たとえば、若い人から、「徒然草」の一体どこが面白いのか聞かれるような場合、私は返答に窮し、こう答えるのを常とする、面白かないが、非常に名文なのだ、と。日本の古典文学は、頭脳的に読んでもほとんどなんの利益ももたらさないものばかりで、文学により頭脳の訓練をするためには、西洋の近代文学を読むのが、どうしても正しいようである。さて、返答に窮して、という意味は、自分では、いわば古典を読んで古典を読んで知るとというよりむしろ古典を眺めて感じる術を覚えた気がしているのだが、それがうまく口には言えぬ、そういう次第だ。小林秀雄 「年齢」の一節
古仏を見てもあまり感動しないが、古寺、特に禅寺に行くと、心が動かされる。理由はよくわからない。
今日、鎌倉の東慶寺にいった。こじんまりしてとても美しい寺だった。その寺内に、小林秀雄、和辻哲郎、西田幾多郎の墓があって、墓参りしてきた。
これは小林秀雄の墓である。小さくてさっぱりした墓だ。
鎌倉幕府を作った源氏は、身内で暗殺、殺し合いをし、三代で途切れてしまう。その後に実権を握ったのが北条氏。しかし、その政治もろくなものではなかった。
こういうところで静寂な禅宗がうまれていくのだから不思議である。