東京・上野公園に西郷隆盛像がある あの浴衣姿で犬を連れて散歩する姿だ
鹿児島にある西郷さんの銅像は しっかり軍服を着て最期の地・城山に立っている
西郷さんは写真嫌いで有名で 本当の顔を知らない方が維新前後にも多いと聞く
東京の銅像除幕式の時 西郷さんの妻は 実際はこんな姿では無いと取り乱して泣いたと言う
それが こんな顔では無いと解釈され通説となった しかし 言いたいことは違うと異説もある
西郷隆盛は いつも凛として表へ出る時は浴衣なんかでは絶対に歩かないと抗議してるのか
維新の立役者でもあり 江戸無血開城を勝海舟と共に 幕府の彰義隊に迫った地が上野である
故郷・鹿児島に帰り 私塾を何か所もを設け 文武両道の啓蒙を図った
この頃 各地で士族(藩の大名など)が新政府に不満を持ち立ち上がり反乱を起こし始めた
西郷隆盛は この各地士族の想いを代表するような形で 新政府に反乱を起こした
且っての維新の仲間たちも政府軍として対峙し 虚しく城山で切腹をして果てた
本来は国への逆賊であるのに 明治天皇は後に汚名を解除 勲章を与えた
故郷の同志 木戸孝允 大久保利通の働き掛けもあったのだろう
それにも増して 国を思う勇者として 普段の対人関係のお人柄もある
これが日本人の心を打つ 来年の大河ドラマ 『西郷(せご)どん』も既に期待が上がる
維新150年を受けて 鹿児島がクローズアップされて 歴史 旅番組 などが多くなった
NHKのヒストリーでは 加山雄三さんや 西田敏行さんが取り上げられて話題になる
そのルーツを探ると 鹿児島に歴史があり本人も知らない家系も浮かび上がった
西田敏行さんは 幼くして育ての親元を離れ 母の姉の家に養子に行く
この養子先の家は 福島県へ要請されて転地していく 出身地は福島県となる所以である
この頃は 新政府の日本全国に信用がおける人材を適材適所で置いた
この信用がおける人材 薩摩・長州・土佐・肥前の四藩に他ならない
中でも薩長二藩が政治の中心を担う これを藩閥政治と呼び 明治政府を支えた
維新から 世界に肩を並べる富国強兵になって行く土壌を作り上げた方たちでもある
これらの話を念頭に置いて 昨日のてんがらもんラジオを聴くと面白い
FM銀河の地元の県会議員 個人的には歴史大好きの藤崎さんが語るこれらの話である
併せて それぞれの家のルーツを知ると見えない歴史も浮かび上がってくる
てんがらもんラジオ ここから視聴できます
http://www.ustream.tv/recorded/109271284
おまけ 安倍首相から遡り 大久保利通への家系
歴代の首相が浮かび上がる
以前 放送された 加山雄三家系のヒストリー 岩倉具視まで遡る
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