夕空百景/“三丁目の夕日”再び

2005-12-12 | ◆空と映画とスタジアムと…

また最近、以前書いた“三丁目の夕日”にトラックバックして頂いたり、
自分自身も先日、再び“三丁目の夕日”を観に映画館へ足を運んだので、
もう一度この映画について考えてみます。

なぜこの映画の涙の後味がこんなに気持ち良いのか!!!

泣ける映画は沢山ありますが、
泣ける映画の代表的(個人的でスミマセン)な作品を取り上げてみると、
1.理不尽な展開に主人公が巻き込まれる
〈ダンサー イン ザ ダーク〉なんて、も~可哀想で可哀想で!!
これは本当に泣けましたが、夢も希望も無くて、後味は非常によくありませんでした。
2.郷愁に訴えかける物語り〈ニューシネマパラダイス〉なんて
これもボロボロ泣けましたが、「これも時代の流れだから
どうしようもならないよ!」思わず泣きながらも思ってしまいました。

というようなチョー涙2大作品に比べると “三丁目の夕日”は、
同じ涙でも、涙のなかに人々の思いやり・愛情や、
希望に満ちた未来を感じさせてくれる涙でした。

貧乏作家の芥川がプロポーズに指輪の箱しかプレゼントできないのに、
“やまふじ”のヒロミは「その…いつか買ってくれる指輪つけてよ」と言って、
形のない指輪をはめてもらい、見上げるシーンは、もう思い出すだけでも
涙が溢れて来ます。最高のラブ・ストーリーでした。
(こんな話が現代にあり得るかと思うと、ちょっと愕然としますが…)
翌日ヒロミは店をたたみ、踊子に戻ってしまいますが、
彼女はきっとまた、三丁目に戻ってくるでしょう!

ただ、この映画の感想を書かれている方は、この時代の良い面ばかりに
目が行きがちですが、ヒロミのように、親が借金の形に娘を売り飛ばすようなことや、
口減らしみたいなこともあったと思います。
国は高度成長のために噴煙・汚染・騒音の公害に、一時、目をつむってきました。
明るい未来?の代償に、大きな犠牲(水俣病・四日市公害・ヘドロetc)を
払ってきた時代だったことも、忘れないで欲しいです。

人のつながりが希薄になってきたのはある程度時代の流れで、
ある意味、現代の人々が望んで選択してきた結果なので、
しょうがないところはあります。
しかし思いやりや優しさは、時代が変わっても持ち続けたいものだと、
この映画を観ただれもが思ったようには感じました。



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