桑名市の町屋橋にてスマホでパノラマ写真を撮る。
桑名市内はまだまだ旧東海道の名残が感じられた。
旧街道沿いの建物の雰囲気がまだ残っている。
角の電灯がなかなかいい。
いつ頃設置したかはわからないが、大正ロマン的で、明かりがついたら見る人の心をほのぼのと照らすだろう。
これこそ、「ゆとり」ってやつじゃないだろうか?
近代に建て替えられたと思われる建物じゃないかと思う。
ほとんどが、こんな感じに建て替えられている。
これは、これでなかなかいい。
木造建築はやっぱり日本に似合う。
道は地図のとおり枡形といってクネクネとクランク形状に曲がっているが、実際の道は下の通り、裏道のような細さである。
これも、旧東海道の面白さである。
城下町の防御のために作られた構造だが、「伊賀の影丸」世代の俺は、この桝形地形で勢いをそがれた敵達ちに家々の屋根から手裏剣を投げつける忍者の姿を想像してしまうのだった。
ここから、甲賀の里は近いのだ。
《村雨数馬(伊賀の影丸より)》
街道の右側に大きなお屋敷がみえてきた。
鍋、釜、鐘、大砲などをつくり、ドイツ人の医師シーボルトが訪れた広瀬鋳物工場の跡である。
創業は慶長8年(1603)で、現在は名古屋に本拠地(ヒロセ合金株式会社)を移している。
いまは、個人宅(○○観光の表札)である。
社が置いてあったから修理する職人の家なんだろうか?
何も書いてないからわからない。
矢田立場跡に復元された火の見櫓と俺
古い家の2階の窓柵(?)になにか置物がある。
最近、目が悪くなったせいか、何物なのかわからなかった。
ウ、ウ~ン、・・・
まっ、いいかぁ!
町屋橋の常夜灯
町屋橋下で消防団が訓練していた。
俺も消防団員なので判るが、ポンプ車から放水しているわりに元気のない感じがした。
背景の鉄塔群と工場の煙が四日市らしい。
なお、町屋橋の全景は表題のパノラマ画像である。
ここから、まあ色々写真などあるのだが、名所案内がシツコイので中略。
だが、酒蔵は載せておこう。
富士の光(安達本家酒造)である。
amzonでみたら、
「蔵人でも飲めない無ろ過生原酒安達本家酒造 純米大吟醸 富士のひかり 無ろ過生原酒 1800mlで1万円」 と書いてあった。
意味が分からないが、なかなか飲めないといわれると、どうも旨そうである。
無ろ過生原酒というのは、簡単にいえば「産まれたばかりの赤ん坊みたいな状態」らしい。・・・詳細は「無濾過 生 原酒って何?」参照のこと
飲んでみたい。
格子の修理をしていた。
結構、家の維持費かかるんだろうなぁ。
ここは、朝日町という地味な場所なのであるが、案内板があった。
橘守部という江戸時代後期に大成した国学者が生まれたところらしい。
20歳を過ぎてから学問を志すという、当時としては晩学だったらしく、しかも、ほぼ独学!
で国学(古典を研究することにより、日本固有の生活や精神を理解しようとする学問)を習得した偉い人だ。
20歳といったら、今でいうところの32歳ぐらいらしい。
29歳から20年間ほど埼玉県幸手市に住んでいたらしく、幸手は俺の母方の故郷であり、鼻たれ小僧の頃、朝から晩まで田んぼや川で遊び呆けた場所なので親しみを覚えて、写真の案内をマジ見してしまった。
ドブの風景、その1(右の寺はたぶん、浄泉坊)
綺麗な水が流れているとドブとは言いがたいが、走りながらチラッとみたときに、嗚呼良いなぁ、と思った写真を載せてみた。
時代の移り変わりの末に置き去りにされた田んぼの中にポツンとある東海道の朝明橋そばの常夜灯
朝明川
西富田踏切である。
ローカル私鉄の三岐鉄道とJR関西線と旧東海道の3ラインが1点に交差したブラタモリにでてきそうな踏切である。
近鉄とJRが同時に写ったビックリポンでマニアックな写真や動画を探したが、見つからなかった。
(世の中には時代とともに廃れていく踏切のマニア「ふっちゃん?」という人達がいる。
だから、この逃せない場所の写真はあるのだと思われたのだが・・・。)
残念!
ドブの風景、その2(南冨田町あたり、桜並木が美しいだろうと思う)
ドブの風景、その3(茂福町)
水も綺麗でなかなかいい。
ドブマニアになりそうだ。
差し詰め、「ドブちゃん」とでも云おうか?
四日市車検場そばの常夜灯
その常夜灯を振り返ったパノラマ写真
奥に見える大きな青い屋根が車検場で、川は米洗川である。
今回、街道沿いの松はあまり見られなかったが、数すくないうちの一つ、「かわらずの松」
羽津というあたりに浄土真宗本願寺派のお寺で光明寺があった。
なかなか立派な寺で、あれこれと見ていたら、近所の人が声をかけてくれた。
光明寺の境内
門に彫られた透かし彫り
「どこから来たのか?」とか、「この寺は大きいですね。」とか、話していたら・・・
「あのぅ・・・、もしかして岩崎さんじゃないですか?」
背後からと声をかけられた。
なんと、大学のK先輩であったのだ!
俺とは逆に京都の方から歩いてきているのであった。
この確率たるや、ほぼゼロに近い。
縁とは不思議なものである。
こんなところで逢うなんて。
西冨田の踏切よりもはるかにマニアックな出会いなのだ。
超ビックリポンな出会いをお互いに祝し、地元の人に写真を撮ってもらったのだった。
(つづく)
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桑名市内はまだまだ旧東海道の名残が感じられた。
旧街道沿いの建物の雰囲気がまだ残っている。
角の電灯がなかなかいい。
いつ頃設置したかはわからないが、大正ロマン的で、明かりがついたら見る人の心をほのぼのと照らすだろう。
これこそ、「ゆとり」ってやつじゃないだろうか?
近代に建て替えられたと思われる建物じゃないかと思う。
ほとんどが、こんな感じに建て替えられている。
これは、これでなかなかいい。
木造建築はやっぱり日本に似合う。
道は地図のとおり枡形といってクネクネとクランク形状に曲がっているが、実際の道は下の通り、裏道のような細さである。
これも、旧東海道の面白さである。
城下町の防御のために作られた構造だが、「伊賀の影丸」世代の俺は、この桝形地形で勢いをそがれた敵達ちに家々の屋根から手裏剣を投げつける忍者の姿を想像してしまうのだった。
ここから、甲賀の里は近いのだ。
《村雨数馬(伊賀の影丸より)》
街道の右側に大きなお屋敷がみえてきた。
鍋、釜、鐘、大砲などをつくり、ドイツ人の医師シーボルトが訪れた広瀬鋳物工場の跡である。
創業は慶長8年(1603)で、現在は名古屋に本拠地(ヒロセ合金株式会社)を移している。
いまは、個人宅(○○観光の表札)である。
社が置いてあったから修理する職人の家なんだろうか?
何も書いてないからわからない。
矢田立場跡に復元された火の見櫓と俺
古い家の2階の窓柵(?)になにか置物がある。
最近、目が悪くなったせいか、何物なのかわからなかった。
ウ、ウ~ン、・・・
まっ、いいかぁ!
町屋橋の常夜灯
町屋橋下で消防団が訓練していた。
俺も消防団員なので判るが、ポンプ車から放水しているわりに元気のない感じがした。
背景の鉄塔群と工場の煙が四日市らしい。
なお、町屋橋の全景は表題のパノラマ画像である。
ここから、まあ色々写真などあるのだが、名所案内がシツコイので中略。
だが、酒蔵は載せておこう。
富士の光(安達本家酒造)である。
amzonでみたら、
「蔵人でも飲めない無ろ過生原酒安達本家酒造 純米大吟醸 富士のひかり 無ろ過生原酒 1800mlで1万円」 と書いてあった。
意味が分からないが、なかなか飲めないといわれると、どうも旨そうである。
無ろ過生原酒というのは、簡単にいえば「産まれたばかりの赤ん坊みたいな状態」らしい。・・・詳細は「無濾過 生 原酒って何?」参照のこと
飲んでみたい。
格子の修理をしていた。
結構、家の維持費かかるんだろうなぁ。
ここは、朝日町という地味な場所なのであるが、案内板があった。
橘守部という江戸時代後期に大成した国学者が生まれたところらしい。
20歳を過ぎてから学問を志すという、当時としては晩学だったらしく、しかも、ほぼ独学!
で国学(古典を研究することにより、日本固有の生活や精神を理解しようとする学問)を習得した偉い人だ。
20歳といったら、今でいうところの32歳ぐらいらしい。
29歳から20年間ほど埼玉県幸手市に住んでいたらしく、幸手は俺の母方の故郷であり、鼻たれ小僧の頃、朝から晩まで田んぼや川で遊び呆けた場所なので親しみを覚えて、写真の案内をマジ見してしまった。
ドブの風景、その1(右の寺はたぶん、浄泉坊)
綺麗な水が流れているとドブとは言いがたいが、走りながらチラッとみたときに、嗚呼良いなぁ、と思った写真を載せてみた。
時代の移り変わりの末に置き去りにされた田んぼの中にポツンとある東海道の朝明橋そばの常夜灯
朝明川
西富田踏切である。
ローカル私鉄の三岐鉄道とJR関西線と旧東海道の3ラインが1点に交差したブラタモリにでてきそうな踏切である。
近鉄とJRが同時に写ったビックリポンでマニアックな写真や動画を探したが、見つからなかった。
(世の中には時代とともに廃れていく踏切のマニア「ふっちゃん?」という人達がいる。
だから、この逃せない場所の写真はあるのだと思われたのだが・・・。)
残念!
ドブの風景、その2(南冨田町あたり、桜並木が美しいだろうと思う)
ドブの風景、その3(茂福町)
水も綺麗でなかなかいい。
ドブマニアになりそうだ。
差し詰め、「ドブちゃん」とでも云おうか?
四日市車検場そばの常夜灯
その常夜灯を振り返ったパノラマ写真
奥に見える大きな青い屋根が車検場で、川は米洗川である。
今回、街道沿いの松はあまり見られなかったが、数すくないうちの一つ、「かわらずの松」
羽津というあたりに浄土真宗本願寺派のお寺で光明寺があった。
なかなか立派な寺で、あれこれと見ていたら、近所の人が声をかけてくれた。
光明寺の境内
門に彫られた透かし彫り
「どこから来たのか?」とか、「この寺は大きいですね。」とか、話していたら・・・
「あのぅ・・・、もしかして岩崎さんじゃないですか?」
背後からと声をかけられた。
なんと、大学のK先輩であったのだ!
俺とは逆に京都の方から歩いてきているのであった。
この確率たるや、ほぼゼロに近い。
縁とは不思議なものである。
こんなところで逢うなんて。
西冨田の踏切よりもはるかにマニアックな出会いなのだ。
超ビックリポンな出会いをお互いに祝し、地元の人に写真を撮ってもらったのだった。
(つづく)
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