のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

私は歌の添乗員ガイド

2013年05月16日 10時09分21秒 | ボランティア

老人介護施設 殆どの入所の方たちは 施設の中で毎日を過ごしている
車椅子の移動も スタッフの力を借りないと動けない方も多い
それでも前向きに明るい笑顔を見ると その意欲に感銘を受けるときもある

歌の時間は 皆さん楽しみにしていて 顔が会うと笑顔が浮かぶ
約一時間 多少 弱い声であるが 楽しそうに歌う
私は その姿を見るとき こんなお手伝いが出来ることを幸せに思う

自己流で いつの間にかピアノが弾ける様になって 誰かを楽しませられる
私の来るのを心待ちにしてくれる人たちが居る
もしかしたら 神様がこのために 私にピアノを教えてくれたのか

若い頃 クラシックに魅せられて コンサートに何回も聴きに行った
クラシック喫茶が昔は 有楽町や御茶ノ水にもあり 珈琲一杯で長時間聴いた
しかし 自分がピアノを弾くなんて 夢にも思わなかったものである

30過ぎに 子ども達のために買ったピアノが家にあった
ポツポツ 雨だれのように弾いた 右手 左手 指の位置を確かめるように弾く
なかなか右手はメロディになっても 左手はかみ合わなかった

教室に習いに行く暇も無ければ 習う気も無い 人に教えられるのが嫌いだ
パソコンも中国語もピアノも 自分で本などを買って勉強したものである
易しいと書いてある本を買っても 決して易しくない 出来る人から見ると易しいのだ

遠くへ行きたい これが弾きたくて 練習曲は これ専門だった
休日や夜勤明けなど 暇があると挑戦してみた
何とか弾けるようになったら 次々に弾ける曲が増えて行った

会社の中でバンドを作ってしまった お金が無いから会社にあったオルガンである
足踏みオルガンとギターとベースとドラム 変な組み合わせでもあった
当初は 仲間の足を引っ張るのは当然 私である 他は現役だった

これが契機で 俄然 私の好みも変わった
バンドの発表する機会は 会社の納涼祭や地域の老人会など多く要望があった
クラシックではない 演歌が一番多く 演奏しているうちに どんな曲も好きになった

このピアノが 今 私の好きな うたごえで生かされている
ボランティアでは 何箇所も毎月訪問をして 喜ばれる
そうか 私の人生の最終は この為にあるのかと ピアノを覚えたことに感謝でもある

施設では 元気と笑顔と 夢を語る みんなで共に旅も出来る
何処かへ連れてはいけないが イメージの世界で共にして笑う
歌の力を借りて どこへでも行かれることは幸いである

さあ 旅に出ましょう
準備はオーケーですか
発車オーライ! 東京のバスガール

普段は説明して歌う ハイ イメージしてください
しかし ここでは写真で十分かな

ああ上野駅 ~上野はおいらの心の駅だ~ふるさとのなまりなつかし・・・
 
有楽町で逢いましょう ~あなたを待てば雨が降る~
 
君の名は ~君の名はと訊ねし人あり~かの数寄屋橋は今は・・・
 
高原列車は行く 磐梯山と猪苗代湖の間に 嘗て沼尻鉄道が走っていた
 
ふじのやま  世界遺産にようやく指定 左は清水港から
 
南国土佐をあとにして ~坊さんかんざし買うを見た はりまや橋
 
山小屋のともしび ~暮れ行くは白馬か 穂高は茜よ 左は徳沢山荘
 
瀬戸の花嫁  ~瀬戸は日暮れて夕波小波 小豆島あたり
 
あざみの歌  歌碑のある八島湿原
 
蘇州夜曲  ~君がみ胸に抱かれて聴くは 鐘が鳴る寒山寺
 
上海帰りのリル ~誰かリルを知らないか~ 左は豫園
 

どうですか 歌えますか? イメージできましたか?
今日は これから 足立区の小さな介護施設へ
私の顔を見ると どこかで見たことがある と毎月言われる

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飛べない白鳥 バラ咲き誇る荒川自然公園

2013年05月15日 10時51分54秒 | ウォーキング

都電沿線を歩いていると 目に付いたのが荒川自然公園だ
三河島下水処理場の一部に盛り土をした人工地盤の上 広大な公園である
緑も花も沢山の野草も植栽されている 都市開発の素晴らしいアイデアと感心した


 都電の線路から離れてこの高台にある

 

公園の中心に 荒川区を模った池がある
あずまやもあって 家族連れが 鯉など見つめ楽しんでいる
ここに一羽の白鳥が居た マイハウスの?前で 悠然としていた



本来 白鳥は寒い季節に日本に来て 春になるとシベリアあたりに帰ると思っていた
時に傷ついた白鳥は 飛ぶことも出来ず その場所に居残る場合もある
餌が豊富だと飛ばない説もあるが そのどちらだろうか

白鳥は水面を泳ぐ姿が 優雅で素晴らしい
バレエの白鳥の湖に魅せられて 何回も観に聴きに 若い頃行ったものである
あの浅田真央さんのフィギュア その白鳥を髣髴とさせるもので今シーズンを終えた



白鳥を見ながら いろいろ想いがよぎる
安曇野 猪苗代 新潟・漂湖 鳴子へ向かう途中 東北 北海道など 各地で見た
白鳥見物に行って 確かに白鳥は居るが 夥しい鴨の中にも居た場所もあった





この公園にも バラが至る所に咲き誇っていた
他の花も可愛いが バラはさすがに華麗さでは香りとあわせ 抜きん出ている
桜が少し前の華麗な代表なら 今はバラがその座を誇っているようだ





菖蒲が咲き始め 野草も楽しめるよう植栽されている
農村ではどこにでもあるワラビが 葉を広げているのには郷愁を覚えた
元は余り歓迎されない巨大な下水処理場 今は 家族の憩いの場所に変身した





今日は 墨田の介護施設へ行く
こんなバラたちを 本当は見せてあげたいが 何も私には出来ない
せめて元気と笑顔で みんなをバラの花のように咲かせたいものだ

 


巨大施設下水処理場 公園もここを再開発した

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都電荒川線沿線はさながらパラロード

2013年05月14日 09時51分16秒 | ウォーキング

日暮里から歩き始めて 三ノ輪橋まで来ると 都電に巡りあえる
昭和30年代は 東京の道路は 殆ど路面電車が走っていた
順次 車時代になり 路面電車は廃止されて ここだけが生き残っている

 

通勤にも毎日使用していた都電 発車オーライの合図チンチンの音が懐かしい
今は 冷暖房完備だが 昔は夏は窓を全開して走っていたものである
電気自動車が開発される今 都電はエコの交通手段であり 見直されても良い

 
 三ノ輪橋アーケード商店街 焼き鳥やさんの炎と煙が美味しそう

下町の三ノ輪橋駅を出発した電車は カーブも多く描きながら王子駅まで
ここから高台の街を走り終点は 早稲田まで行く
歩きついでに この路線を辿ってみようと線路を見ながら行く

 

今 この沿線は バラが線路に沿って手入れされ 大輪の花が咲きそろう
赤いバラ 白いバラ 黄色いバラ まさに いろいろのバラが見られる
そばを歩くと 香りも漂い まさに バラロードである



ほぼ線路に沿って道は併行しているが 時には外れる
なるべく線路の近くをと思うが 道が曲がったりして かなり迂回してしまうこともある
そして また線路が見えると ホッとして歩き続ける

 

バラの中を縫うように 何台も都電が行きかう 小さな停留所が懐かしい
庶民の足 気軽に乗り降り出来る交通手段でもある
都バスは200円が普通だが ここは160円と表示があった



途中 三河島水処理場がある 広大な下水処理施設だ
この一部を底面にして 小高い台地を作り 自然公園が作られていた
都会の空間を 開発して 庶民の憩いの場所に置き換える良きアイデアでもある

 

ここも一周したら 出口は町屋の表示 方向感覚がずれたが見覚えのある場所
町屋斎場があった 昔の同僚が酒好きで 遂には私より若くして あの世へ行った
また都電の通りへ出て 熊野前電停 通りを跨ぐ様に舎人ライナーが走っていた

 

ほぼ休憩無しで3時間歩いたら さすがに疲れを覚え ここから都バスで日暮里へ
出発地に戻り 亀戸駅行きに乗り変え 更に自宅付近まで乗り継いだ
1日500円の 下町探検ウオーキングを終えた






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日暮の里と夕焼け小焼け

2013年05月13日 11時10分06秒 | ウォーキング

日暮らしの里と夕焼け子やけの童謡 何か素敵な郷愁に駆られる
山手線の駅の一つ 日暮里である この近くに夕焼け小焼けの歌碑がある
以前から知っていたが 初めてこの歌碑を訪れてみた

きっかけは目的が違う 都バス1日乗車券を買って 少し乗りついでウォーキング
いつもは乗らない家の近くからバスに乗った 錦糸町駅で降りる
北口に廻ると 大塚行き 日暮里行きがある 発車間際の日暮里行きに飛び乗った

そうだ 終点の日暮里まで行ってみよう
夕焼け小焼けの歌碑も探して見よう そして懐かしい街だ
昔の駅前は 数軒 駄菓子屋の卸商が並んでいたものである

 

小学校6年の時は 千住に住んでいて ここまで納豆売りに来ていた
朝4時に母に起こして貰い 納豆工場に行き30個ばかり仕入れ 始電に乗った
この街の住宅街を売って歩いて 完売したら電車で帰り 小学校へ行った

北風が寒い日 ある板塀のところで凍えて風を除けていたら 塀のくぐり戸が開いた
坊や 寒いだろう 幾つ売れ残っているのと 女性が全部買ってくれたっけ
学校には間に合うし 他人の情がこんなに嬉しかったことは 初めての経験だった

 

この街は 駅前は大きく変貌しているが一歩裏通りへ入ると昔の面影が残っている
通りは 布の街の飾りがあり 洋品などに関する店が目立っていた
どこからか 大きな太鼓を打つ音と 子どもの歓声が聞こえてきた



音に招かれるように裏道から表通りへ出ると お祭のみこしや山車が出ていた
小さいみこしを 小さな子ども達が担ぎ 山車を大勢の子どもが引き大人が手伝う
どこかで休憩したら 何かお菓子か飲み物 果物でも出るのだろう

 

そのそばの小学校の道のそばに 夕焼け小焼けの歌碑があった
八王子郊外 陣場山の麓にも歌碑がある 作詞 中村雨虹さんのふるさとである
山のお寺の鐘が鳴る~ このお寺も そこに実在している



今では 八王子市民に愛される愛唱歌でも有り 夕方には この曲が流れると言う
その中村雨虹さんが 教員となり赴任してきたのが この日暮里の小学校だ
童謡作家となったのもここであり 日暮らしの里と 何故か地名までその雰囲気と合う

 

当時 野口雨情に憧れ この一字 雨 と 希望の虹 をあわせて雨虹と名乗った
夕焼け小焼けは 母さんの香りもする 明かりの灯ったあたたかさが感じられる歌だ
母さんと手を繋ぎ 家路を辿る 現代でもありそうな光景に 思わず心が憩う



駅前には 大きな 大田道潅の像があり迫力がある
鷹狩に出たときに にわか雨に逢い 農家に蓑を借りようと立ち寄った
ところが この娘は 七重八重 花は咲けどもの短歌を差し出し 道潅は怒って帰った

しかし 帰ってから この歌に寄せられていた 蓑が無い に触れ 己が無学を悟る
以後 歌の道に励み 歌人ともなったと言う
この場所が日暮里である この他にも豊島区にも 横浜六浦もその場所と言われる

 

私の場合 日暮らしのではなく その日暮らしである
一日乗車券500円で ウォーキングと感性の涵養がされるだろうか
実は このあと 三ノ輪橋まで歩き 更に 都電沿線を熊野前まで 3時間歩いて見た





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1ヵ月半 4キロダイエット達成

2013年05月12日 09時35分29秒 | ウォーキング
3月に健康診断を受けて 何十年ぶりかで 指摘事項に引っかかった
それまでは おそらく病気とは無縁で 医者にも行かず健康保険は使ったことが無い
私の自慢は 親が残してくれた唯一の財産 それが この健康の身体だった

私の知人 友人では みんな何かしら薬を飲んで 医者にも行っている
昔の同僚は 自慢げのように 俺は あれとあれとが引っかかっていると言っていた
健康ってありがたいものだと つくづく親の残した財産を大事に使っている



健診の指摘は 脂肪肝だった そんなに怖れるものではない
別に治療を要するものでなく ただ 食事の改良を勧められた
何より メタボ予備軍の体重を減らした方が 他の予防にもつながると言う

メタボ 多少は気にしていても 美味しいものを美味しく食べれれば良いさ
自分の体重管理の上限を設けて それ以上は太らないようにはしていた
上限を超えると 歩いていても 坂道階段では 息が上がるのが分っている

 

歌の仲間も そのお腹 何とかしなさいと私のお腹をポンと叩く
今までは笑っていたが そろそろ医者の言うことも聴いて 健康を保たねばと思った
絶対 元に戻してやる 検査合格にするんだと決意を固めた

2ヵ月後 血液検査があるから 先ずは それまでにダイエットするんだ
そして あと10日ばかり その検査を楽しみにしている自分が居る
1ヵ月半が過ぎて 4キロ減量は実現した あと少し減れば当初の目標は達成だ

 

別に 必死に物も食べず 取り組んでいるわけではない
うたごえと ボランティアの日程を楽しく過ごしながら 今までと少し変えただけである
ウオーキングも 陽気が良くなってきたから 相変わらず 自然の変化を楽しむ

これと言った指示は何も無いから 私流の食事改良と 周りの助言も素直に受けた
炭水化物を減らすこと これはご飯を食べる量を半分にした
パンも毎朝食べて ジャムをいっぱい塗っていたが このパンは止めた

  

野菜を沢山採るように助言される 今までは 余り摂らない
今は 毎回摂る 根菜も食べる ワカメも同時に入れる ごまを振り掛ける
納豆 豆腐は良く食べる 水は殆ど飲まなかったが 以前よりは多く飲む

食べる順序は サラダが先 最後の方が ご飯
夜のトマトは殆ど食べる 
素直に みんなの言うこと聴いて実行していたら 眼に見えて体重が減ってきた

食べながらのダイエット これが一番 楽である
ストレスも私には無い 真の笑顔が浮かぶことこそ 周りも明るくなる
全て前向き思考で考えていたら世の中 感謝することが多い

 

ただ一つ 気になることがある
お腹の方は ベルトの穴一つ 確かに減った
それより先に頬がこけてくるのだ

貧乏暮らしをしているが 余計 貧相に見えてくるのだ
歳をとって痩せて見えると 貧乏に見える
まあいいか 心は豊かなんだから・・・

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