山に必ず本を持って行くが、全部読み終わるのは稀で、だいたい半分くらい読んだ状態で持って帰ってくる。ただ、その例外がポール・オースターの著作だ。彼の本はいつも全部読み終わってしまう。何故だろう。グイグイ物語を引っ張っていく彼のテクニック故なのか、山での孤独と主人公の孤独がぴったり符合する故なのか、その辺はよく分からない。単に私が彼の小説を好きなだけかもしれない。
今回は、小説ではないのだが、本当の話、「トゥルーストーリーズ」の文庫を持っていった。これもまた面白くて全部読み終わってしまった。初日の夜には、おもしろずぎて止められず、寝れなくなってしまったほどである。
いろんなエッセイが混じっている(彼の貧乏時代とか)が、基本的には彼の周りに起きた本当の話を綴った本である。読み進めていくうちに、何回か口をあんぐり開けてしまうような出来事に出会う。そんな馬鹿な、という感じ。
これを読んでいろんなことを考えてしまった。偶然の出来事って、もしかしたら日常的に私たちの周りにも起きているのではないか。ただ、私たちはそれに気づいていないだけなのではないか。この本を読んでいると、偶然の出来事を嗅ぎ分ける能力に差があるだけなのではないかという気になってくる。
例えば、こういう話。
彼の妻の妹が、台湾に中国語の勉強をしながら生活していて、同じく語学留学をしているアメリカの友人とある会話をする。
「ニューヨークに住んでいる姉がいるの」と私の未来の義妹は言った。
「私にもいるわ」と友人は答えた。
「アッパー・ウエストサイドに住んでいるの」
「私のお姉さんもよ」
「私のお姉さんは西109丁目に住んでいるの」
「嘘みたいだけど、私のお姉さんもよ」
「私のお姉さんは西109丁目の309番地に住んでいるの」
「私のお姉さんもよ」
「私のお姉さんは西109丁目309番地の二階に住んでいるの」
友人は大きく息を吸って、言った。「絶対嘘だと思うでしょうけど、私のお姉さんもよ」
偶然の符合によって、物語が大きく動き始める。それは小説の中での話だけではなく、私たちの人生も同じことである。偶然の符合は実は日常的に私たちの周りに起きている。人生を大きく変える人は、その偶然の符合を見つけ出す能力に優れているのだ。
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