のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

江戸時代の生活を想像する楽しみ 市川清華園

2013年12月16日 10時01分51秒 | ウォーキング
加山雄三さんの 朝の番組 ゆうゆう散歩 毎回楽しみに見る
地位武男さんの時の散歩が ちい散歩 これも楽しいものだった
それで 私が歩けば のびたの散歩 名づけて のび散歩である

週末 亀戸付近をウォーキングしていたら 電車に乗りたくなった
しばらく乗っていないなぁ そうだ 電車に乗ろう
で どこに行こうか 多少 歴史のあるところ 中山に決めた



中山駅前に立つと 直線で中山法華経時に向かう参道がある
由緒ある古寺で 敷地も広く五重塔もある 荘厳な佇まいである
この寺から徒歩10数分 東山魁夷美術館もあるこのコースが好きだ



土日ともなれば 中山競馬場も近いことから 駅から人通りが多い
私が行った日は木曜日 人もまばらな初冬の街の風景だった
どの道だったか覚えていないが 通称おけら街道とも呼ばれていた



競馬で有り金全部使い果たし 電車賃まで無くなり とぼとぼ歩くそうだ
そして 道すがら着ている物を売り 時計や飾り物を売る
道のどこかに 買い取る業者が出没して 買い取った後 安く売る



昔 貧乏な我が家 母がここまで私を連れて来た
競馬に行く為ではない 私に着る物を買う為に安売りを買うのである
新品を買える生活では無いから 小学生でも丈に合わない物も着た



そんな参道の途中に 江戸時代の民家を開放している家がある
享保年間だから 徳川吉宗の時代だろうか
近代は書店 文房具店だったが 市川市に寄贈され 整備された

 

通りに面しては そんなに広く無いが 奥に長く建屋に沿って庭がある
年間を通じて 何かの花や樹木が楽しめる
こじんまりとした庭の造作が 江戸の生活を偲ばせる

 

お寺さんは かなり以前からあったが この辺りは静かな地だったろう
私が知っている昭和30年代には かなり緑の畑地などが目立った
今は空き地も無いくらいだが それでも高い建物は無く閑静である



隣接してお風呂屋さんがあり 独特の建屋風と煙突がある
最近はスーパー銭湯には好んで行くが 銭湯には行っていない
私の住む地域にも 周辺に数軒あるが 10年以上訪れていない



周囲は一戸建ての家が多く お風呂はあるだろうからどんな方が行くか
やはり自分の家より広い風呂 のびのびと入るファンが居るかもしれない
隣の煙突を見ながら そんなことを考えていた



帰りは 一駅戻り八幡駅から電車に乗った
駅のすぐ近く 大きな商店街があり 宝くじ売り場があった
何気なく その歩道の車道側を見たら 花が沢山並べられていた

一瞬 何ごと?と思ったが あの忌まわしい事件が蘇った
ストーカーにより ここで娘の眼の前で刺殺された若い女性が居た
一瞬で 現実に帰り 心で合掌をして ここを離れた

 

今日もデイケアの音楽訪問である
歌は楽しいねと言う声もあったり 私の話に掛け合いをする方も居る
リハビリに季節は無いけれど 楽しい時間が その意欲になる事を願う

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今日の誕生花 ブバルディア
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自分を必要としてくれる人がある限り

2013年12月15日 10時48分08秒 | ボランティア
自分の人生での生きがいは 自分を必要としている方が居ることだ
一番大切なのは家族であり 連れ合いであり パートナーである
そして 会社も社会も それをが感じることが出来れは幸せである

どうせ自分なんかとか 病の床にあるからと 見誤ってはならない
生きるということは 多くの方に世話になっており 愛情もある
自分がこの世に居なくなったら 必ず 嘆き悲しむ方は居るはずだ



どんな親でも 子どもに愛情を持たない人は居ない
成長を楽しみ 社会人になっても親は親 たとえ幾つになっても不変だ
そんな親に感謝して報いることは 今を大切に生きることである

連れ合いを亡くして 心に空虚を感じている方も居る
空気みたいに感じていても 一人になれば寂しいものである
たまには喧嘩をしても 心のどこかで結び合っていた居たいと思う



それは 自分を必要としていてくれる実感があれば更に心強い
高邁な精神はいらない 自分の身の丈で応える生き方が良いと思う
取り巻く方の笑顔が見れる人生 なんと素敵なことか 感謝である

私は今 ボランティアとうたごえに 肌で心でそんなことを感じる
自分の余命を考えると あと10年が一応平均だろう
せめてその10年 大切に健康に生きたいものだ



ボランティアも あと5年くらいだろうか
そして残りの5年をゆっくり 人生の終わりを穏かに感じたいと思う
今は充実している人生 そのお返し お裾分けをボランティアに行く



下町のうたごえ このブログを通じて また新しい依頼が来た
一つは足立区の伊興である
暮れの施設の忘年会 勿論 利用者さんの うたごえ にしていく

もう一つは 地元・江東区枝川の施設である
ここはディケア 入所などの規模は大きい
来年 1月から 多分 毎月通うことになろう



金曜日 土曜日 この2箇所の施設に行って 打ち合わせをしてきた
なるべく要望に応えて 私が役に立てれば嬉しいものである
何かの縁で 神様が与えてくれた機会でもあり 感謝して訪問しよう

一昨年だったか 私のブログは ここではない他のサイトにしていた
居心地良い場所だったが 東日本大震災の折から 私を疲れさせた
あまりにも要望 意見 その他が殺到し 退会をしたものである



その終わり頃 名古屋の精神薄弱施設の方から音楽訪問の依頼が来た
交通費も掛かるから 夜 東名道路を走り 午後の会に うたごえ
その時 依頼者のご主人が このうたごえに参加していた

どちらかと言うと 利用者さんより スタッフ ボランティアの方向けだった
ああ 上野駅を模造紙で書いて貼り出し 歌ってもらった
そのご主人がこの曲を喜んで大きな声で歌い 歌詞をメモっても居た

実は 既に脳梗塞を患い 病院通いをしていたそうである
その半年後 このサイトに報告が来た
ご主人が亡くなったと・・・そして あの時の喜んでいた居たことが嬉しかったと



現在は このサイトには来ていないので披露してしまうが 私にも印象的だった
自分の出来ることで たとえ ほんの少しの時間でも 笑顔が浮かんでくれた事
これからも 社会の一隅で 光と温かさを 灯し続けたい

自分を必要としてくれる方が居る限り 
健康が続く限り
それが私の人生・・・

写真はディズニー・シー付近から 東京上空ヘリコプターツアー
但し 添乗員は乗れなかった 平成21年12月26日

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今日の誕生花 オキザリス
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ミステリアスなミニトマトの11ヶ月

2013年12月14日 10時12分37秒 | その他

我が家のベランダで 不思議なミニトマトが育った
それは植えた覚えも無い花鉢の一角から 今年の2月に芽が出てきた
小鳥が運んだのか分らないが 2月3月は花が咲いてもすぐ散ってしまう

寒さの冬から解放されて 桜の季節になると ようやく小さな実を付けた
食べるには量が少なく 私の観賞用になる
それでも6月頃からは サラダを飾るくらいにはなる

身の丈も1メートルを超えて 花はずっと咲き続ける
小さな黄色い花でも 毎日眺めると愛おしいものである
野菜の花は 結構可愛いものが多い ナスもじゃがいもも大根も・・

さすがに先月頃からは 蔓が枯れ始めている
それでも一部の先端には 花が咲く
殆ど枯れてきている中で それは健気にさえ感じるものだ



今週 最後の実を収獲?した
2月から11ヶ月も頑張って 採らせて頂いた感がある
もう ご苦労様 十分楽しませてもらったよ

枯れた大部分の蔓を切り取ろうと思ったが まだ根元に青い葉がある
なんだか切り取るのが可愛そうで 急ぐ訳でもないし放っておこうと思う
花が咲かなくとも 実がならなくても 私の緑の仲間だった


こんな端っこに育ったミニトマトです

また一つ 何かが違うプランターから出てきた
もしかしたら じゃがいも?
6月頃じゃがいも買って放置していて 芽が出てここへ植えたことがある



少し育ったが花が咲く前に 枯れてしまった
もしかして 違う花? なんだか分らないが 結構育ち始めた
ブーゲンビリアも殆ど葉も落ちて その中で1輪だけ咲いていた


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今日の誕生花 つるうめもどき
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携帯電話が使えなくなる 業界はスマホへ

2013年12月13日 08時46分06秒 | ボランティア

携帯電話が どんなに充電しても すぐ切れる
呼び出しが鳴って 出ようとするとバッテリー不足で切れてしまう
ドコモの販売店に行って 電池交換をお願いした

しかし 既に この型の電池は製造中止で 在庫も無いと言う
添乗員には必須の携帯 買った時は 最新型のものだった
それから 多分 7年経って もう製造中止である



日進月歩の業界である 次々と新しい型を販売する
街には携帯ショップが並び 銀行の窓口のように順番待ちである
なんでそんなに お客が集るのか不思議であった

新しい物を買ったら 数年は買わないのにと思っていたのである
時代はスマホ スマホの花盛り 町のどこにでも見かける
今までの携帯は そのうち姿を消すのだろう



電池の無い携帯電話 何も役に立たないおもちゃと化した
販売店曰く 新しい携帯を買いますか?
値段を聞いたら数万円もする

そんな高い金額 私には遣り繰りできない
本体0円のものは無いのかと訪ねると 今度は私の契約形式が問題だ
2年毎の契約で途中解約は 違約金が2万円近く払わねばならない



まだ 携帯は多少必要だし 来年6月まで 何とか過ごしたい
知人の勧めもあって オークションサイトを探してみた
最初は電池だけを探したが どこにも無かった

諦めずに探していたら 私と同じ形式の本体が出ていた
電池付きとある 価格は勿論中古品で 送料込みで3千円ばかりであった
早速購入 送って貰った 本体は傷もあるし そのままゴミ箱行きである

この電池を私の携帯に入れて見た
嬉しいことに 問題なく使用できるし 充電も出来る
ただ いつまで使えるかは分らない 

来年6月になったら また どうしようか悩むものである
スマホ 欲しいけれど オプションも何やらいっぱい有りそうだ
高齢者向け 廉価品 通話料割引なんて 業界は考えてくれないだろう



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今日の誕生花 はぼたん
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遠くへ行きたい その先で巡りあった人

2013年12月12日 09時51分33秒 | うたごえ
この歌が好きである この歌に秘めた想い出がある
「遠くへ行きたい」 みんなに愛される叙情歌だ
メロディも素敵だし 歌詞は もっとロマンチックに私を誘う

 知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい
 知らない海を眺めて見たい じこか遠くへ行きたい
 遠い街遠い海 夢はるかひとり旅
 愛する人と巡りあいたい どこか遠くへ行きたい
  愛し合い信じあい いつの日か幸せを
  愛する人と巡りあいたい どこか遠くへ行きたい



30代前半 仕事人間の私がある日 会社の倉庫を調べていた
そこに想いも寄らぬものを見た
それは足踏み式のオルガンだった

埃を払って蓋を開け 踏み板を踏んで鍵盤を押してみた
懐かしい小学校の頃 音楽で聴いた音が蘇る
勿論オルガンもピアノも私には弾けない 弾いたことも無い

何か惹きつけられるものがあって このオルガンを工場の小屋に運んだ
以来 仕事が終わると静かになった工場の一角の小屋に足繁く通った
オルガンを弾く為であり その弾きたい心はますます大きくなって行った

 

街に出ればピアノ教室があるが わずかな月収ではその余裕も無い
更には一定時間に通うことが無理なのである 残業は当たり前の時代だ
私の性分としても 他人に習うことが嫌いなこともある

このパソコンの操作も 参考書を買って 見よう見まねで覚えたものである
中国語会話検定も4級で終わったが これもテレビと教本だけだった
枠にはめ ここはこの通りと教えられるのが嫌いな素直でない性格である

ピアノ入門には基礎があり大事だが 最初はドレミの音階の羅列である
指の動かし方なんて 大切は分かっていても自由に動かないし面白くない
好きな歌があった それが この「遠くへ行きたい」である

 

片手では何とかメロディを弾けるようになる 曲になれば嬉しいものだ
問題は左手である 右手と違う音符 時にはメロディと長さも違うものがある
左を意識していると右が狂う 右に集中すると左が入らない

鍵盤の位置も確かめなければならないから 眼は楽譜より鍵盤に多く行く
30も過ぎて この練習光景は ある意味滑稽でもあった
1小節進むと 間違え またやり直し この期間は永かった

この辺だけで半年も掛かっていた頃 工場の仲間たちが見に来たりしていた
公認では無いが生協から酒を買ってきて ここでつまみをかじりながら一息
それから工場の風呂に入って帰っていくのである

 

この中に 後にバンドを組む仲間がいた
ロックバンドのギターと ハワイアンバンドのベースである
彼らは あちこちでライブにも行っていた連中である

この3人で おい バンドを組もうと私が呼びかけた
それは オルガンとギターとベースと考えられないバンドだが当時は済んだ
ドラムセットを誰かが貰ってきた 素人だが これを任せて格好だけは付いた

社内行事にも呼ばれるようになった 当時は高度成長期 催しもある
他のメンバーは完成されているが 肝心の私は いつも間違えたり足を引く
ひとりで数時間練習することもあった

 

ようやく演奏が出来る曲もレパートリーに入り 会社の部活動に入部した
ここへ入ると会社の補助が出て ついにキーボードを購入した
以後 社内活動や町会の活動 どこでも要請があればバンド出演した

「遠くへ行きたい」の曲は 私の原点であり 永く付き合った楽譜である
叙情歌や軽音楽がバンドの目標であった クラシックは無論合わないから・・
しかし どこでも求められるのは私の好きでない 演歌ばかりだった

しかし それも永く演歌の伴奏をしていると 意外に良いものが沢山あった
昨日も下町のうたごえ 始まる前に参加者の一人が演歌の楽譜を持ってきた
まだ数名しかいないので初見で弾いてみた 演歌は大概すぐに弾ける



リクエストに 「遠くへ行きたい」があった 私はいつも原点の光景を想い出す
愛する人と巡りあいたい 私にとって今は愛する人は多く居る
うたごえに集ってくる方たち 支えてくれる人 施設の皆さんである

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          花言葉  初志貫徹
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