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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…日本橋~千歳烏山(その2)

2019年03月30日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)

  
    


半蔵門を曲がったあたりは昔、三越クラスの大店があった場所だと聞いていました。
写真のみずほ銀行のあたりらしいです。

その大店とは、呉服木綿屋の岩城枡屋という商人でした。
間口35軒の大商人ですが、今は存在しません。

江戸城のそばだったので武士が沢山すんでいたこともあり、商売繁盛しました。
かたや、三越はといえば下町の日本橋でした。

ただ、時代が庶民の時代になるにつれて、三越の方が優位になったようです。
さらに、幕末には幕府方を応援(新選組の大スポンサー)したこともあり、明治に入って閉店になってしまったらしいです。


四谷見附の石垣

これも昔の写真が見つかりましたので載せます。

四谷門(写真は、ウィキペディア 江戸城三十六見附より)

今とビックリするような変わりようです。
この向こうの辺りは大規模な再開発工事(名称は「コモレ四谷」)が進められていて、大きなビル(地上31階、高さ144.68m)が2020年の1月には完成しそうです。



角打ちの聖地、サラリーマンのオアシス
鈴傳(創業嘉永三年(1850年)の老舗酒屋が営む)

写真ではよく見えませんが、左わきの小さなドアから入ります。


写真は男式ラジオよりお借りしました。

残念なことは平日しか営業してないことです。
四谷走らん会では行けないお店なんですよ。

自分は、平日の時間がある時は東宮御所の周りを走ったら、四谷の塩湯に入り、鈴傳で飲んでました。
日本酒へのこだわりはハンパない店です。



ここからすぐのところタイ焼きで有名なたいやき わかばがあります。

この近くの大学に通っていたので甘いものが食べたいときはよく行きました。



だが、休みでしたね。
残念!





四谷署にある消防博物館に寄り、トイレを借りました。

実は自分は新宿消防団員です。
50歳過ぎて入団しました。
何故かというと、若い人が消防団に入らないため人手不足ということで、人情に絆されて入りました。

今でも人手不足は変わりません。
ですから、団員の高年齢化が進んでいます。

若い人はサラリーマンの人が多いから時間がないということもあるでしょうし、疲れ切ってるからということもあるでしょう。

いま在籍している人は職人さんが多いです。
子どもの時から周りの大人の人は職人さんばかりでしたから、その人間関係が自分にとっては面白いです。
在籍している一番の理由です。

--------総務省HPより
消防団は、常勤の消防職員が勤務する消防署とは異なり、火災や大規模災害発生時に自宅や職場から現場へ駆けつけ、その地域での経験を活かした消火活動・救助活動を行う、非常勤特別職の地方公務員です。
--------

俺も地方公務員???

まったくそういう意識はありません。
団員報酬は月3000円くらいの雀の涙ですから、仕事をしているなんて気がしません。
ボランティア活動と言っていいと思います。

あと何年出来るかわかりませんが、人助けだと思って、もう少し頑張るつもりです。


スーパー丸正にあるお岩水かけ観音

当会で走った都電荒川線の旅ランで寄った西巣鴨の妙行寺の霊験あらたかなるお岩さんの墓を思い出しました。
都電荒川線ランニングは、その後いろんな団体、個人が走られるようになり、テレビでも放映されるようになったりしましたが、当会で走ったコースが最高に面白いと今でも思っています。

そのうち、再度、都電荒川線の旅ランはやりたいと思っています


期待していた、わかばのタイ焼きが食べられなかったので写真のお店で買って食べました。

適度な甘さで美味しいです。



新宿区四谷4-4という大変な数字(なんと4が3個)並びの住所にある長善寺(通称は笹寺)に寄りました。
ここは父方の菩提寺なんです。
もともと、父方の先祖は四谷の文化放送があった辺りに住んでました。

父は母と結婚した時、父方の家の敷地内の別宅に住んでいましたが、嫁と姑の関係悪化で夫婦で一文無しの状態で家を飛び出し、日暮里の長屋で貧乏暮らしの生活をしてましたので、今でも父方の親戚とは疎遠です。

武士の娘でいろんなことにうるさい祖母と、苦労を知らない豊かな農家の長女とは相性が相当悪かったようでした。

それでも詳細は不明なのですが、幼くして亡くなった自分の兄が数年前まで笹寺の墓に入ってました。

父が亡くなり、母は墓を新たに武蔵嵐山に設けたのですが、母が父方の親戚を極端に嫌っていたため、兄のことはそのままになっていました。

自分はそれでは良くないと思い、母が亡くなった時点で叔父(父の弟)に話をして、笹寺の墓から骨壺をだしてもらい武蔵嵐山の父母の墓へ移しました。

その時以来、この笹寺には来ていませんでしたが、先祖の墓に立ち寄り手を合わせてきました。

ちょっと、スッキリした気分です。



サンミュージックのあったビル
というより、33年前、18歳の歌手、岡田有希子がこのビルから飛び降りてなくなりました。

そして33年経った今、厚労省の平成30年版「自殺対策白書」において、今の日本は若い人の自殺率が世界一であると発表されました。

「こうした状況は国際的に見ても深刻であり、15~34歳の若い世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進国では日本のみ」
…厚生労働省による



こんな国が豊かな国なんでしょうか?
若者が夢に向かって頑張れる国にならなければ、明日の日本は三流国になるでしょう。


岡田有希子のデビュー曲ファースト・デイトは竹内まりやが作詞作曲したものですが、33回忌の今年セルフカバーしています。

ファースト・デイト 岡田有希子

名曲ですね。(合掌)


四谷大木戸跡(甲州街道における江戸への出入り口)

ここまでの内側が江戸です。
新宿は江戸じゃないんですね。


画像は東京街歩きよりお借りしました。

明治9年まで高輪大木戸のような石垣はあったらしいです。
また、ここは玉川上水の江戸への終着点で、都の水道局新宿営業所が建ってました。

(つづく)



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