の酔いは、6段階あるそうで
1 爽快期
2 ほろ酔い期(気分が高ぶり、おしゃべりになったり、手足の運動が活発になる)
3 酩酊初期(運動の協調性の低下、反射の遅れ)
4 酩酊期(ブラックアウト、記憶障害、まっすぐ歩けない)
5 泥酔期(錯乱、重い運動機能障害)
6 昏睡期(意識の喪失、死)
とあるらしいのだが、この日はレベル3まで行ってしまっかと思う。
ホテルに戻って部屋に着いたとたん、服を着たままベッドで寝てしまったのだった。
理想はレベル2なのだが、家に居ても嬉しいとレベル3まで行ってしまうのである。
----<参考>-------
「二日酔いしない飲酒量の計算式」というのがある。
翌日、二日酔しないための飲酒量(mL)
=〔15×体重(kg)×飲み始めてから翌朝までの時間(h)〕÷〔酒のエタノール度数(%)×0.8〕
これが、
・ビールだとすると俺の好きなスーパードライ(5.5%)で計算した場合、
・飲み始めて3時間で帰宅し、
・帰宅にかかる時間60分、
・帰ってからバタンキューで寝てしまい、
・睡眠時間7時間、として
俺が翌日、二日酔しないための飲酒量=15×70(�)×[3+1+7](時間)÷5.5(%)×0.8
=1680ml
大瓶2本半強である。
家で飲むのは、大瓶2本くらいだ。
最近はブラックアウトもたまにある。
新宿で飲んで、嬉しくて調子に乗り、最後の〆にと、しばしば立ち寄ってしまう立ち飲みフランス居酒屋「プロヴァンサル」 で芸術家が熱狂した「禁断の酒」アブサン(仏: absinthe)を飲むとそうなってしまう。
徐々に認知症(アルチュウハイマー)に近づきつつあるのだ。
プロヴァンサル
できるだけ、アブサンは封印しようと思う。
いや、絶対飲まないぞ
アブサン「マンサン」66.6%
この退廃的な雰囲気がたまらない魅力だ。
ゴッホやロートレックを思い出す。
尚、アブサンは、主成分が「ニガヨモギ」であり、花言葉は「不在」である。
そして英語の「absence(アブセンス)」も「不在」を意味し、フランス語でも「存在しない」という意味になる。
そう、「心ここに在らず」の酒である。
----<参考終わり>----
翌日はバスに乗って七宝病院まで戻ってきた。
神守(かもり)の一里塚
江戸から93里目である
木は榎ではなく、椋の大木である。
神守宿に入った。
このあたりは立派な旧家が多い。
なんとなく、豊かな宿という感じがした。
憶感神社(おっかんじんじゃ)である。
神守宿はこの神社を中心にして発展した宿だ。
「憶感神社」とはとても珍しい名の神社だが、その由緒はよくわかっていない。
それは、戦国時代の長島の一向一揆のため、すべて焼失してしまったからである。
神社自体の作りも変わっていた。
蕃塀(ばんべい、神社の拝殿の前にある衝立状の塀)があった。→参考:津島市憶感神社の蕃塀
その神社境内の中にある吉祥寺
延命地蔵堂(憶感神社の前にある)
神守宿場時代、宝暦8年(1758)に祀られ、文政3年(1820)には檀徒及び村人の厚い信仰により六角堂が建立された。
立派な六角堂である。
(つづく)
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