浮世絵 東海道名所之内 権太坂
魚屋をすぎると旧東海道は山坂になります。
権太坂です。
案内板に江戸時代、ここの坂の上からみた神奈川の海は大変美しかった、と書いてありましたので早速、眺めてみました。
もう、海はなく家ばかり、しかも市民農場のようなものがありました(写真右)。
この辺りで、ペットボトルのお茶もなくなり、そういうときに限って喉が渇いてまいりました。
ですが、自動販売機らしきものは全くありませんでした。
新宿では自動販売機やコンビニだらけなのですが、この辺りは静かな上品な住宅街で、そんなポップ?なものはありません。
そして、もっとアンラッキーなことに雨がふってきました。
壊れたミストサウナのような生温かい濃密な小雨から、冷たい本格的な雨に変わっていったのです。
ネットの天気予報では『晴れ』となっていたのに…。
ニャロメ!
(ネットの天気予報ではいい加減なものもあり、真夏なのに雪のマークがでてたりします。)
雨具は持参しませんでした。
しかたなく、山の頂になる境木地蔵尊の前の大木の下で、雨宿りいたしました。
飲料もなく、肌寒くもなり、多少なりともカロリーを摂ろうと持っていた塩飴をザックから引っ張り出しました。
そのときに、まちがってシャッターを押し、撮ってしまった写真がコレです。
赤い糸の様なものは曼珠沙華です。
木の根元にたくさん咲いていました。
「暖かい缶コーヒーが飲みたいなぁ。」
もっと早めに飲料を補充すればよかった。
曼珠沙華の花言葉は「あきらめ」というのがあったと我ながら柄にもなく記憶していました。
もう、濡れても仕方がない、風邪ひいてもかまわないという、あきらめの境地で再度走りだしたのでした。
戸塚駅まで、ちかくに駅はないからです。
ここから急な坂を下るのですが、なんと坂の名前が『焼餅坂』でした。
曼珠沙華の似合う綺麗な坂なのでした。
そして、お腹の空く名前の坂でもありました。
なるべく雨にぬれないように樹木の下を走ったりしました。
ところが、ココからの旧東海道は面白かった。
道が極端にせまくなり、まるで家の裏の道のようなマニアックな道になります。
間違っているのではないかと疑いたくなるような道なんです。
おそらく、引き返す人もいると思います。
しかし、ごくたまに、小さな「旧東海道」の案内があるので間違いありません。
途中には薪ストーブ専門販売店がありました。
品濃一里塚のあたりでは、林の中を走るので、なんだか登山のアプローチのような感じもします。
究極の「コレが旧東海道!?」は品濃坂でした。
昔の品濃坂はなくなっていたのです。
いまは、途中で横浜の環状2号線の切り通しがあり、坂は寸断されているのです。
旧東海道は切断されていて、環状2号線の上に架かる歩行者専用の陸橋品濃橋を渡るようなっているのでした。
その歩道橋への入口がコレ。
まず気づかないで通りすぎてしまう人も多いかと思います。
左側のガードレールが切れている所に旧東海道はありました。
こんなことをしているうちに、旧東海道の旅は道を探しだす事が結構楽しいことに気が付きました。
下調べせず、いきあたりばったりで地図や案内板をたよりに勘を働かせてあるく。
ミニ探検するような気分になりますよ。
(つづく)
今日は久しぶりに大学のサークルの同級生と飲みました。
(というのは嘘、この前会ったばっかりです。)
人生の折り返し点を過ぎた年代として、お互い残りの人生楽しまなくては、ということで解散しました。
次回、集合は多分、来月かな?
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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魚屋をすぎると旧東海道は山坂になります。
権太坂です。
案内板に江戸時代、ここの坂の上からみた神奈川の海は大変美しかった、と書いてありましたので早速、眺めてみました。
もう、海はなく家ばかり、しかも市民農場のようなものがありました(写真右)。
この辺りで、ペットボトルのお茶もなくなり、そういうときに限って喉が渇いてまいりました。
ですが、自動販売機らしきものは全くありませんでした。
新宿では自動販売機やコンビニだらけなのですが、この辺りは静かな上品な住宅街で、そんなポップ?なものはありません。
そして、もっとアンラッキーなことに雨がふってきました。
壊れたミストサウナのような生温かい濃密な小雨から、冷たい本格的な雨に変わっていったのです。
ネットの天気予報では『晴れ』となっていたのに…。
ニャロメ!
(ネットの天気予報ではいい加減なものもあり、真夏なのに雪のマークがでてたりします。)
雨具は持参しませんでした。
しかたなく、山の頂になる境木地蔵尊の前の大木の下で、雨宿りいたしました。
飲料もなく、肌寒くもなり、多少なりともカロリーを摂ろうと持っていた塩飴をザックから引っ張り出しました。
そのときに、まちがってシャッターを押し、撮ってしまった写真がコレです。
赤い糸の様なものは曼珠沙華です。
木の根元にたくさん咲いていました。
「暖かい缶コーヒーが飲みたいなぁ。」
もっと早めに飲料を補充すればよかった。
曼珠沙華の花言葉は「あきらめ」というのがあったと我ながら柄にもなく記憶していました。
もう、濡れても仕方がない、風邪ひいてもかまわないという、あきらめの境地で再度走りだしたのでした。
戸塚駅まで、ちかくに駅はないからです。
ここから急な坂を下るのですが、なんと坂の名前が『焼餅坂』でした。
曼珠沙華の似合う綺麗な坂なのでした。
そして、お腹の空く名前の坂でもありました。
なるべく雨にぬれないように樹木の下を走ったりしました。
ところが、ココからの旧東海道は面白かった。
道が極端にせまくなり、まるで家の裏の道のようなマニアックな道になります。
間違っているのではないかと疑いたくなるような道なんです。
おそらく、引き返す人もいると思います。
しかし、ごくたまに、小さな「旧東海道」の案内があるので間違いありません。
途中には薪ストーブ専門販売店がありました。
品濃一里塚のあたりでは、林の中を走るので、なんだか登山のアプローチのような感じもします。
究極の「コレが旧東海道!?」は品濃坂でした。
昔の品濃坂はなくなっていたのです。
いまは、途中で横浜の環状2号線の切り通しがあり、坂は寸断されているのです。
旧東海道は切断されていて、環状2号線の上に架かる歩行者専用の陸橋品濃橋を渡るようなっているのでした。
その歩道橋への入口がコレ。
まず気づかないで通りすぎてしまう人も多いかと思います。
左側のガードレールが切れている所に旧東海道はありました。
こんなことをしているうちに、旧東海道の旅は道を探しだす事が結構楽しいことに気が付きました。
下調べせず、いきあたりばったりで地図や案内板をたよりに勘を働かせてあるく。
ミニ探検するような気分になりますよ。
(つづく)
今日は久しぶりに大学のサークルの同級生と飲みました。
(というのは嘘、この前会ったばっかりです。)
人生の折り返し点を過ぎた年代として、お互い残りの人生楽しまなくては、ということで解散しました。
次回、集合は多分、来月かな?
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