旧街道沿いでも、今回の区間は極端にコンビニが少なかった。
途中で腹が減ってしかたなく、事前に買っておいたミニクッキーを齧りながら走っていた。
とにかく、国道1号線にでさえすれば食堂は見つかるだろう。
「七里の渡し」からは国1を横切ることはあっても、国1沿いに走ることはなかった。
阿倉川駅ちかくで、1キロ弱の区間、国1沿いに走るところがあって、そこでようやくラーメンにありつくことができた。
ラーメン+チャーハンの究極の炭水化物セットである。
ラーメンの塩分とエネルギーが体にどんどん吸収されていくのが感じられる。
チャーハンはしっとり系である。
旨い!のである。
疲れた時はやはり炭水化物なのだ。
(本題とは関係ない独り言:
「マツコの知らない世界」で板橋チャーハンの世界、というのを最近見た。
今まで、気が付かなかった目から鱗の話なのだ。
その中で、その研究家は「チャーハンはパラパラが旨いというのは幻想である。」というのだった。
その理由(彼の説)というのが、なかなか面白い!
-----------------------
「チャーハンはパラパラが美味しい」というイメージは、土曜日の学校が半ドン(午前中だけ)だった時代から作り上げられたと考えている。お母さんが子どものお昼ご飯にチャーハンを作ろうと冷蔵庫にある冷やご飯をフライパンで炒めるが、ダマになったり味にムラがでて上手くできなかったことから「パラパラ」にできないかという願望が育った。「パラパラチャーハンはそれが生んだ幻想」
-----------------------
昨日、ある催しがあって新宿○○プラザにて典型的なパラパラチャーハンをたべたけれど、近所のラーメン屋のラーメンのスープを吸わせたシットリチャーハンの方が断然旨いと思う。ホテルもしっとり系に変えたほうがいい。)
三ツ谷一里塚跡
海蔵橋だったかな?
旧東海道は四日市の諏訪神社の手前で国道1号線を横断するのだが、地図にて場所をよく確認しないと迷ってしまう。
諏訪神社
神社の中では七五三の親子で華やかだった
この諏訪神社が四日市のアーケード街の入り口である。
旧東海道はアーケード街を走るのだ。
旧街道の初めての風変わりな景色だ。
このあたりが四日市宿の中心のはずである。
四日市とは四の付く日に市がたったのでついた地名らしいが、アーケード街はその市の名残だろうか?
まったく関係ないのだろうか?
写真の人形はアーケードでみかけた、自動で首が伸縮するろくろ首人形(大入道)である。
四日市には大入道の民話があるのだ。
(次の動画の朗読は臨場感たっぷりで素晴らしいです。ぜひご覧下さい!)
ろくろ首はお化けとはいえ、善人の働き者だったのである。
これも目から鱗のお話だ。(この地方だけかもしれないけど・・・)
それなりに街道沿いの家らしい畳屋さんの建物なのだがゴミ屋敷と化している。
これは綺麗に片づけてほしい。
畳は、世界に類がない日本固有の文化なのだから、畳屋さんも絶滅危惧職種にならないでほしいものだ。
鈴木薬局(旧鈴木製薬所)である。
嘉永5年(1852)に建てたられたものである
作っていたのが、
「赤万能即治膏」
「無二即治膏」
「萬金丹」
「真妙円」
いったい、なんの薬なんでしょうか?
日永地区あたりの旧東海道
天白橋を渡る
「つんつく踊り」で有名な両聖寺
(踊りの由来は下の動画を見てください)
踊りの歌謡の節がなんだか独特で不思議な感じがする。
お経のような・・・?
旧東海道の名残の一本の松
旧東海道と伊勢参宮道の分岐(日永の追分)である。
小さな三角地帯に鳥居、常夜灯、道標などがある。
今でも湧水が絶え間なく流れていて、お茶やコーヒー用の名水として遠くから汲みに来るらしい。
自分も飲んでみたが、冷たくて旨い軟水である。
これは自然の湧水ではなく、地形の高低差を利用した自然流下式の湧き水だ。
昭和の初めころ、地元の事業家が自費で引いたものらしい。
旧東海道で、こんな湧水が飲めるところはないので、外せない休憩ポイントである。
小古曽地区の旧東海道
内部(うつべ)駅にて本日のランは終了とした。
この駅は旧東海道に沿って走る四日市あすなろう鉄道の終点である。
このあたりで泊まれそうな宿に行くには、四日市駅周辺まで戻る必要があるだが、ここから先は10km先の庄野宿まで行かねば鉄道がないのだ。
まるで、明日のジョーや丹下健三がでてきそうな下町の民家のような駅である。
この電車は2本のレール幅(軌間)が日本でも数少ない762mmナローゲージ路線(普通は1067㎜)で、軽便鉄道時代からずっとこのゲージ(軌間)を守り通している路線である。
したがって、車両自体も通常の規格外であるため、古い車両をそのまま使用している。
写真はWikiwandの「四日市あすなろう鉄道内部線」より
電車の中(2両連結のワンマン電車だった)
車両も小さかった。
四日市でサンルートホテルに泊まった。
すぐに汗を流し、ランドリーサービスにて洗濯している間に少し昼寝。
着替えて、夜の四日市居酒屋放浪へと出かけた。
日曜日だったので閉まっている店は多く、とりあえず夜の明かりを求めて彷徨った。
行ったのは山甲という立ち飲み屋である。
立ち飲みなのだが、背の低い小さな椅子が置いてある。
座るとカウンターの位置が肩あたりになり、店の人から見たら首だけが見えるさらし首状態になるだろう。
まずは、瓶ビールと土手煮から始まり、諸々を食べ、最後はラーメンで閉めた。
まだ、暗くなったばかりで、夜は長い。
酒場という聖地へ酒を求め、肴を求めさまよう・・・
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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途中で腹が減ってしかたなく、事前に買っておいたミニクッキーを齧りながら走っていた。
とにかく、国道1号線にでさえすれば食堂は見つかるだろう。
「七里の渡し」からは国1を横切ることはあっても、国1沿いに走ることはなかった。
阿倉川駅ちかくで、1キロ弱の区間、国1沿いに走るところがあって、そこでようやくラーメンにありつくことができた。
ラーメン+チャーハンの究極の炭水化物セットである。
ラーメンの塩分とエネルギーが体にどんどん吸収されていくのが感じられる。
チャーハンはしっとり系である。
旨い!のである。
疲れた時はやはり炭水化物なのだ。
(本題とは関係ない独り言:
「マツコの知らない世界」で板橋チャーハンの世界、というのを最近見た。
今まで、気が付かなかった目から鱗の話なのだ。
その中で、その研究家は「チャーハンはパラパラが旨いというのは幻想である。」というのだった。
その理由(彼の説)というのが、なかなか面白い!
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「チャーハンはパラパラが美味しい」というイメージは、土曜日の学校が半ドン(午前中だけ)だった時代から作り上げられたと考えている。お母さんが子どものお昼ご飯にチャーハンを作ろうと冷蔵庫にある冷やご飯をフライパンで炒めるが、ダマになったり味にムラがでて上手くできなかったことから「パラパラ」にできないかという願望が育った。「パラパラチャーハンはそれが生んだ幻想」
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昨日、ある催しがあって新宿○○プラザにて典型的なパラパラチャーハンをたべたけれど、近所のラーメン屋のラーメンのスープを吸わせたシットリチャーハンの方が断然旨いと思う。ホテルもしっとり系に変えたほうがいい。)
三ツ谷一里塚跡
海蔵橋だったかな?
旧東海道は四日市の諏訪神社の手前で国道1号線を横断するのだが、地図にて場所をよく確認しないと迷ってしまう。
諏訪神社
神社の中では七五三の親子で華やかだった
この諏訪神社が四日市のアーケード街の入り口である。
旧東海道はアーケード街を走るのだ。
旧街道の初めての風変わりな景色だ。
このあたりが四日市宿の中心のはずである。
四日市とは四の付く日に市がたったのでついた地名らしいが、アーケード街はその市の名残だろうか?
まったく関係ないのだろうか?
写真の人形はアーケードでみかけた、自動で首が伸縮するろくろ首人形(大入道)である。
四日市には大入道の民話があるのだ。
(次の動画の朗読は臨場感たっぷりで素晴らしいです。ぜひご覧下さい!)
ろくろ首はお化けとはいえ、善人の働き者だったのである。
これも目から鱗のお話だ。(この地方だけかもしれないけど・・・)
それなりに街道沿いの家らしい畳屋さんの建物なのだがゴミ屋敷と化している。
これは綺麗に片づけてほしい。
畳は、世界に類がない日本固有の文化なのだから、畳屋さんも絶滅危惧職種にならないでほしいものだ。
鈴木薬局(旧鈴木製薬所)である。
嘉永5年(1852)に建てたられたものである
作っていたのが、
「赤万能即治膏」
「無二即治膏」
「萬金丹」
「真妙円」
いったい、なんの薬なんでしょうか?
日永地区あたりの旧東海道
天白橋を渡る
「つんつく踊り」で有名な両聖寺
(踊りの由来は下の動画を見てください)
踊りの歌謡の節がなんだか独特で不思議な感じがする。
お経のような・・・?
旧東海道の名残の一本の松
旧東海道と伊勢参宮道の分岐(日永の追分)である。
小さな三角地帯に鳥居、常夜灯、道標などがある。
今でも湧水が絶え間なく流れていて、お茶やコーヒー用の名水として遠くから汲みに来るらしい。
自分も飲んでみたが、冷たくて旨い軟水である。
これは自然の湧水ではなく、地形の高低差を利用した自然流下式の湧き水だ。
昭和の初めころ、地元の事業家が自費で引いたものらしい。
旧東海道で、こんな湧水が飲めるところはないので、外せない休憩ポイントである。
小古曽地区の旧東海道
内部(うつべ)駅にて本日のランは終了とした。
この駅は旧東海道に沿って走る四日市あすなろう鉄道の終点である。
このあたりで泊まれそうな宿に行くには、四日市駅周辺まで戻る必要があるだが、ここから先は10km先の庄野宿まで行かねば鉄道がないのだ。
まるで、明日のジョーや丹下健三がでてきそうな下町の民家のような駅である。
この電車は2本のレール幅(軌間)が日本でも数少ない762mmナローゲージ路線(普通は1067㎜)で、軽便鉄道時代からずっとこのゲージ(軌間)を守り通している路線である。
したがって、車両自体も通常の規格外であるため、古い車両をそのまま使用している。
写真はWikiwandの「四日市あすなろう鉄道内部線」より
電車の中(2両連結のワンマン電車だった)
車両も小さかった。
四日市でサンルートホテルに泊まった。
すぐに汗を流し、ランドリーサービスにて洗濯している間に少し昼寝。
着替えて、夜の四日市居酒屋放浪へと出かけた。
日曜日だったので閉まっている店は多く、とりあえず夜の明かりを求めて彷徨った。
行ったのは山甲という立ち飲み屋である。
立ち飲みなのだが、背の低い小さな椅子が置いてある。
座るとカウンターの位置が肩あたりになり、店の人から見たら首だけが見えるさらし首状態になるだろう。
まずは、瓶ビールと土手煮から始まり、諸々を食べ、最後はラーメンで閉めた。
まだ、暗くなったばかりで、夜は長い。
酒場という聖地へ酒を求め、肴を求めさまよう・・・
(つづく)
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