フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

Calling you.

2009年09月12日 23時01分20秒 | 日々の出来事・雑記

Calling you」 Jevetta Steele 『BAGDAD CAFE』
映画の内容は忘れたが、この曲はなかなか忘れない。印象に残る曲だ。


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自然崇拝・祖先崇拝と神道の関係

2009年09月12日 11時19分06秒 | 社会・政治・思想哲学

  神道というと「古事記」が連想されるが、あの書物は天皇を中心とした日本統一の物語であり、一般的な人々の物語というより皇室神道の話しである。私たちの信仰対象としての神道とすこし違う。
 神道は、仏教でいう般若心経、キリスト教でいう聖書みたいな教義がなく、漠然としてわかりづらい。
 ただ、神道は、横軸を自然崇拝(多神教に通じる)、縦軸を祖先崇拝として、それが混合した考えであると理解すれば、わかりやい。

 
 まず、横軸の自然崇拝についてである。
 縄文人は狩りをしたり貝を食べたりして生活していた。そして、常に自然の脅威と向き合っていた。そこで海、山や岩、樹木などに神が宿るとして、それらが人間に及ぼす不思議な力を敬った。そして自然界のすべての事物には霊的な力や生命力が秘められており、縄文人はそれらの霊に祈りを捧げることで獲物の増加を願った。そこから自然崇拝が生まれてくる。

 このような自然崇拝は、各地域で文明が未発達な段階ではよくみられる。

 次に、縦軸である祖先崇拝についてである。この日本独特の考え方である。そして今もなお日本人の宗教観に強く影響を及ぼしている。人間が死ぬとその霊が生者に災いや福をもたらすと考えられていた。そして、祭りや呪術などで死者の霊を祀るようになる。それは発掘された土偶などからうかがえる。
 人は死ぬと、死霊となる。死霊には個性があり、死穢を伴っていると考えられた。死穢とは死によるけがれのことでで、「古事記」や「日本書紀」に書かれた死者の世界「黄泉の国」は死体が腐乱し、蛆がたかるけがれた場として描かれるている。
 日本人が死、特に死体に対してけがれの意識を強く持つのは、この死穢の概念による。死穢をもつ死霊は子孫に災いをもたらす。そこで子孫は死霊を祀り、死穢を浄化していくのである。このようにして一定期間祀ることにより、死霊は個性が取れ「祖霊」になり、柔和で徳をそなえた霊になると考えられている。
 死霊が浄化されて祖霊になるには33年から50年の歳月が必要だといわれる。33回忌、50回忌はこのような考えから導かれている。
 
 神道では、祖先の霊が現世と他界を往来すると考える。今年もお盆に実家に帰らなかったが、盆に田舎に帰ってあの独特な雰囲気にふれると何か霊的なものがそこにいるという感じがする。
 この祖先崇拝と仏教の交わりをどうするかということもひとつの問題であり、現在の新興宗教はむしろこの日本人の祖先崇拝を悪用(言い過ぎかもね)している。つまり、「あなたは墓参りしていないから、祟りがある」といって、その祟りを排除するための儀式を中心に教義をつくり、信者を獲得していく。だからこの祖先崇拝については個人個人が慎重に考えないとすぐつけ込まれるから注意が必要だ。

 

 死穢を取り除く、つまり邪悪なものを洗い流すものとして発達したのが、禊ぎ(みそぎ)と祓い(はらい)である。禊ぎは水でけがれを洗い流すことである。神社に入る前にある手水舎は禊ぎの簡略された形態である。祓いは水に限らず、神に祈って罪やけがれ災いなどを取り除き、生命力をよみがえらせることをいう。

 

 日本人が異常にきれい好きなのはこのような考え方が影響しているといわれている。また、穢れた人を排他的に扱うことから、いじめや差別の問題として論ずる人もいる。
 まあ、神道というと靖国神社などを連想し国家神道を前提に考え、嫌う人も多いが、実は日本人の宗教観に深く根ざしており、日本人であるならば避けて通れないものである。

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魂の離脱と瞑想

2009年09月12日 02時56分10秒 | 社会・政治・思想哲学

 最近、ヨガが流行っているが、それは古代インドの瞑想法・坐法である。ヨガの特徴は体のエネルギーを下半身から上半身のほうに上昇させていって、魂を宇宙に放出することを目的としている。
 これに対し、釈迦の結跏趺坐という坐法(坐禅)は肉体のエネルギーを上昇させるのではなく、むしろ下降させる。臍下丹田のところにそれを繋ぎとめる。不動の心というものを内面に定着させるという性格をもっている。
 これを徹底したのが道元の只管打坐(ひたすら坐禅すること)である。道元は日本人の伝統的な遊離魂感覚に真っ向から挑戦した人物だったといえる。

 
 中沢新一の「チベットのモーツァルト」の孤独な鳥の条件という章の一節である。彼は実際にチベットに行って修行を積んできた。この本はオウム真理教に大きな影響を与えたといわれている。
 だが、そうであったとしても、興味深いことが書かれていることにはかわりはない。ちょっと読んでみて欲しい。


 1976年の春から私はネパールに住むチベット人の密教僧のもとに弟子入りして、密教の行者になるための訓練を続けてきた。チベットの密教ではドラッグを使わずにただ瞑想(ゴム)のテクニックによって現実を変容させたり意識の深層領域に下降したりする訓練をおこなう。弟子としての修行をはじめて一年半ばかりたった頃、私の訓練は新しい段階に入ろうとしていた。その頃のフィールド・ノートの一部をここに書き抜いてみよう。

 1980年7月10日

カトマンズから南東に向けての車で四時間ほど山の中にはいり、そこからまた一時間ほど歩いたところにある山寺で「ポワ」の修行をおえ、盆地に戻った私を迎えたラマ(密教の師)の態度が一変していることに、私はすっかり当惑してしまった。ラマはいつもの笑顔で私を迎えてくれたが、それまでとは違って、私の語る言葉に反撃を加え、私の立っている場所をひっくり返すような行動にでてきたからである。
 久しぶりに会ったラマに、私はまず「ポワ」の修行中に起こった異常な体験を事細かに報告した。「ポワ」は「意識を身体の外に送り出し、死の状態をコントロールする」ための激しい瞑想のテクニックだ。ラマはこの修行はことのほか大事だと言って、とくにていねいな口伝をあたえてくれた。私はそれを受け止めた後、すぐに山の寺に籠もって修行を始めたのである。
 「ポワ」をはじめて二日目ぐらいから私の頭はガンガン鳴り出し、頭部にできたしこりが痛んで、ふつうの状態でもどうかなってしまいそうだった。これは「ポワ」の瞑想テクニックが強烈なためだ。「ポワ」では、自分の頭上に「ブッダ」の想像的なイマージュをつくりだし、その胸めがけて、自分の胸のチャクラに観想した「心滴」という赤い光の滴を飛ばしていくプロセスを繰り返し訓練する。光の滴が胸から上昇するたびにものすごいエネルギーが頭頂に向かってつきあげ、その滴が頭頂を離れるたびに私の眼球の中にたくさんの青い火花のようなものが飛び散った。
 四日目になると痛みが少し消えてきた。そのかわりに頭頂の肉がこんもりと盛り上がってきて、そのてっぺんにジクジクした血豆のようなものがでてきた。こういう徴がでてくれば「ポワ」の修行がうまくいっている証拠だとラマに教えられていたので、私は少し安心した。
 だが、七日目の晩、その日の最後のセッションも終わりに近づいた頃だ。いつものように「ヘック」という掛け声と一緒に「心滴」を頭頂から抜き去ったその瞬間、私は自分が奇妙な体験をしていることに気づいた。つまり私は自分が身体の外にいて、自分の身体を上のほうから見下ろしていることに気づいたのである。それは奇妙な体験だった。上のほうから見下ろす身体は髪の毛や着物のひだにいたるまでくっきり見えるのに、その周囲の空間は身体から遠くなるにしたがって、次第に暗闇に溶け込んでいくようだった。しかし不思議なことに、私は自分の後方の離れたところにある寝台にすわって心配そうにこちらを見ている同室の若い僧の姿だけは、はっきりと見ているのである。私はもっと上方の空間を見てみたいと思い、意識をそちらの方に向けた。すると、そこは真っ赤な光に覆われていた。
 この時、急いでもとの身体にもどらなくてはという気が起こったのを憶えている。身体が少し傾きはじめ不快感を感じたためでもあるし、後方の若い僧が何か大きな音をたてているのに気づいたからだ。私は懸命に、赤い光のかたまりになった自分をもとの身体に落下させる「ポワ」の究竟次第のテクニックを使った。
 身体がグラッとうしろに倒れこもうとした瞬間に私はもとの身体に戻り、ほどなく普通の意識状態に戻った。若い僧がかけよってきて、瞑想の途中で私がマントラも唱えずに動かなくなり、そのうち身体が傾きはじめたのにびっくりして、棒で床をたたいて意識をこちらの世界にもってこようとしたのだと語った。

 

 中沢氏の体験したことが、幻覚なのか現実なのかはっきりとはわからないが、幻覚きのこやLSDや大麻などでもこのようなことができることは分かっている。
 ただ、密教は長年の経験とその積み重ねで、麻薬なしでこのような幻覚をおこす方法を編み出したということができる。
 別に、このような神秘体験自体珍しいことではない。オウム真理教の信者もそのような神秘体験を経験していたといわれている(そもそもオウムが真似した)。

 
 このようなことと逆に、禅宗での坐禅は、このような遊離体験をおさえることにある。そして、坐禅は神秘的な体験をさせることを目的にしているわけではない。
 坐禅の目的は、言語活動を停止して、世界と私を一体化させることにある。意識はクリアーなまま。
 

 

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