河野談話から30年…日本の右翼の執拗な攻撃にも生き続ける
裏では「安倍談話」に事実上へと切り替える
生き残った談話の根拠で履行を促すべき
1993年8月4日、退陣を目前に控えた宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官はこの日、日本の戦後「反省的歴史認識」の根幹となる重要な談話を発表した。日本軍「慰安婦」として連れて行かれ、大きな苦痛を受けたという事実を公表した金学順(キム・ハクスン)さんなど被害者の訴えを真摯に受け止め、慰安婦問題が「多数の女性の名誉と尊厳に深い傷づけた問題」であることを認めたうえで、「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と宣言したのだ。
それから30年の歳月が流れる間、談話は安倍晋三元首相(1954~2022)など日本の歴史修正主義勢力から長く執拗な攻撃を受けてきた。しかし、これを振り切ってここまで生き残った。日本政府の公式見解は今も「談話を継承する」というものだ。松野博一官房長官は3日の定例記者会見で、「慰安婦問題に対する政府の立場は1993年8月4日の内閣官房長官談話を全体として継承すること」だと述べた。
もちろん、本音は(このような立場とは)かけ離れている。日本政府は「歴史研究、歴史教育を通じて、慰安婦問題を永く記憶にとどめる」という河野談話の約束を事実上大きく損ねてきた。2月に出版された『安倍晋三 回顧録』には、「本音と建前が違う」日本の素顔が如実に現れている。安倍元首相は2017年8月、河野談話の主人公である河野洋平元官房長官の息子、河野太郎氏を外相に任命する際、彼を事務室に呼んで「お父さんとは全く違う立場でやってくれ。河野談話の『こ』の字も言うなよ」と語った。また「安倍政権は河野談話を見直すという立場を取っているわけではないが、決してそれで良しとは思っていない」とし、「すべては(戦後)70年談話(安倍談話)にのっとって対応していくと言ってくれ」と付け加えた。2015年8月に出た安倍談話が、名ばかりとなった河野談話に事実上取って代るものという認識を示したのだ。慰安婦問題を歴史の教訓として直視するという河野談話とは異なり、安倍談話は「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という内容を含んでいる。
日本政府の公式な歴史認識が「これ以上謝罪する必要はない」という安倍談話に変わったことを象徴的に表わした場面は、今年5月7日の韓日首脳会談だった。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が今年3月、強制動員被害者賠償判決に対して一方的な「譲歩案」を示したことを受け、岸田文雄首相は韓日関係改善を加速化するため、電撃的な訪韓を決断した。岸田首相はこの場で「コップの残りの半分」を満たすことを望んできた韓国の期待とは異なり、植民地支配に対するお詫びと反省の代わりに「心が痛む思い」という個人的な感想を述べることにとどまった。
このような暗たんたる現実の中で何が分かるだろうか。2日午後2時、日本軍「慰安婦」問題の正義に基づいた解決のために努力してきた韓日の研究者と活動家たちが、正義記憶連帯主催の「河野談話30年韓日シンポジウム」に出席するためにオンラインで集まった。専門家らは、河野談話に対する執拗な攻撃にもかかわらず、談話が依然として生きていることに注目する必要があると強調した。
北東アジア歴史財団のナム・サング研究政策室長は「談話を否定しようとする日本政府の試みは、国際社会の激しい批判を招いたという点で、談話をうまく活用する必要がある」とし、「これまでの研究成果に基づいて慰安婦問題とは何かをまとめる『市民談話』を作ることも意味がある」と語った。一橋大学の加藤圭木教授は、多くの日本人が「日本の市民社会で植民地支配の実態や違法性に対する理解を広げていくことが緊急な課題」だと述べた。
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