フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

根拠なき自己肯定

2011年04月28日 09時02分00秒 | 社会・政治・思想哲学

 昨日、パってテレビを付けたら、NHKでニーチェの番組をやっていた。哲学者の西研氏、と精神科医の斉藤環氏が解説していた。面白そうだったので見てみた。

 西研氏の言っていることはピンとこなかったが、斉藤環氏の言っていることにおもわず反応してしまった。
 彼は、このように言っていた。「ひきこもりの状態にある自分を肯定せよ」、というのがニーチェの思想だと。
 簡単に言うと、社会の価値観はひとまず置いておいて、自分がちっぽけな存在だろうがなんだろうが根拠なく自己肯定することが大切なんだということである。なるほど、精神科医らしい発言である。
 
 人は誰でも誰かに愛されたいと思う。そんなこと当たり前のことであるが、それを分析的に考えれば、自己承認をめぐる欲望である。自己承認を求める欲望は、常に他者の視線を問題にする。みんなに自分がどう思われているのかが重要なのである。しかし、他者の視線に自分を合わせている限り、本当の自分に出会うことはない。他者の考えが変われば、自分も変わらざるを得ないからである。そこに自分というものはない。

 問題は、他者の承認なくして、根拠なく自己肯定ができるかどうかなのである。特に幼児期に親との関係がうまくいかなかった人はそれが難しい。生まれたときの大切な時期に、自己承認を欠くからである。
 
 斎藤環氏は続けていう。
 自己肯定するには「偶然的な出来事を必然だと感じる力が大切だ」と。

 どんなに悲惨な出来事があっても、またわけのわからない状況に置かれても、そのことが必然だったんだと感じることである。
「これでいいんだ」と自分に起こった出来事をすべて受け入れることである。もし自分に起きるすべてのことが必然で選択の余地がないのなら、それを受け入れるほかない。

 何があってもすべてを受け入れていこうとする悲劇的な精神には、勇気が必要である。自分がどんな境遇にいようと、勇気をもってそれを肯定すること。
 良い悪いの判断は、とりあえずおいておこう。
 自己肯定が人生を生き抜く上での、小さいが強力な足場になる。そこから一歩を踏み出していくこと。
 

 

 

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