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インド、クソオヤジの心の旅(ガンジスを走れるか?)・・・3日目(その3)

2013年03月14日 | インド、オッサンの心の旅
<L君のオヤジは大宮デン助だった!>

シャワーを浴びたのち、早速俺はガンジス河へ降りて行った。
やはり、そこにはL君たちがいた。

俺は、ガンジス河の沐浴場沿いに走ろうと計画していたので、その下見を兼ねて歩き回ろうと思っていた。
そして、日本へ無事バラナシのホテルに着いたことをインターネットで連絡すべく、ネットカフェをさがすつもりでいた。

L君は暇だから俺をいろいろ案内するという。
(たしかに、このときは観光客は少なかった。)

俺は断ったのだが、勝手に付いてきたのだった。
俺をカモにする気だな、と腹の中では思っていた。

上流に向かって、ブラブラ歩いた。
この階段沐浴場(ガート)には様々な動物がいる。
オーム、カラス、鳩、牛、ヤギ、犬、豚、猿、これに河童がいたら西遊記である。


(ウィキペディアより)

だが、不思議なことに猫がいないのだ。
女房達も2年前に来たとき、ノラ猫はみなかったという。

その代わり、いたるところに野犬がいる。
それは何故か?
俺が思うに、昔、犬と猫の大戦争があったのではないだろうか?
そして、猫が負けたのだ。
そうでも考えなければ、猫を食べちゃったとしか思えないが、中国ではあるまいし、インドは不殺生の国だから、やはり犬猫大戦争に負けたとしか考えられない。

そうそう、コブラの蛇使いがいたのである。
沐浴場の階段上部で笛を吹いていたのであった。
俺はまたまた写真を撮らなかった。
ビックリしたからである。

それと、全く同じだった動画を発見したので載せます。

wake up call by "Snake Charmer in Gurgaon" PART - II


L君は俺のペースより早くて、先へ先へといっては待っている。
そんな感じだった。

俺はGoing My Way 
彼に案内されるつもりはないので、ユックリ歩いた。

歩いた感じでは、沐浴場沿いは走れなくはなかった。
だが、走ってる奴なんて誰もいない。
というか、こんな聖なるガンジス河で「おまえは何を急いでいるのか?」そうお坊さんに言われそうだった。
これは、朝あまり人のいないときに走るのが一番よいのではないかと思った。
(明朝、ホテルから下流の火葬場まで走ってみることに決定した。)

お坊さんは河のアチコチにいて、黄色いテントの中に裸で座っていることが多かった。
裸ではあるが、真っ白な粉を塗っていて、ボーっとたき火の周りに座っていた。
裸といっても、素っ裸なんである。

L君に言わせると、今は1か月間、バラナシに数ある寺院の中でも17世紀に建立されたヴィシュヴァナート寺院(別名:ゴールデンテンプル)のシヴァのお祭りなんだが、その最中はアチコチからお坊さんがこのガンジス河に集まる。
でも、そのお坊さんのうち、かなりの割合が偽のお坊さんで寄付目当てで来ているとのことだった。


ブラブラ歩いている間にも、ボートマンの勧誘は何度もあった。
それが、値段がマチマチであって、適正な価格が全くわからない。

そこで、L君に聞いてみた。
彼が言うにはインド人価格と外国人価格があるらしく、インド人は20人ぐらいの集団でボートに乗り、大体、一回につきRs50ぐらい、外国人は貸切ボートで1人乗り、1時間ならRs150であるということだった。
インド人と一緒に乗ることもできるが、貸切で好きなところに行った方が楽しいということだった。

散歩は適当なところで折り返し、ネットカフェを探すことにした。
L君にいわせるとアチラコチラにあるらしい。

店を全く知らないなら、俺が教えるというので、探すのは面倒だから案内してもらうことにした。
 
(バラナシのメイン通り)
彼はドンドン歩いていき、俺はやっとのことで付いていく有様だったが、その店は自分の家族がやっているシルクショップの近くらしかった。

俺も、面倒だから「店の場所だけでも聞いておくよ。」、と行くつもりもないのに店だけ見て、それからネットカフェに行くことにした。

その店は、とても狭い路地の中にあった。
両親と男兄弟3人で経営しているという。
L君は末っ子だった。

衝撃だった!
彼の父親は、昭和時代に浅草を中心に活躍したコメディアンの大宮デン助にそっくりだった
(デン助と兄弟だといっても誰も疑わないだろう。)

俺は子供のころ、デン助が大好きで、TVで放映されていた「デン助劇場」はかかさず見ていたし、首を振り振りするデン助人形が欲しくてたまらなかった。
 

L君のパパは日本語はしゃべれないが、英語はうまいので会話することができた。
なんだか、急に親しみを感じてしまったのだった。(俺も単純である。)
とにかく、部屋へあがれとパパが言うので、あがってチャイをいただいた。
何をしゃべったのか忘れてしまったが、このとき、急にL君と親しくなったように思う。
パパはいつでも遊びに来い、といったが、シルクを買えとは一言も言わなかった。
(パパの写真も、お店の写真も1枚も撮らなかった。残念なり!)

デン助


その店から数分のところにネットカフェがあった。
ここで、L君とは別れ、明日また会おうということになった。

そこは、パソコンが8台ぐらいだろうか、ずらりと並んでいて、1時間Rs40だった。
パソコンのキーボードはキーに刻まれた文字は摩耗で消えてしまっていた。
だから、いつもの感で文字を打った。
Webメールを開き、ローマ字で家族に無事であるというメールを送った。

(その後、ここのネットカフェは外国人価格の料金を取ることが分かった。
通常のインド人はRs15ぐらいである。
だから、2度とこの店には来なかった。)
メールを打った後、とりあえず、ホテルに戻った。



道は全くわからないから、ガンジス河まで出て、沐浴場沿いに歩き、ホテルに戻ったのである。
明日は、このバラナシの迷路を把握しようと思った。

(つづく)


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