フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

キリング・フロアー  リー・チャイルド

2012年01月10日 21時58分38秒 | 読書・書籍

 昨日、図書館で何気なく手にとって読んでみた本。読み始めたら止まらなくなってしまった。上下巻あるのだが、あっという間に読み終わってしまった。ここ最近読んだ中で一番面白かった。
 ただ、暴力的な場面が多いハードボイルド小説なので、そういうものが苦手な人は止めた方がいいかもしれない。

 いわゆる純文学と言われる小説とエンターテイメント小説の違いについて考えてみる。
 優れた純文学は、それを読むことによって読む人の今までの価値観を根底から覆す。つまり、それを読むことによって安定していた自我が揺るがされ、現状のままでいいのだろうかと考えさせられることになる。
 それに対し、エンターテイメント小説は自分の価値観を脅かされることはなく、ハラハラどきどきしながら、ストーリーを楽しむことができる。
 だけど、思うのだけど、この違いは相対的なものであって、純文学だからどうとか、エンターテイメント小説だからどうとか、の区別はどんどん無くなっていっているのではないかと思う。
 ただ、面白い小説があり、つまらない小説があるだけだ。時間がもったいないから、どんなに価値があったとしても、つまらないものは読みたくない。

 私は、何故ハードボイルド小説に惹かれるのだろうか。
 主人公はたいていマッチョである。だいたいの主人公は一般的な人より頭がよく強い。だが、個人で行動するがゆえに危険に晒される。やはり、個人より組織のほうが強いのだ。だから、いつも、組織に叩きのめされ、常に危機的な状況にさらされる。
 だが、まさしくそのこと、つまり、その危機的状況に立たされることが重要なのである。そのとき、主人公がどう振る舞うかが、問題になり試されているのである。
 
 
暴力は、単に恐怖を作り出す状況設定に過ぎない。恐怖の中で折れるか折れないかは、その行動するに至った動機による。自分の愛する人が危険に晒された時なのか、自分のしている時計を奪われようとしている時なのかで、全く違ってくるだろう。
 私は、闇雲に前に進むのではなく些細な問題の時は退くのもひとつの方法だと思っている。しかし、ここぞというときに、どんなに困難に陥っても、それでも前に進んでいく男が好きだ。その男は、自分の命より大切なものがあるに違いない。
 ハードボイルド小説はそういう振る舞い方を教えてくれる。
 こういう物語を繰り返し読んでいるアメリカ人は、問題があるにも関わらず、強いなぁと思う。

 ハードボイルドが好きな人にはお薦めする。
 

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