写真は出会った藤枝大祭の山車
岡部の宿では家々にサッカーボールの飾りが飾られているところが多い。
走っていると、どの家にもサッカーボールの飾りがあるのに気付く。
岡部は藤枝市に属するのだが、藤枝はサッカーの町である。
明治の開校時からサッカーを校技にしていた藤枝東高校が1960年代から70年代にかけて黄金時代つくったのだが、大学に進学した部員が大学卒業後、藤枝市の小学校中学校高校の先生となり、サッカー部の指導者になったから全体的にレベルアップして、「サッカー王国藤枝」が誕生したらしいのである。
サッカーというと今では日本代表の試合ぐらいしかみないが、何を隠そう中学1年の時だが、数か月
サッカー部に在籍したことがあった
のである。
部員数もかなりいて、結構上手な仲間も多かった。
試合中バックキックなんて決める奴もいたのだから、そこそこレベルは高かったと思う。
だが、私は、そのころ、丁度体の伸び盛り(横方向に成長)で、食欲が急に増し、一時的におデブちゃんになった。
だから、思うように体が動かない。
小学生6年のとき、背は前から2番目くらいチビだったが、太ってはおらず、体育とケンカが大好きでイザコザがあると楽しくなり、ケンカは俺に任せておけというタイプで、動くのは大好きで生意気にも鉄棒で車輪ができたくらいだったが、そのころから急に運動が苦手になった。
サッカーぐらい、すぐレギュラーになれると自惚れていた(女の子にもてたいという不純な動機であった。)が、どうも体が重くて動かない。
なにせ、サッカーすると足の内股の肉がダブついているから、股ズレがおきてしまう。
(知ってますか?股ズレって痛いんだよ!)
走るとすぐ息が上がるし、練習に当然ついていけず、ついにはサッカーの短パンも肥満サイズになり、超カッコ悪かったのだった。
ボールを追いかけるチビ・ブルドッグみたいで、自分でもみじめだと思い、サッカーを諦め退部したのだった。
そして、体育の時間の校庭マラソンもシンドイので、途中でズルして回る周回数を適当に誤魔化したりしたのだった。
だが、不思議と痩せようなんて思ったことはなかった。
それより、毎日食べるのが楽しかった。
それでも一応、男らしく「スポーツらしきクラブ」にと思い、入ったのがヘラブナ専門の釣り部。
要するに、釣り堀専門部である。
とにかく、男しかいないクラブであるのだが、なぜか伝統だけはあるのだった。
もう、マジな運動はダメだと思い、それでも夢は大きく「俺は太公望になるしかない」と思い、足繁く仲間と釣り堀に通ったのである。
正直、当時釣りはあまり興味なかったのだが、なんといっても仲間と喋るのが楽しかった。
中学2年のある日、音楽のI先生に呼び止められ、「おまえ、1週間前と顔が違うなぁ」と突然言われた。
今度は縦方向に成長しはじめたのである。
あまりにも急に縦方向に成長したので、顔が一週間で変化していたのである。
そんな馬鹿な、スリラーな話と思うかもしれないが、卒業した後日に先生に確かめたのだから間違いないのだ。
時には膝が痛いこともあったりした。
自意識のないまま、背も人並みになっており、あるとき体育の時間で走り幅跳び、走り高跳びをやったら、クラスで一番だった。
私には『アイツは体育が苦手』というイメージがクラスの仲間にあり、突然の跳躍でクラスメイトもビックリしていたが、それより自分が自分にビックリだった。
もしかしたらと思い、鉄棒をやったら以前のように車輪もできるようになっていた。
(いまでは、逆上がりも危うい歴史ある本格派のデブであるが・・・。)
デブではなくなっていたのである。
むしろ、細見になっていたのだった。
急にそうなったので、学生ズボンもウエストがゆるく、足裾が短くツンツルテンの状態であった。
今の時代は、学生ズボンの股下が、ペンギンのような短い股下になっていて、足が超短いように見えてカッコ悪いのが流行っているが、私に時代はダブダブのボンタンという太目のヤンキーなズボンが流行っていた。
だが、私はもっと先の時代をいくマイケルジャクソンのようなツンツルテンなのだった。
おかしな話なのだが、その時は自分がスマートになっているなんて全く思わなかったのが不思議なのである。
だが、釣り部はやめなかった。
結局、部長ということになったのだが、釣りには興味がわかず、それより、くだらないことをしゃべる、駄弁り倶楽部であった。
まあ、サッカーというとそんなカニの脱皮のような思い出があるのである。
旧東海道ランでもしなければ思い出すことの無かった出来事だ。
人様に聞いたことはないけれど、成長期というのは、皆似たような思い出があるのかもしれない。
藤枝市岡部の五智如来である。
如来の種類は右から
阿弥陀如来 釈迦如来 大日如来 阿しゅく如来 宝生如来
という密教戦隊、如来ゴレンジャーなのである。
その説明は次の通り
そのとき、不思議でたまらなかったことがあった。
写真をよくみてください。
各如来の後ろ・・・
な、なんだ!
この背後霊のような仏像は!
各如来の後ろに隠れて仏像が置かれているではないか。
なんだろうなぁ???、と疑問を抱きながら帰ってきたのだが、ネットで調べたら、最初造られた後ろの仏像が古くなったため、明治時代に作りなおされたけれども、仏像であるがゆえに捨てることが出来ず、そのまま置いてあるという、極めて面白くない理由なのであった。
捨てられないという気持ちはよくわかるけど、・・・。
説明書きをよくよくみれば2組あるよとかいてあるのだが、私はもう1組は別の場所にあるのかと思っていた。
『各如来の背後に古い如来がありますよ。』、とハッキリかいてくれればいいのに。
しかし、古い如来は常に新しい如来のお尻しか見えませんね。
この家のところには昔、大工さんがいたという看板
これは横内の朝比奈川河川敷に飾られていた、「あげんだい」といわれるもので、運動会の玉入れの火遊びバージョンである。
孟宗竹の上部を割って籠を作り、その中に燃えやすい松葉や麦わら竹の筒などをいれたもので、それにたいまつを投げ入れ早く火がつくのを競うものだそうな。
須賀神社というところで、すごいクスの木をみた。
幹の周囲は10.9m高さ24mである。
ただ、これでも静岡巨木ランキングでベスト15位だということである。
1位は熱海の来宮神社(きのみやじんじゃ)の大クスらしく、それは高さは20mなのだが、なんと幹周囲23.9mだというのである。
太さでは鹿児島の蒲生の大クスに次ぐ日本で第2位であり、樹齢2000年はクスノキでは日本最長齢だということだ。
木の根を神体とした来宮神社の大クス
藤枝市の中心部に入ったら藤枝大祭というお祭りだった。
関東のお祭りとは全然違う。
どちらかというと京風である。
その動画をとったので載せる。
「やれやれやれよ~」という、なんとも勢いのいい、聴き方によってはガラの悪い掛け声のお祭りかと思うと、「長唄+踊り」の雅な美しい祭りに突然変化するという、静と動の激しい祭り。
あれは、相当のエネルギー消耗だ。
終わったら、多分ガクッと疲労困憊になるだろう、と思いつつ、楽しそうにビールを飲んでいる神酒所の前を疲労困憊の顔をしながら俺は走り抜けた。
(つづく)
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岡部の宿では家々にサッカーボールの飾りが飾られているところが多い。
走っていると、どの家にもサッカーボールの飾りがあるのに気付く。
岡部は藤枝市に属するのだが、藤枝はサッカーの町である。
明治の開校時からサッカーを校技にしていた藤枝東高校が1960年代から70年代にかけて黄金時代つくったのだが、大学に進学した部員が大学卒業後、藤枝市の小学校中学校高校の先生となり、サッカー部の指導者になったから全体的にレベルアップして、「サッカー王国藤枝」が誕生したらしいのである。
サッカーというと今では日本代表の試合ぐらいしかみないが、何を隠そう中学1年の時だが、数か月
サッカー部に在籍したことがあった
のである。
部員数もかなりいて、結構上手な仲間も多かった。
試合中バックキックなんて決める奴もいたのだから、そこそこレベルは高かったと思う。
だが、私は、そのころ、丁度体の伸び盛り(横方向に成長)で、食欲が急に増し、一時的におデブちゃんになった。
だから、思うように体が動かない。
小学生6年のとき、背は前から2番目くらいチビだったが、太ってはおらず、体育とケンカが大好きでイザコザがあると楽しくなり、ケンカは俺に任せておけというタイプで、動くのは大好きで生意気にも鉄棒で車輪ができたくらいだったが、そのころから急に運動が苦手になった。
サッカーぐらい、すぐレギュラーになれると自惚れていた(女の子にもてたいという不純な動機であった。)が、どうも体が重くて動かない。
なにせ、サッカーすると足の内股の肉がダブついているから、股ズレがおきてしまう。
(知ってますか?股ズレって痛いんだよ!)
走るとすぐ息が上がるし、練習に当然ついていけず、ついにはサッカーの短パンも肥満サイズになり、超カッコ悪かったのだった。
ボールを追いかけるチビ・ブルドッグみたいで、自分でもみじめだと思い、サッカーを諦め退部したのだった。
そして、体育の時間の校庭マラソンもシンドイので、途中でズルして回る周回数を適当に誤魔化したりしたのだった。
だが、不思議と痩せようなんて思ったことはなかった。
それより、毎日食べるのが楽しかった。
それでも一応、男らしく「スポーツらしきクラブ」にと思い、入ったのがヘラブナ専門の釣り部。
要するに、釣り堀専門部である。
とにかく、男しかいないクラブであるのだが、なぜか伝統だけはあるのだった。
もう、マジな運動はダメだと思い、それでも夢は大きく「俺は太公望になるしかない」と思い、足繁く仲間と釣り堀に通ったのである。
正直、当時釣りはあまり興味なかったのだが、なんといっても仲間と喋るのが楽しかった。
中学2年のある日、音楽のI先生に呼び止められ、「おまえ、1週間前と顔が違うなぁ」と突然言われた。
今度は縦方向に成長しはじめたのである。
あまりにも急に縦方向に成長したので、顔が一週間で変化していたのである。
そんな馬鹿な、スリラーな話と思うかもしれないが、卒業した後日に先生に確かめたのだから間違いないのだ。
時には膝が痛いこともあったりした。
自意識のないまま、背も人並みになっており、あるとき体育の時間で走り幅跳び、走り高跳びをやったら、クラスで一番だった。
私には『アイツは体育が苦手』というイメージがクラスの仲間にあり、突然の跳躍でクラスメイトもビックリしていたが、それより自分が自分にビックリだった。
もしかしたらと思い、鉄棒をやったら以前のように車輪もできるようになっていた。
(いまでは、逆上がりも危うい歴史ある本格派のデブであるが・・・。)
デブではなくなっていたのである。
むしろ、細見になっていたのだった。
急にそうなったので、学生ズボンもウエストがゆるく、足裾が短くツンツルテンの状態であった。
今の時代は、学生ズボンの股下が、ペンギンのような短い股下になっていて、足が超短いように見えてカッコ悪いのが流行っているが、私に時代はダブダブのボンタンという太目のヤンキーなズボンが流行っていた。
だが、私はもっと先の時代をいくマイケルジャクソンのようなツンツルテンなのだった。
おかしな話なのだが、その時は自分がスマートになっているなんて全く思わなかったのが不思議なのである。
だが、釣り部はやめなかった。
結局、部長ということになったのだが、釣りには興味がわかず、それより、くだらないことをしゃべる、駄弁り倶楽部であった。
まあ、サッカーというとそんなカニの脱皮のような思い出があるのである。
旧東海道ランでもしなければ思い出すことの無かった出来事だ。
人様に聞いたことはないけれど、成長期というのは、皆似たような思い出があるのかもしれない。
藤枝市岡部の五智如来である。
如来の種類は右から
阿弥陀如来 釈迦如来 大日如来 阿しゅく如来 宝生如来
という密教戦隊、如来ゴレンジャーなのである。
その説明は次の通り
そのとき、不思議でたまらなかったことがあった。
写真をよくみてください。
各如来の後ろ・・・
な、なんだ!
この背後霊のような仏像は!
各如来の後ろに隠れて仏像が置かれているではないか。
なんだろうなぁ???、と疑問を抱きながら帰ってきたのだが、ネットで調べたら、最初造られた後ろの仏像が古くなったため、明治時代に作りなおされたけれども、仏像であるがゆえに捨てることが出来ず、そのまま置いてあるという、極めて面白くない理由なのであった。
捨てられないという気持ちはよくわかるけど、・・・。
説明書きをよくよくみれば2組あるよとかいてあるのだが、私はもう1組は別の場所にあるのかと思っていた。
『各如来の背後に古い如来がありますよ。』、とハッキリかいてくれればいいのに。
しかし、古い如来は常に新しい如来のお尻しか見えませんね。
この家のところには昔、大工さんがいたという看板
これは横内の朝比奈川河川敷に飾られていた、「あげんだい」といわれるもので、運動会の玉入れの火遊びバージョンである。
孟宗竹の上部を割って籠を作り、その中に燃えやすい松葉や麦わら竹の筒などをいれたもので、それにたいまつを投げ入れ早く火がつくのを競うものだそうな。
須賀神社というところで、すごいクスの木をみた。
幹の周囲は10.9m高さ24mである。
ただ、これでも静岡巨木ランキングでベスト15位だということである。
1位は熱海の来宮神社(きのみやじんじゃ)の大クスらしく、それは高さは20mなのだが、なんと幹周囲23.9mだというのである。
太さでは鹿児島の蒲生の大クスに次ぐ日本で第2位であり、樹齢2000年はクスノキでは日本最長齢だということだ。
木の根を神体とした来宮神社の大クス
藤枝市の中心部に入ったら藤枝大祭というお祭りだった。
関東のお祭りとは全然違う。
どちらかというと京風である。
その動画をとったので載せる。
「やれやれやれよ~」という、なんとも勢いのいい、聴き方によってはガラの悪い掛け声のお祭りかと思うと、「長唄+踊り」の雅な美しい祭りに突然変化するという、静と動の激しい祭り。
あれは、相当のエネルギー消耗だ。
終わったら、多分ガクッと疲労困憊になるだろう、と思いつつ、楽しそうにビールを飲んでいる神酒所の前を疲労困憊の顔をしながら俺は走り抜けた。
(つづく)
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